好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:東ヨーロッパの国々 > スロベニアとクロアチア


 夕食、朝食がすべてバイキングでしたし、お昼も重なったメニューが多かったので食べ物の写真は少ない。
生ハムとチーズが後半になってふんだんに出てきてうれしかったかなあ。

 クロアチアのホテルは、朝からシャンパンがあってご機嫌でした。

 到着した日にいただいたザグレブのチーズカツ。中にチーズが挟んであり美味しかった。ビールによく合いました。

 
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 ブレッド島のお昼で頂いたデザートのアイス。ナッツが入っている。甘くて途中棄権でした。

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 ブレッド島といえば名物がこれ。私はいただかなかったのですが、挑戦した人に聞くと甘さが抑えられているとの事。宿泊したホテルの近くのカフェが一番有名だそうです。

 
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 ブレイスカ・クレムナ・レジーナ

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  ポイストナ鍾乳洞のホテルで頂いたチキンとポーク。

 
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 これは熱々でおいしかったな。ロヴィニイのお昼で頂いたイカのから揚げ。プリトヴィッツエの2日目の夜にもいただきました。

 
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 プリトヴィッツエのお昼です。マスのグリル。マスは、ブレッド湖でもいただきました。

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 ザダルのレストランで。タラのムニエルです。

 
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 ザダルでは、街歩きで見つけたお菓子が可愛すぎました。キャンディにしては大きいような・・・

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 クロアチア土産の定番のチョコレートらしいです。ペコちゃんぽこちゃんといった感じでしょうか?ユーゴ時代から食べられているそうだ。

 
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 出ましたご当地コーラ。ドブロブニクで・・・。

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 これなんでできているかわかりますか?マカロニです。名前もマカロニケーキですって。チョコ味で触感はまさにマカロニを食べているといった感じでした。

 
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 毎日ワインもいただきました。ワインの美味しいところを旅するのは、本当にいいな。

 


 最終日。今日はお釣りの来るほどの良い天気です。
海の色も昨日までとは全く違う色を見せてくれました。綺麗はきれいなのですが、昨日までのアドリア海の色をなんとなく物足りないなあと思ってしまっていたのは、前回来た時の海の色がこうだったからだと気が付いた。

 同じ景色でも違って見えてしまう
 
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 今日はロープウェイに上るので9時半に行ってみるとすでに行列ができていました。カードが使えたのでそちらで払う。

 風が強かったが素晴らしい眺めでした。
 新市街。大きな船はこの新市街の港に接岸する。

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 旧港に出入りする船もよく見えます。

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 空も青い。強い風に吹かれている国旗。

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 皆より、一足先におりてきました。今日のお昼は、1人でパンでもかじりながらのんびり海を眺めようと思っています。

 まずは昨日入れなかった民族学博物館へ向かう。

 3階に展示物がわかれているが、1階は入れ替え中で何もない。衣装や生活用品などおなじみの物を見て行く。来館者は、私も含めて2組だけ・・・。

 階段の踊り場からの景色が中々のもんでした。先ほどまでいたスジル山と旧市街。

 
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 チケットを見ながら、次行く場所を検討する。ホテルの近くにあるモダン美術館とレヴィリン要塞は最後にしよう。

 総督邸の近くのアートギャラリーをのぞく。地元の作家の作品がありました。
 
 灯台の立っている防波堤の先端にも行ってみたかった。

 
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 ものすごい青のアドリア海をじっとみつめる。なんて気持ちがいいんだ!気持ちいいのは猫も一緒で、ちゃっかりと日陰でお休みでした。

 
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 お腹もすいてきたので、サンドウィッチを買い海と空を見ながらいただきます。解放感で体が満たされてゆく気がする。

 時間も残り少なくなってきた。プロチェ門のそばのレヴェリン要塞に入ります。ここは、発掘された遺跡が展示してありました。狭いので展示物そのものは多くない、

 続いてホテルのすぐそばのモダンミュージアムに入る。お客さ私だけ・・・。ドアを這入ると受付の女性が慌てて顔をあげる。チケットにチェックを入れてもらう。9か所中6か所に印が付いた。場所を探せなかったのが2か所あり旧市街は手ごわいです。

 ここは想像していた良いも大きくて、見ごたえがあった。時間が足りなくなってしまい、もう少し早くはいればよかったとちょっと後悔した。

 絵画よりも彫刻が素晴らしかったです。

 入り口の所の作品

 
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 これも作品です。塩だと書いてあった。他には何もない。入場者の足跡が積み重なって作品が完成するのだろうか・・・。

 
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 これかなり好きです。

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 2階部分。元々は何に使われていたのかな?

