好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:東北6県 > 東北夏祭り

 
 最終日。
朝食前にお風呂に向かう。朝の温泉は本当に気持ちがいい。
 
 食事の方も、ホタテの刺身など案外いけている。おなかいっぱいいただきました。
 
 
 本来なら奥入瀬は、散策する予定では無かったのでが、時間がとれそうだということで、出発を30分はやめました。
 
 
 秋のような空なのに気温はとても高くて暑いです。山に来ているとは思えないほどです。
 
車窓からは、夏とは思えないほどすっきりとした八甲田山がのぞめました。以前来た時は、なんとなくぼんやりしていたし、ともかく寒かった記憶しかないのだ。
 
 
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 新緑の季節は過ぎてしまったが、緑いっぱいの遊歩道を銚子大滝まで歩きます。
大雨でこのあたりも被害を受けたので、様子がなんとなく以前と違う気がします。
  
  
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 マイナスイオンを一杯もらってなんだか気分が晴れやかになって行く気がする。
 
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 遊歩道沿いには、滝がいくつかある。それらをゆっくり眺めていく。
 
        九段の滝
 
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            木漏れ日が差し込む遊歩道
 
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  この滝があることによって魚もここから登ることができなかったので、魚止めの滝とも呼ばれる銚子大滝。奥入瀬では一番迫力があります。
  
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 散策の後は、十和田湖畔にて昼食です。予約の関係で11時からとかなり早い時間のお昼ご飯となりました。
 
 昼食後は、それぞれ自由な時間を過ごします。われわれは、湖畔を歩いて十和田神社を見てきました。
 
 湖も視界良好でとてもきれいだ。
 
 
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       赤い屋根は祠だろうか?
 
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       遊覧船
 
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    十和田湖神社、何を願うのでしょうか・・・・。
 
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  これですべての観光は終わりです。なぜか渋滞にはまることもなく、駐車場でおたおたすることもなく、雨に降られることもなく、なんとなく運がいいような気がした2泊3日でした。
 
 これから一般道、高速と乗り継いで盛岡に向かいます。
 
 盛岡で、少し時間があったので、夕食を調達した後マックでお茶しました。
 
 帰りのはやては全席指定だったのですが、満席で、立ち席特急で乗り込んでいる人もたくさんいます。入り口付近に居るのでトイレに行けない(+_+)
 
  東京でひかりに乗り換える。こちらもほぼ満席といった感じで出発しました。
途中浜松で、Kさんとお別れ。彼女とは9月のギアナで会えると思います。
 
 そして名古屋でツアーは解散です。大阪のAさんは、このまま新大阪まで1人ツアーを続けることになります。
 
  久しぶりの再会でしたが、楽しかったねー。また3人でどこかに行きたいな。
 

 
 ねぶたも後半にかかってきました。がんばろうという文字が目を引きます。
ガイドさんの説明によると青森県民は、負けず嫌いでなんでも日本一がすきな県民性なのだそうです。
 
 そのせいか、いろいろなもので日本一が多いとか。長いも・ホタテ・リンゴ・ニンニクの生産量も日本一ですよね。
 
 
 青森市役所ねぶた実行委員会・・・「牛若丸と大天狗」
 
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         日本通運ねぶた実行委員会・・・「聖徳太子と酔胡王」
 
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   公益社団法人青森青年会議所・・・・「激戦・川中島」
  
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    サンロード青森・・・「奥州平泉の栄華  阿弖流為と清衡」  あてるいと読みます。初めて耳にする名前でした。坂上田村麻呂と戦った人らしいです。
 
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     跳ねるハネト。私も掛け声で参加します。
 
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 JRねぶた実行プロジェクト・・・・「東北の雄  阿弖流為」   こちらも阿弖流為でした。
 
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 青森県板金工業組合・・・「イザナギ火の神を討つ」   昼間火の入っていなかったときと比べるとずいぶん感じが違います。
 
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 これが最後のねぶたでした。青森市民ねぶた実行委員会・・・・「琢鹿の戦い」
 
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 これ以外にも、ねぶたはありましたがうまく撮れなかったりタイミングを逃したりして紹介できませんでした。大型ねぶたはこの日は、18台出ていました。
 
