好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:奈良県 > 奈良


 朝食をいただき、何となく春日大社に行ってみたくなった。

  今朝は、結構冷え込んでいるので、着ぶくれして出発。

  途中、鹿の角を切る場所のあたりが、真っ白になっていてびっくり。まるで雪が降ったようだ。霜も美しいものだなあと思う。

  
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 カメラを構えた人が幾人か撮影していました。
雪のよう (1)


  春日大社への道は、緩やかな登りが続く。屋台がそろそろ支度を始めている。

  春日大社に到着。
春日大社 (1)


  灯篭
灯篭

  帰りに、興福寺にも寄ってみた。おなじみの東金堂と五重塔。
東金堂



興福寺五重塔


  新しく創建された中金堂。
中金堂


  9時半、なら町の散策に出かけました。

  猿沢の池
猿沢の池 (1)

  伊勢街道にかかる率川の地蔵尊。船に乗っているのは初めて見た。
率川地蔵尊 伊勢街道


  恵比寿様の通り
恵比寿通り


  商店街に続く道
なら町辺り


  奈良漬の店
奈良漬の店


  資料館、大きなさるぼぼがぶら下がっている。
奈良町資料館


  中には、仏像が。
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  正月飾り
正月飾り

  最後は元興寺に立ち寄りました。
元興寺


  帰りは、近鉄ではなくて、みやこ路快速で京都まで向かい、新幹線のこだまで帰ってきました。時間が早かったせいか、空席もあり、昨年の3日のことを思うとずいぶん楽に変えることができた。

  3日間おいしいものを食べていたので、体重が、500g増えていました。


 何年か前にも又兵衛さくらを、見に行ったことが有ったのだがその時は例年になく寒くて全然咲いていなかった。で今年こそとリベンジにと行って来ました。

 でも今年も関西、滋賀・奈良・京都は桜の開花が遅れていて、まだまだつぼみといった雰囲気の所もあった。

 又兵衛はどうかなあと心配していたのですがこちらは、綺麗な姿を見せてくれた。ただ天気の方は、晴れてくれなくて青い空とはいかなかった。

 
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 樹齢約300年のしだれ桜だ。

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 又兵衛とは戦国時代の武将、後藤又兵衛にちなんだもの。


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 花桃との共演。

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 この日は、もう一か所、花の郷滝谷というところも訪れました。ここは桜というよりも勝負で有名らしい。でもしだれ桜とかレンギョウはきれいでしたよ。

 回遊式の庭園のようだ。

 
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 クロアチアでご一緒した方から、若草山の山焼きの時に花火が上がるよと聞いて、花火好きとしては行ってみたくなり、昨日行って来ました。

 当地を、午前11時に出発。奈良へ着いたのは、午後2時くらいでした。
山焼きまでは時間があるので、少し歩いてみます。

 普段はそれほどの混雑しない奈良ですが、中国の旧正月と重なって結構な人出で、飛び交う言葉は中国語ばかり!

 氷室神社は、一度もお参りしたことが無かったので行ってみました。
氷みくじなるものがあったので、購入してみました。

 あぶり出しみたいに、氷にくっつけると文字が現れ乾くと見えなくなるというものです。
理科の実験みたいだ。

 
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 奥村組の記念館が新しくできていたので、そこで免震のお勉強をして、東大寺を通り過ぎ、戒壇堂から転害門へと向かう。ここまでくると観光客はほとんどいなくなってしまう。

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  鹿さんもこの辺りでは、鹿せんべいをくれる人もいなく、草を食べている。

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 転害門。

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天平時代のものとあって、ちょっと変わった感じがします。

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 門の前の道をまっすぐ進んでいくと、正倉院御物でおなじみの聖武天皇の御陵があります。隣には皇后の墓も・・・。

 
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 再び同じ道を戻って来て、正倉院前から東大寺の背後を通って、2月堂、3月堂と抜けてゆきます。

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 お水取りで有名なニ月堂。何年か前に参加したことが有るが寒かったあ!