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 この写真は、以前訪れた時、城壁巡りをした際ミンチェッタ要塞から撮影したものです。沖に浮かんで見える島が、ロクルム島だ。

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 13時半ホテルを出てドブロブニクの空港へ向かう。ドブロブニク出身のドライバーのミロさんが、最後に車を止めて「写真をどーぞ」といってくれたのが、この場所でした。島々が海の山脈のように連なっている。
 長い間本当にお世話になりました。有難うございました。お元気で・・・。

 
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 ドブロブニク空港から、ザグレブまで飛ぶ。乗り継ぎ時間が短いので、荷物を受け取り急いで国際線へ向かう。最初にアテンドしてくれた二ベスさんが迎えに来てくれていました。

 手続きの済んだものから、機内に乗り込み全員無事に間に合いました。よかったな・・・。


 希望者だけで船に乗り沖から街を眺めてみることになりました。

 いくつもの会社がボートを出しているので、現地ガイドに紹介してもらった船に乗りました。小型なので我々だけで貸し切ります。
 1時間ちょっとかけて沖に出てロクルム島を周回して戻ってくるというコースだ。
ロクルム島は、ナチュラリストのビーチが有ることで有名だが、季節外れなので誰もいないかも・・・。

 
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 旧市街の西側にあるロヴリイエナッツ要塞も海側から見る。

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 城壁の南西にあるボカール要塞とその奥一段と高いミンチェッタ要塞。

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 こんなに離れてしまいました。今日は風が無いので小さな船でも全く揺れません。後ろの山がスルジ山だ。
当時の人々も、貿易を終えて戻ってくるときにこのような光景を見たのでしょうか。「あー、ぶじにもどってこられたなあ」城壁を見てほっとしたことだと思います。


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 ロクルム島に近づきました。少しだけ人影はありますが、ナチュラリストはいないようだ。

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 岩場ばかりの島で、住んでいるのは1軒だけだそうです。島には、廃墟になった修道院やロイヤル砦などもあり歴史は古いので伝説が残っていて、夏には多くの人々で賑わうという。
 
 
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 再びドブロブニクが見えて来た。こうしてみると、北西に向かってかなりの斜面に家が建っていることがよくわかる。

 
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 アラビア風の建物が見える。お金持ちの別荘だったとか・・・、今はホテルでしょうか。

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 想像していたよりも楽しくてあっという間に戻ってきてしまった。この後は、城壁を歩くというみんなと別れて1人街を歩きます。城壁は前回歩いたので、その時に行けなかった博物館や教会をゆっくり見て回ろうと思う。

 まずは、総督邸に入る。ここのチケットは高いが、旧市街にある9つの博物館や美術館を回れるようになってて1週間有効の様です。これで明日の午前中も回れるわ(*^^*)

 総督邸は、共和国の総督の住居であると同時に大評議会、小評議会、元老院など行政の主要機関が集まった心臓部にあたる。
 総督の任期は、わずか1か月で象徴的意味合いが強く、任期中は総督邸の外に出ることはなかったという。

 15世紀の建設当時はゴシック様式だったが、火薬の爆発で損傷を受けルネサンス式の補修が行われた。その後1667年の地震の後には、バロックの装飾までもが加えられた。

 写真を撮り忘れたので朝のちょっと暗い総督邸でごめんなさい。

 
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 中庭が有りそこからいろいろな部屋に行けるようになってた。

 
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 乗り物だと思います。担ぐ部分が有るので4人で担ぐのでしょうか。

 
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 続いて朝は閉まっていたバロック階段を登ったところにある聖イグナチオ教会に向かった。賑わいを見せる旧市街だが、ここはお客さんがいない。私とカップルだけです。