 出世太鼓
 
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 ハネトの鈴を拾うと幸せになれるそうなので私も拾いました。
 
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     帰り道は、あちこちでこの鈴の音が響いていました。
 
終わると一気に人々やバスが動くので下手をするとホテル到着が遅くなってしまいます。
岩手バスのガイドさんと運転手さんのコンビはとても手際が良くて、なんと15分後にバスは出発していました。
 
 
 目的地は、八甲田です。今9時をちょっと回ったところなのでうまくいけば10時前にはホテルに着けるかもしれないです。
 
 道も思ったほど混んでなくて、バスは順調に進みました。
 
 ホテルの人の出迎えを受けて部屋にはいります。温泉なのでお風呂は大浴場しかない。
もう少し後のほうがすいているかもしれない。
 
 まずは、ビールだ。自販機でビールを買って来て風呂前ですが一気にいきます。
「うーんおいしい!」
 
 ホテルのところどころに、震災により○○を控えさせていただきますといった文字が目立つ。
1年半たっても、まだまだだということがよくわかる。温泉もすこし前までは、夜の11時や12時くらいまでしか使えず、電気も制限があったそうです。
 
 今は、温泉は朝の8時まで使えるようになったし、電気も制限はなかったです。
 
 お風呂からあがり、テレビでオリンピックを見ながら眠りについたのでした。
 
 明日は、奥入瀬を散策してから盛岡に向かいます。

 
 はじまったぜい!!!
 
次々現れるねぶたを見ていると、この地の人がこの祭りを愛しているのだなあとひしひしと伝わってくる。
おりしもオリンピックで八戸や青森山田高校出身のバドミントンペアが、出場している事もあり盛り上がっているように感じられた。
 
        青森市PTA連合会の「羅生門」
 
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       青森自衛隊ねぶた協賛会の「鉢木」
 
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   一年をかけた絵師の力作が次々と紹介されます。
 
    パナソニックねぶた会  「布引の滝  悪源太義平」
 
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  初期のねぶたの形態は七夕祭りであったと考えられ、練り物の中心がねぶたと呼ばれる燈籠でした。燈籠は、無病息災を祈り海や川に流された。これが今の海上運行にあらわれている。
 
 ねぶたは、町内単位で受け継がれてきましたが、どんどん大型化し運行制作などを含めた祭りの経費を含めると一台当たりの費用は、2000万程度と言われる。
 
 七日の夜の海上運行と花火大会で終わりを告げるのだ。この日は、四日なので中日と言ったところです。
 
     わたしたちのねぶた自主制作実行委員会・・・「義経北行伝説 龍馬渡海」
 
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 ねぶたがくるくる回ると後ろも見えます。回ると本当に雄大でテンションが上がる。
 
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   思わずほほがゆるむこんな癒し系のねぶたも参加します。
 
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  題名を聞いてもよくわからないのですが・・・。
 
  日立連合ねぶた委員会・・・「為朝の武威 痘鬼神を退く」
 
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  ハネトってずっと跳ねているわけではないのですね・・・(*^_^*)子供たちが、ハネトのつけている鈴が落ちてくるのを待っています。
 
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  NTTぐるーぷねぶた・・・「弁慶の祈り」
 
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  青森山田学園・・・「卑弥呼と狗奴国の戦い」
 
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  裏側はとてもおとなしい感じです。
 
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 ヤマト運輸ねぶた実行委員会・・・「美盾八競 晴嵐 宮本武蔵」  こうなると当て字なのか読めません。
 
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 整然と歩くお囃子隊。席の前では、止まって演奏してくれます。
 
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 席にじっとしていられなくて、道路まで出張してハネトと踊る人も出てきます。みんな楽しんでます。
 
 

 
 葉っぱのじゅうたんの下に200年もの間眠っていた水。
自然の恵みを頂きます。
 
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 レストハウスの近くには、マタギ小屋も展示されていた。中には囲炉裏と寝床がありました。
 
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 東北自動車道に戻り、弘前を目指す。今日の夕食は、ここでいただきます。時間も4時ということで夕食にはかなり早い時間だ。青森の道路の規制などを考えるとこの時間にとらざるを得ないのだろう。
 
