チェックアウトして、荷物を預けてから、歩いて1分の駅まで向かう。
観光案内所で、虹の松原への行き方を聞く。
市内循環バスに乗り10分ほどで、シーサイドホテルというバス停で降りると、そこが松原の西の端っこに当たる。初代藩主が慶長年間に植樹したもので約100万本のクロマツは、潮風を防いでいる。
全部を歩きとおすことは、しんどいのですこしだけ歩いてみたが、誰もいない松林の中というのは案外恐ろしく早々と引きかえす。

ここから城までは、600mほどの距離である。
舞鶴橋から見た唐津城はとても優美である。

唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩広高が、1602年から7年の歳月を費やして完成させた。
別名舞鶴城。現代の城閣は、昭和41年に観光施設として完成したものである。
城からは、玄界灘が一望できる。

参拝すると、宝くじが当たることで有名な宝当神社は、城下から出ている船ですぐである。

天守に入ったところで、ゆるキャラで人気の出ている、からわんくんの出迎えを受けた。かわいいな!

城を降りて海沿いの石垣の散歩道を進んで行くと、旧高取邸に行ける。
この屋敷は絶対に見逃せない。
約2300坪という広大な敷地に、大きな2棟の建物が建っている。それは、居室棟と大広間棟と呼ばれ、大正・明治期に建てられた。
和風を基調としながらも、そこそこに意匠を凝らしたつくりが見られ、輸入の製品もたくさん使われている。光の遊びをふんだんに取り入れてあり、そこに居るものをゆったりとさせてくれる。
見事な杉戸絵は、1人の画家によるものだという。
大広間棟には、何と能舞台もしつらえてあるのだが、今は使われることがないという。なんだかもったいない話であるが・・・・。
内部は、撮影禁止なので、外観の写真しかないのが残念であります。

唯一の洋間、これ実は木造です。

大広間棟外観

母屋の周りには、使用人のふろや家族のふろ食糧庫・貯蔵庫・土蔵などがあり、何とワインセラーまであったのには驚き。中身はみなからでしたが・・・(>_<)
手前の黄色の壁の建物がお風呂です。

いいものを見させていただいたなと足取りも軽い。
次に向かったのは、河村美術館だ。
全然知らなかったのだが、青木繁の作品が18点もあるのだ。青木は九州出身なのでその縁で収集したのだろうか。
続いて、唐津っ子の心のふるさと、唐津くんちの曳山を展示してある曳き山展示場に、入った。
写真などでよく見る鯛の曳山が目に飛び込んでくる。
くんちは、毎年11月の3・4日の行われ、市中を曳山が競い合いながら引き回される。
くんちは、重さ2~4トン。一閑張工法で作られていて、完成までには2年ほどようするという。
全部で14基あり、曳き台にて曳かれていく。
源義経

鯛

この後は、大名小路から、旧唐津銀行に向かいます。
あの有名な建築家、辰野金吾は、ここ唐津藩の出身だという。その縁で、唐津銀行の設計を同級生から頼まれるのだが、当時金吾は「東京駅」の設計工事の真っ最中であったため、愛弟子の田中実にここの設計を委ねた。
田中は、師匠の故郷であることをかんがみ、建築全体のデザインには「辰野式」を採用した。
平成22年に修復を終え、公開されるようになった。

一階は、営業のためのスペースで、カウンターや金庫室などがあり、吹き抜けになっている。
階段室から2階に上がると、マントルピースのある部屋があり、展示室になっている。

吹き抜け部分

ここまで、休憩も取らないで歩いてきたので、さすがに少々疲れてきた。
が、もうひと踏ん張り。
最後は、近松寺だ。といっても何も知識はなく、地図に記されていたので行ってみるといったところか。
観覧料は無料で、本堂の後ろには、舞鶴園という、庭がある。これは、豊臣秀吉に随行した曽呂利新座衛門が、唐津湾の風景を写して造園したと伝えれれている。
京都のお寺のような感じです。

びっくりしたのは、近松門左衛門のお墓があったことだ。


近松って大阪生まれだと思っていた(>_<)
唐津は思いのほか深く楽しかった。
ここでやっと、お昼をいただく。佐賀牛のカレーです。
帰りは、JRと地下鉄を乗り継いで、福岡空港から帰るのだ。
1時間すこしで、空港に着いたのだが、機体の到着が遅れているとかで出発時間が遅れるとある。
早く家に帰りたいのだが、仕方がない。
当初は、10分ほどの遅延の予定だったのが結局30分遅れの搭乗となってしまった。
しかもだ、あわて者が1人いた。彼は、お粗末にも自分の頭をトランクの収納部分にぶっつけたのだ。案外強く打ったのか少し血が出ていた。
心配した地上職員やアテンダントは、世話をする。名古屋への最終便は、この後なので、上空で気圧の変化で出血がひどくなってもまずいということになり、急きょ彼は降機ということになった。
手荷物だけならよかったのだが、預け荷物があったから厄介である。いったん積み込んだ手荷物の中から探し出すということになったので、ますます遅れることとなってしまったのだ(+_+)
そんなこんなで、大幅に遅れての離陸となったのだ。
中部に着いてから、私は走ったよう!連絡の列車の運行間隔がこの時間はかなりあるのだ。この列車を逃すと30分は待たねばならない。
走れ!走れ!
幸い荷物はないので身軽なものだ。でも息は切れた・・・・。
切符は、ともかく1区間を買う。後で精算すればいいのだもの・・・。
おかげで何とか間に合いました!(^^)!あー、よかった。