 でも個人的には好きだな・・・。1699年から1725年にかけてローマの聖イグナシオ教会をモデルにバロック様式で建設された。

 
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 民族学博物館を目指して行ったのだがこちらは4時に閉館で、明日来てくださいと言われる。仕方がない来た道を引き返し海洋博物館へと向かった。西の端から東の橋まで移動だ。

 聖イヴァン要塞を利用して展示が行われている。

 
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 この近くに猫の沢山出没するところがあるというので行ってみました。今回は猫の当たりツアーでどこでもたくさんの猫に会うことができたし、仲間達も全員が動物好きで犬や猫大好き人間ばかりだったので楽しい時間を共有できて幸せでした。

 猫のアパート。

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 再びルジャ広場に戻って来て、礼拝の時間しか中に入れないヴラホ教会に入ります。信者代表の様な女性が発する言葉に従って、全員がお祈りを捧げています。司祭さんはいらっしゃいませんでした。

 現在の教会は、18世紀に建てられたバロック様式のものだ。ファサードの上には、金色の帽子をかぶり、ドブロブニク旧市街の模型を手にしたヴラホさんが我々を見下ろしている。

 
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 祭壇。
 
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 ステンドグラスは、かなりモダンなものだ。

 
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 夕食は、有志で旧港に面したレストランで頂くことになっていた。待ち合わせじかんには、ちょっと間が有ったのでホテルに戻りいらない荷物を置いて、再び旧市街に戻りました。

 日もすっかり落ちて旧港も灯りがともっています。

 
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 メニューは、添乗員のお任せです。これが最後の晩餐なので一同乾杯をして、シーフードに舌鼓をうつ。
この後も、ライトアップされた街を歩いてホテルに戻って来た。

 夜のプラッツア通り
 
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 夜の聖ヴラホ教会。

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 ライトアップされた建物。

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 今日は早朝から夜までドブロブニクを思う存分楽しんだ一日でした。明日の午前中もまだまだ続きます。


 8年前にここを訪れた時には、とても滞在時間が短くてざっと観光して城壁を歩いただけで終わってしまった。
今回は、旧市街から歩いて10分ほどの所にホテルが有るので、大好きな早朝の散歩に出かけた。

 前回は、ピレ門から入ってピレ門から抜けたのだが、今日は東にあるプロチェ門から入ります。

 
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 9時を過ぎるとにぎやかになるプラッツア通りもまだ灯りが残ってます。

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 ドブロブニクは、もともと沖に浮かぶ島だった。7世紀以降スラブ人が南下、海岸線に住んでいたローマ人が襲撃を逃れて小島に住み始めたのが起源だ。
 12世紀には、スラブ人とローマ人居住区が合併して共和国となる。そしてその時々の大国に上納金のようなお金を払うことにより自治を維持していく。オスマンの時代には、交易を認められるようになり大きな飛躍を遂げた。しかし、1667年の大地震によって国力が低下、旧市街は復旧されたもののかつての繁栄を取り戻すことなく1808年、ナポレオン率いるフランス帝国に服従したことで消滅してしまう。
 1918年に、ユーゴスラビア領になり、独立を巡って1991年ユーゴスラビア連邦軍による攻撃で市街は大打撃をうけた。
 しかし、その後の懸命な人々の努力により現在の美しい街並を取り戻したのだ。旧市街を歩いているとそこかしこに1991年の攻撃の時の様子の写真を見ることができる。

 町の中心ルジャ広場に建つ聖ヴラホ教会。このブラホさんという人はドブロブニクの守護聖人である。旧市街にある建物のどこかに必ず祀ってある。

 
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 この時計台も、ルジャ広場に面しています。時計台の並びに、市庁舎、旧総督邸と続く。

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 教会の横の小道を海側に進んでいくと美しいバロック式の階段があります。

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  そろそろお腹が空いてきた、ホテルに戻ろう。帰りは北門から帰ります。ずいぶん明るくなってきました。北門に沿って自動車道路が走っていて、駐車場などもあります。
 城壁は、全長1940m、高さは最高点で25mに達する。途中には、ミンチェッタ要塞をはじめいくつかの要塞や見張り塔が配置されていて見るからに頑丈そうである。
 大地震の時にも、壁はほとんど被害を受けなかったという。