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 三月堂

 
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 転害門の説明にも出て来た、手向山八幡宮神社。ハトの絵馬が人気です。

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 そして、山焼きの若草山に到着。今日は、頂上へは行けませんが入場料はかかりません。
御幣のあるあたりで、神事が行われる。


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 椅子が並んでいるがこれは桟敷席です。

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 せっかくなので春日大社にも行きます。

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  若草山の山焼きが行われる理由の1つに、山にあった古墳の霊の供養がある。飛火野では、神事が行われていました。この後、聖火隊は列をなして、若草山の隣にある野上社まで向かいます。

 
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 我々は、麓まで行かないで国際フォーラムの辺りで待機することにした。行ってみると結構な人出で、トイレに行くのも長蛇の列となっている。

 待つことしばし、6時15分、打ち上げ花火開始。山の上から上がる花火というものを初めて見ました。時間は、15分くらいで短いのですが、空気が住んでいてなかなかきれいでした。
 今年は風がないので、煙が流れず少し残ってしまったが、そのぶん暖かかった。

 
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 そして最後の野に火が放たれた。私は一斉に赤くなるのかなあと思っていたのだが、そうではなかった。こちらも例年だと風が強いのであっという間に燃え広がっていくのだそうだが、今年は中々燃え広がらない。綺麗と体の快適さは比例しないのだ!

 
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 伝統的な行事に現地で触れるのはやはり楽しい。来年からのニュースに時に違う気分で見ることができるかなあ・・・・。


 今年の9月にキトラ古墳の壁画保存管理施設が、開設されて、9月の24日から1か月間一般に公開されることになった。

 併せて、高松塚古墳の壁画の修理の様子も1週間公開されるという。
こういうチャンスは、ものにせねばとさっそく申し込んでいってきました。

 名古屋を8時前に出て、10時半頃明日香村にある飛鳥歴史公園に到着しました。見学の予定時間は11時20分からなので、それまでは「四神の館」の展示物などを見て過ごす。
 オリジナルの壁画は、写真撮影禁止なのだが、館の方はすべてのものがカメラOKでした。

 四神とは、東西南北の方向に描かれていて、北の玄武は黒で季節は冬を表す。石室の中では北壁で頭のある方角に描かれていた。

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 石室を復元したレプリカで見るとこんな感じでした。

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 玄武の反対側、南にあるのが朱雀で季節は夏を表し朱で描かれています。
ここには盗掘の穴が開いていましたが、奇跡的に残った。

 
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 向かって左側の壁には、白虎が描かれている。これは、秋を表して色は白。

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 石室の中はこんな感じです。ガラス越しで外からではなかなか近づけなくてこんな写真ですみません。

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 そして、東を表すのが青龍で春を意味します。これは保存状態が良くなくてレプリカでもよくわからない。
かろうじて頭の部分を認識できるくらいでした。

 
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 そして天井には、太陽や月も描かれている天文図。中国式の星図としては世界最古のものだ。星と太陽は金色で、月は銀で表されている。
 朱線も描かれていて、3つの同心円は内規、赤道、外軌を表しているそうで、これらの円は長期の観測の結果理解できるものなどだそうだ。一部には間違いも有るそうですが、現状で74星座が確認できるそうです。

 イメージは、こんな感じです。

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 星座は、オリジナルも金箔が鮮やかに残っていて感動です!

 他には高松塚の壁画にはなかった獣頭人身の12支が描かれていて、現在確認できるものは子、丑、寅、午、戌、亥の6体である。

 
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 組み立てるとこんな感じです。天井部分に白っぽい点々が見えますが、あれが天文図の星です。

 
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 石棺はこのように置かれていた。

 
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 これらは、道具を使って慎重にはがされ、再び組み立てられ、保存された。
こういう道具を使った。

 
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 古墳は、中のものを保存した後は再び埋め戻された。壁画も古墳も想像よりずーっと小さかった。
下段の直径が13.8m、上段が9.4mとある。
紀元7世紀から8世紀の初めころに造られたという。石材は、高松塚と共に凝灰岩で14kmほど離れた二上山から運ばれた。

 
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 順番が回ってくると、案内され中に・・・見学できる時間は10分だけだ。1300年の時間を感じさせないほど、白虎の口の中の赤、天文図の金色と赤の線、朱雀のすっと伸びた尻尾など、どれも生き生きと描かれていて10分はあっという間に過ぎてしまった。