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 あらためて全員でホテルを9時にスタートしました。
これはドブロブニク唯一の砂浜。朝は人がいませんでしたがお昼頃には水着姿の人も結構出ていた。

 
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 途中のお土産屋さんで売っていた置物。旧市街の様子がよくわかる。手前が旧港なので奥がピレ門になる。
プロチェ門は右下のオレンジ屋根の辺りです。

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 守護聖人ブラホさんも朝の太陽を一杯浴びています。

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 聖母被昇天大聖堂に入ります。

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 1192年にイギリスのリチャード国王が創建したと伝えられているが、17世紀バロック様式で再建された。

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 大理石がふんだんに使われている。

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 ここで有名なのが、この絵です。ティツイアーノが15世紀に描いたという「聖母被昇天」です。

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 プラッツア通りを横切って階段を登り小さなカフェのたくさん並んでいる通りをあるく。前回訪れた時にはこの辺りのカフェには日本語メニューが並んでいたのだが・・・。今は韓国語や中国語がメインかも。

 北に向かって階段の通りがいくつもある。

 
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どうしてこんなに路地に惹かれるのだろうか・・・。上を見ると、ウィットにとんだことだ事。

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再びプラッツア通りに戻って来て、これはオノフリオの大噴水。時計台の所にあるのが小噴水だ。

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噴水の向かいにあるフランシスコ会修道院に入ります。もともとは、城壁の外にあったのだが、14世紀に現在の位置に移された。建物は1667年の地震の後に建て直されたものだが、中庭は14世紀のままです。

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併設されている薬局はクロアチア最古の薬局です。ここではだれでも買うことができるので、観光客で賑わっていました。博物館には、薬壺や処方箋が保存されてました。

ここで一旦、ピレ門から外に出る。新市街からやってくるとここのバス停に止まるので沢山の人がいます。前回、ここで降ろされたことを思い出した。

 一番高いミンチェッタ要塞。

 
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 ドブロブニク旧市街唯一のセルビア正教会。古くから正教徒は住んでいたが、教会をたてるのを禁じられていたため共和国が消滅した後の1877年になってからだ。

 
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 これで午前の観光は終わり午後からはフリータイムになりました。
 


 アドリア海沿岸最大の都市であるスプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝の宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい街である。
 宮殿だったスプリットに人々がすみつくようになったのは、7世紀ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙してこの地に入りこんできたからだ。
 近郊のサロナから追われた人達が、頑強な城壁の有る宮殿に避難したのがはじまりだという。彼らは、宮殿の基礎部分はそのままにその上に建物を増築する形で町を築いていった。

 旧市街である宮殿の大きさは、南北215m、東西が180mで、周囲を厚さ2m、高さ約20mという頑丈な壁によって囲まれており、東西南北に4つの門がある。
 どの門から入っても中心にあるペリスティルという広場に達する。この広場を中心に北に兵舎が置かれ南が皇帝の私邸に別れていた。

 海に面したプロムナードの有る南側の道の門から入ってゆく。

 
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 建物が城壁で真ん中あたりに門があった。

 
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 入るとこんな感じの空間が広がっていて、通路になっている。

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 左手に行くと、宮殿の地下が公開されているので入りました。宮殿は、ディオクレティアヌス帝の終の棲家として305年頃に完成した。建築上の地下室の役割は、上を支えることなので地下と上階は全く同じ作りになっている。つまりここを見学すれば当時の宮殿の本来の姿がわかるということなのだ。

 
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 模型がありました。今いるのは、模型の海側下の部分の地下にあたる。プロムナードは当時は海だったのだ。

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 中世になると、ここは倉庫として使われたりワインやオリーブ造りもされたが、都市化が進むとゴミ捨て場として使われるようになった。

 これがゴミです。土にしか見えない。自然に還るゴミばかりだったことがよくわかる。
した方にある四角いものは、当時の送水管。これをつないで水を流したそうです。

 
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 地下道を抜けて階段を登ってゆくと円形をした広間にでる。この広場が前庭で玄関の役割をしていた。ここの音響がいいというので、クラパという男性によるアカペラのコーラスのパフォーマンスが有りました。

 
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さらに進むとペリスティルがある。向かい合うようにして、大聖堂と洗礼室が建っている。

 ペリスティルでは観光客とパフォーマーが・・・・写真を撮ったり、階段で休んでいる人達もそれぞれの楽しみ方をしています。

 
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 八角形の形をした大聖堂と鐘楼。元々は、帝の霊廟として建てられたが後にキリスト教の教会になった。

 
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 鐘楼は、中世に付け加えられたロマネスク様式のものだ。

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 このまままっすぐ進むと北側にある金の門に出る。

 
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 足に触ると願い事がかなうというグルグールの像。皆が触るので足の指なぴかぴかでした。

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 ローマ時代から延々と絶えることなく使われている水道。ちょっと感激だ。

 
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 ここで城壁の外に出ているので、外から西側の鉄の門を見ました。鉄の門のそばにあるのが、ナロド二ィ広場で、市庁舎やルネサンス様式の邸宅などが並んでいる。

 
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 この後は、フリータイムです。私はまず、もう1つの門東側にある銀の門を見るために鉄の門から再び旧市街に入りました。

 銀の門がこれ。

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 大聖堂に入ります。元々霊廟だったので外は殺風景ですが、外は素晴らしかった。ちょっと変わった作りになっていて、2つの部屋に仕切られており、中央部には帝の石棺が置かれていたという。

 
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 聖歌隊席

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 扉

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 洗礼室にも行きました。元々は、ユピテル神殿だった。中央の像は、洗礼者ヨハネだ。

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 レプリカ広場は、ルネサンス風の回廊に囲まれています。城壁の中とは違い誰もいない。

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 いかにも中世といった雰囲気の広場を通って集合場所まで戻って来ました。私以外の人は全員ここのアイスをいただいたようでした。添乗員さんがアイスの話を沢山したので食べたくなったのでしょうか・・・・。

 この後は、お昼を食べ、バスに乗って、ドブロブニクへとむかいます。

 途中でオレンジのお店がたくさん並んでいる所が有った。
このへんは、クロアチアでも有数の農業地帯だそうです。

 
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 8時少し前にドブロブニクに到着。お疲れさまでした。ここには連泊です。


 快晴。スプリットから少し離れたトロギールに向かった。
トロギールh、小さな島で本土とチヴォ島とは橋で結ばれている。

 バスは本土側に停まりそこから小さな橋を渡って、島に渡った。
起源はギリシャ時代までさかのぼり、狭い島内には様々な時代の建物や教会が存在している。

 北門

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 イヴァン・パヴォア・ドゥルギ広場が観光の中心で、広場を取り囲むように歴史的建造物が建っている。
クロアチアを代表する教会でもある聖ロブロ大聖堂、市庁舎、時計塔、ロッジアなどだ。

 広場の真ん中にはカフェがあります。ここは特等席だね。

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 市庁舎。中庭に入れるようになっていました。

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 時計塔の横の壁のないスペースがロッジアと呼ばれる多目的空間だ。演説や集会、コンサートなどが行われた。

 ロッジアとその天井。ちょっと格天井に似ているかな。

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 ロッジア側から見た大聖堂。後で行ってみようと思っています。時間あるかなあ・・・。

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 狭い路地を歩きながら南門を目指す。
ベネディクト会の女子修道院である聖二コラ修道院の入り口。庇の下の模様が可愛いい。

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 城壁と南門。赤く見えている屋根はこれもロッジアです。

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 城壁は今では人々の住まいと化していて、塔も取り込まれています。

 
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 アドリア海に面して建っているのはカメルレンゴの砦だ。15世紀にヴェネチア人によって改修されたものだ。
1420年に始まった彼らのダルマチア支配に対し、しばしばトロギールの市民は反乱を起こしていた。この砦は、外敵だけではなくて市民から身を守るためでもあったとされる。

 
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 この瀟洒な建物は学校です。クロアチアの旧市街の学校はこのように既成の古くからある建物を利用した学校が目についた。

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 聖ドミニコ会修道院。この横の小道から再び旧市街に入って行きます。