  お腹もすいてきたので、この後は石舞台に移動して近くの食堂でご飯です。
石舞台には、2,3度来ているが最後に来たのはいつだったか・・・・・。

 おなじみの姿。

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 よくもこんなに大きな石を・・・・。

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 近くを散歩して、高松塚古墳へ。ここも案内の時間が決まっているので、それまで近くの史跡を見て回る。高松塚は初めてなのでちょっとうれしい。

 まずは、再現された古墳へ。

 整備される前の高松塚の写真が有りました。

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 整備された古墳。見違えるようにきれいになった。

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 すぐそばに文武天皇陵が有ったのでそちらにも行ってみました。宮内庁の管轄なので中は調査されていません。

 
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 高松塚壁画館に入る。ここには再現された壁画などが展示されていますが、写真はNGです。ほれぼれするほどの色の美しさ。盗掘された壁が南側だったので朱雀は認められませんでした。

 せっかく美しい姿で残っていたのに、年月を経てカビだらけになってしまい。急きょはがして保存することになった。そして今、少しづつ修理が進んでいる。その様子を我々に公開しているというわけだ。


 文化庁のページで発見当時の壁画と傷みの進んだ壁画が公開されています。

 ここにはもう一つ中尾山古墳がありました。訪れる人もなくてちょっと寂しそうかな。

 
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 ナンバンギセルの花を歩いていて発見!成る程、キセルに似ているような気もする。

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 締めくくりは、鬼の雪隠と鬼の俎。どちらも初めてではないのにたどり着くのに苦戦。記憶というものは何ともあやふやなものだと実感。

 
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 ようやく順番が回ってきたので、作業室へ移動です。公開中は、作業は休みなのでシーンとしている。
手前に東西の女子群像と東西の男子群像、それに玄武が並んでいる。修理が進んでいるので色の鮮やかさは戻っていた。ここも10分が許された見学時間である。
 
 壁画館で見たよりもずっとずっときれいに感じた。なんて生々しいのだろう・・・。
漆喰は、湿気があった方が綺麗に見えるのだが、保存のためにはよくないそうだ。

 好きなものを満喫できたので今日はお腹がいっぱいだ!


 昨日もまた歩いて来ました。
今回は歩くというよりもちょっとした登山でしたが・・・・。

 麓から登りはじめ標高960m近くの山頂までの往復で、標高差は600m以上でした。
一気に上り下りするルートでしたし、朝方までの雨で道が濡れていて気を使い、少々くたびれましたが、
降りてきた瞬間には、忘れてしまい「次はどこを歩こうか」などど考えている私です。

 山頂は上着がいるほどひんやりとしていてさわやかという言葉がぴったり!

 畝傍山や香久山などを眼下にしてとても気持ちが良かったのですが、肝心のヤマツツジは惜敗といったところでした。

 1週間遅かった!!!

 本来なら全山真っ赤らしいのですが、真っ赤というより茶色が目立っていました。(笑)

 
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 想像力で見てくださいね。

 
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 話変わって、明日の夜からアルジェリアに行ってきます。
サハラ以北だけで南部国境地方にはいきませんが、この国もいつ行けなくなってもおかしくないので今のうちに行ってきます。

 では、行ってきます。


 11日は、梅見と美術館にいってきました。

 滋賀県にある寿長生の里でお昼ご飯をいただきお雛様と梅も楽しみ、車で移動して
ミホミュージアムで開催されている「かざり」展を見てきました。


 梅の方は、実をとるためのものなので華やかさはないけれどなかなかいい感じでした。
珍しいお雛様も興味深く、山深いこの地によく似あっているなあと思いました。
 関西や中京圏では有名なお菓子屋さんの経営なのですが、地域おこしに一役買っていて素敵でした。

 
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 6人囃子です。昔は5人囃子だけではなかったようです。
 
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 被り物が変わっている。雅楽の格好でしょうか?

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 椿もそろそろ終わりの感じでした。

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 竹をこういう風に使うのですね。素敵!

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 ミホミュージアムは、滋賀県の奥深い地に1997年に完成した。交通の便がよくないのでなかなか行けず、今回は本当に久しぶりでした。

 設計者は、あのルーブルのガラスのピラミッドを手がけた方で、容積の80%が地中に埋没した設計になっています。でも明るくてそんな感じが全くしないのは、さすがという感じです。

 入り口から歩いてトンネルを抜け橋を渡ったところに美術館が存在しているという演出も素敵です。
今回は大好きな若冲が目的でしたが、他のコレクションモ素晴らしくて堪能できました。

 
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 美術館のエントランスのガラスドア越しに見た橋とトンネル。和を意識している設計になっているなあと感じた。

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 いい一日でした。


 今から100年以上前、大仏鉄道はありました。

 当時の鉄道会社「関西(かんせい)鉄道」の加茂と奈良を結ぶ9.9kmという路線の愛称です。

 明治31年4月に開業し、東大寺大仏殿の最寄り駅として終着駅の大仏駅は大いににぎわったそうです。

  翌年5月に大仏駅から奈良駅へ乗り入れると、拠点は奈良駅へと移っていった。
しかもこの鉄道は、とても急こう配の険しい路線だったためにしばしば登れないことが有ったようです。

 そんな中、明治40年、加茂から木津駅を経て奈良へ至る平坦なルートが開通すると、急な難所のある大仏鉄道は休止となってしまい、同年11月に廃線となってしまったのです。
 
 営業期間が短く資料も少ない大仏鉄道は、幻の大仏鉄道と呼ばれているとか・・・。

 そんなわけで、この路線の後を巡るウオーキングに参加してきました。
当時の技術の高さを垣間見ることができたり、初冬の田舎道はなかなかでした。


 観音寺橋台  真ん中上部の飛び出た様に見える石の上に線路が引かれていた。この時代にコンクリートを使って石が積み上げられている。
 
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 鹿背山橋台、和式の石積みと洋風の石積みの違いがよくわかる。

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 もう冬の感じがしていました。

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 梶ヶ谷隧道。通り抜けられます。レンガが美しい。この上を線路が走っていた。

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 当時はレンガが赤く見えていたので赤橋とよばれた。天の部分は木材で修理がされています。
 
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 これは給水塔だそうです。この辺りの名産が筍なのでそれをイメージしているそうです。

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 最後は、大仏駅の跡があった場所。

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 歩いた距離16km近かった。

 
だがそもそもなぜこんな山の中の海とも高知とも関係のなさそうに思える場所が土佐街道なのだろうか?
 
 奈良県と四国の間には、瀬戸内海があり、今でこそ橋がかけられ陸続きになっているが、昔は船でしかわたれなかったところだ。どうした「土佐街道」何て名前がついたのだろう・・・・・。
 
 話は、大和王朝時代にまで様登る。都を造るために時の政権は人材を広く求め、土佐の国からも多くの人々がやってきた。彼らは、家族を呼び寄せたり新しく作ったりしてここに移り住んだ。
 土佐からの人々が多く住んでいたのでこう呼ばれるようになったようだ。
 
 こちらも武家屋敷です。
 
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 高取の人々は、売薬を生業として全国を回ったそうだ。今でも薬草やさんがあります。
 
高取藩主の下屋敷門が移築された石川医院。
 
 
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 しっくい壁の塀がとても雰囲気がある。
 
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 こちらは漢方薬のおみせ。かかしが立って居ました。
 
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 この赤い格子戸が素敵なお店は酒屋さんです。
 
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 ウオーキングのゴール、小嶋寺までやってきました。壺阪寺と双璧といわれる古刹。752年創建で21坊の伽藍を誇った時代もあったが、現在は無住職の寺となってしまった。
 山門は、高取城二の門を移築したもので、現存する高取城唯一の建造物である。
 所有する小嶋曼荼羅は、日本三大曼荼羅の1つで国宝に指定されており、現在は奈良国立博物館にあります。
 
 
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 二の門の屋根のうえには、藩主植村家の家紋である割桔梗の瓦がのっていました。
 
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 山の町は、稲刈りも住んでいました。(10月13日時点)
今では見かけることも少なくなったはざ架けの風景。
 
 
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 県外に住む人間には、土地勘がない。あの有名なキトラ古墳はここからすぐのところでしたが、今回はいけませんでした。
 
 何時か機会があったら、壺阪寺とともに訪ねたいなと思ったのでした・・・。
それにしても結構な坂で、なかなか筋肉痛がとれませんでした(>_<)
 昔のお侍さんは大変だったなとあらためて思った。
 
 

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