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 古い石畳の道。真ん中が盛り上がっているのは、当時はトイレが無く用を足した後、上階から道路に向かって排泄物が投げ捨てられていた。液体物は、低い方に流れるので、人々は真ん中を歩いていたということらしい。
 ハイヒールもつばの広い帽子も排泄物除けから始まったということです。

 
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 ともかく狭い路地を人々は有効活用しているようです。洗濯物を干すのにもテクニックが入ります。

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 本土とつながっている橋まで戻って来たところで自由時間となった。でもたったの30分くらいかな・・・。
それでも大聖堂はどうしても見たい。急いで戻る。チケットを購入。塔へも昇れるようです。

 聖ロブロ大聖堂は、13世紀初頭に建築が始まったが完成したのは、17世紀になってのことだった。そのため、シベニクの聖ヤコブ大聖堂同様、様々な建築様式が組み合わされている。
 
 ロマネスク様式の門は、13世紀に造られた中世美術の傑作と言われている。

 
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 イエス生誕と上部に描かれたイエスの生涯。

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 左右の柱には、一対の獅子像、アダムとイヴ、聖人像、未完の12宮などが彫られ、一番下の部分には異教の民である男が支えていて、キリスト教の勝利を表しているのだという。

 
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 主祭壇の上の屋根は、聖母マリアを象徴するユリの花がモチーフになっているそうです。

 
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 聖歌隊席。かつては金箔に覆われていたそうです。

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 脇にある礼拝堂の天井部分に注目。逆さになった守護神。意味は分かりませんが・・・。


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聖堂内を駆け足のようにしてみるのは、本当に申し訳ないですが、時間がない。続いて塔に向かった。
各階ごとに様式が違い、一階はゴシック、2階はヴェネチアンゴシック、3階がルネサンス様式。

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 らせん階段を駆け足で上ってゆく。

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 ようやく到着した。本来ならゆっくり見ていたいところだが、そうもいきません。

 
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 左側が本土で、右側がチオヴォ島です。
 
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 時間がない。迷ったら集合時間に間に合わない。旧市街は道がまっすぐでないからなあ・・・。

 ちゃんと間に合いましたあ!よかった。この後はスプリットに向かい観光します。


 スターリ・グラードは、古い町といった意味で歴史はフヴァルよりも長い。
紀元前384年、古代ギリシャ人によって築かれた。

 町を歩いていると建物も道もすべてが石といった感じがする。そのせいか、植え込みの緑や花々がとても美しく感じる。

 古めかしい路地を歩くのは、子供のころのかくれんぼ遊びに似ていてなんだかワクワクドキドキする。
早足で歩くとすぐに旧市街から出てしまう。

 特産のラベンダー

 
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 町はずれのドミニコ会修道院の近くから歩き始めました。

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 16世紀の詩人ヘクトロヴィッチの城。博物館になっているようです。建物前の広場には、潮の満ち引きの状態が海まで行かなくてもわかる仕掛けがありました。

 
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 広場にはカフェもあるのだが、日曜で皆安息しているのか人影があまりない。
 
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 思い思いに時間を過ごします。
修理中の大聖堂へ入ってみました。祭壇部分は、シートに囲まれて何か作業はしているのでしょうが、声しか聞こえてこない。

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 オルガンもビニールをかぶっている。

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 鐘楼

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 広場では少年たちが、サッカーボールを蹴って遊んでいた。
でもそれ以外の声や音が全くしません。

 
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 光が石の壁にあたっているのを見るとなんだかほっとした。

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 売っているのかそれともまだ製造中なのか、よくわからないバラのせっけんが並べられていた。鮮やかなピンク色が綺麗です。

 
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 帰りもフェリーです。行きは外に出て景色を見ていたのですが、かえりは暗くなってしまうので皆で船室にこもって旅の話に花が咲きました。

 スプリットに着いた時には真っ暗になっていた。

 
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 そうそう、ホテルですが今朝レストランに行くと、アジア人がいっぱいいました。こんなにうるさいのに到着した時にはなぜひっそりとしていたのかしら?謎だあ・・・。




 今日はスプリットからフェリーに乗って世界でも有数のリゾートアイランドだというフヴァル島へ渡ります。

 朝のスプリット港
 
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 島のあちらこちらには、リゾートホテルが立ち並び夏には多くの有名人も訪れるそうだ。
  島の形は東西に細長く中心の町は、西側にかたまっている。

 スプリットからフェリーに乗って2時間ほどかかり、中心の町フヴァルに到着した。

 いつものバスではなくて小型のバスで島を回ります。

 まずは、島の名産でもあるブドウやオリーブの栽培している斜面をみた。島の中央部分の平原スターリ・グラード平原には、オリーブや果樹園が広がっている。これは紀元前4世紀頃に古代ギリシャ人が住み始めた頃から栽培されていたものだ。上空から見るとほぼ180m×900mずつ石垣で区分されているそうです。
 これは当時からの区画で、保存状態が良いので世界遺産に認定されている。
上空から見ることは出来ないので、ここに立って石垣の様子だけでも見ておこうということかな・・・。

 
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 近くに石を積み上げたドーム状のものがあった。記憶が定かでないのですが、中で火を焚き霜よけをしたと聞いた気がします。

 
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 市街地の外れには城塞が有る。現在のものは16世紀の中ごろのものだ。
ここから眺めると小さな島々が有ることがわかる。

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 フヴァルの町に降りてきました。中心にある聖ステパノ大聖堂に行ってみたが、閉まっているし修理中だしで、撤退。この広場は海に向かって開けている。

 
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 歩いていくと同じスタイルのヨットが何艘も並んでいる。ポスターを見ると、ヨーロッパシニア選手権のレースだとある。道理で若くない人ばかりだなあと思ったわ。でも高齢の女性が1人でヨットを操るなんてカッコよすぎる!

 
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 海からいったん離れて、路地に入ってゆく。

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 ここもヴェネチア共和国でしたので、その時代の建物やシンボルが今でも残っています。

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 翼を持ったライオンのレリーフが有る井戸。

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 車はもちろんはいれない。階段も多いので手押し車が今でも活躍しているのだろう。エアコンをつけるにしてもちょっと手直しをするにもずいぶんと時間のかかることだろうな。

 
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 先ほど行ってきた城塞が露地の向こうにちょこっと見えている。

 
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 ステパノ大聖堂に入れなかったので代替えでベネディクト会修道院の博物館に入場した。修道院ができたのは、1664年のことで、修道女達の作るリュウゼツランの葉から取り出した繊維で編むレースは、島の土産物の代表の1つになっている。とても高価なものなので私は見るだけ・・・・。

 
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 海岸沿いに歩いていくと見えて来たのが、フランシスコ会修道院だ。こちらは15世紀に建てられたものだ。博物館は見るべきものが多いそうだが、残念ながら閉まっていました。

 
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 入り口の彫刻は素晴らしかった。

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 路地を上ったり下りたりしながら再び広場に戻って来ました。お昼をいただき、自由時間となりました。
建物の壁にあった翼のあるライオン。保存状態がかなりいいです。

 
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 我々近くのテーブルに座った人が食べているピッツアがあまりにもおいしそうで食べたくて仕方がない。今日のメニューはパスタだというし・・・。隣の人と自前で食べようかなどと話していたら、何と旅行社がサービスをしてくれました。なんということ!マルゲリータはとてもおいしかったですよ!(^^)!

 さあこの後は、路地探検だ。

 西門。

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 城塞から眺めた古びた教会が気になっていたので行ってみました。今は使われている感じがしない。ツタの葉が、真っ赤に色づいている。

 
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 港に降りてゆきます。
先ほど皆で歩いたところと反対側にいることになる。

 城塞がすごくきれいに見えていた。

 
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 市庁舎。

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 1579年から1611年にかけて作られたアルセナル。船の保管や修理などがここで行われた。特徴的なのは、中に劇場があることだ。劇場は、1612年に造られヨーロッパでも古い方に数えられる。

 
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  ボーダー柄が素敵。

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 こちらのブティックも色使いがなんかいいな。太陽光線のせいか、ヨーロッパの人々の色使いはとてもおしゃれな感じがする。

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 この後は、フヴァルよりも歴史のあるスターリ・グラードの町に向かいます。

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