 道がすいていて、予定より早くに夕食会場に着いた。4時までの30分余りは自由時間となりました。
われわれ3人は、近くの弘前城まで行ってみる事にした。
 
 春の桜の時期には、大勢の人でごった返しているが、今の時期はあまり人影もない。
ここを訪れるのは久しぶりです・・。
 
 ソメイヨシノの巨木があるというので行ってみました。なるほどでかい。巨木というだけで無条件に尊敬してしまいます。
 
 
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 これでも明治生まれだそうで、ソメイヨシノは育つのが早い気がします。
 
なんとなくかったるそうな、弘前城公園です。
 
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 帰りに、手焼きのせんべいを購入しました。ピスタチオいりです。珍しい気がしますが・・・。
 
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 夕食は、青森のお蕎麦・サメの焼いたものなど地元のものを頂きました。
ここから1時間ほどで、青森市内に到着する予定ですが。
 
 弘前もねぷたなので、会場に向かうねぷたと鉢合わせしてしまった。狭い路地を慎重に進んで行く。
こちらのねぷたは、扇の形をしています。
 
 
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 市内に入ると、なんとなく車の数が増えてきました。歩道を見ると正装したハネトの姿もあります。
ああ祭りが始まるんだ!なんだかウキウキします。
 
 竿灯と違ってこちらは歩道の桟敷席で見ます。歩道の上にはたくさんのパイプいすがぎっしり並んでいる。
 
 トイレは、市役所のものを借りて済ませついでに、時間まで近くを偵察に行ってこよう。
 
早速こんなかわいらしいものを発見しました。
 
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 思わずほほがゆるみます。
 
通りには、まだ灯りが入っていないねぶたが並んでいる。ご時勢なので、従来の電灯からLEDのものに変わったのだとか。明るさがずいぶん違うそうです。
 
 
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 出を待つ前のリラックスした時間を過ごす人々。
 
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 親子で参加されるのでしょう。写真をとらせていただきました。
 
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奇妙な静けさが漂うお囃子隊の面々。
 
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  こちらは大事な飲料水の入ったリヤカーです。個人でコップのようなものを持っていたり、柄杓で飲んだりと、夏の祭りでは欠かすことのできないものです。
 
 
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 席に戻ってきました。花火の合図で祭りの開始です。
 
7時10分花火の音とともに開幕です。
???ところが、私達の前には何もない。隣の区画にはねぶたがあるのですが、われわれの前の通りには、何もない。
 
 結局20分余り何もない道路をながめてすわっていることに。
大型ねぶた18台も出ているのに、こうした空白地域ができてしまうのはなぜーーー。
 もう少しうまく配置できないものかしらと思ってしまった。
 
 ミスねぶたを先頭にやっと行列の姿が見えてきた。
 
 担ぎねぶたや太鼓がそれに続く。
 
 
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 寝る前に目覚ましをかけてもらったのだが、なんとマナーモードになっていてびっくり!
 
でも3人めのAさんが起きていてくれて事なきを得た。
 
 今回3人で旅してみてわかったのだが、3人というのはとても楽だし、2人失敗しても3人目がフォローできるのでとてもよい(*^_^*)
 
 というわけで、予定どおり歩いて千秋公園のハスの花を見に行きました。
栄養が行き届きすぎているのか、葉っぱがとても立派で花より存在感がある(笑)
 
 
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 朝のお堀にビルの影が伸びてきて夏の雰囲気です。
 
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 2日目、北上して白神山地を目指します。秋田はジュンサイの生産量日本一とかで、道路からも池が見える。
大潟村の田んぼの広いこと。入植の苦労はなしをガイドから聞きながら進んで行く。
 
 休憩で入った道の駅では、時間が少しあったので希望者で「大太鼓の館」を見学することになった。
 
 
 
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ギネス認定の太鼓は、直径370cm、長さ432cm、重さ3tだ。
牛1頭の皮が使用されているそうだ。
 
 認定はされていないが、ここで一番大きなmのは、直径380cん、長さ452cm、重さ3,5tもあります。
 
 上町と下町で太鼓の大きさを競っているうちにこんな大きさになってしまったそうです。
今では造り手がいなくなってしまったので、競争は一休みといったところでしょうか。
 
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 どうやって叩くかというと、上からたたく人と下でたたく人にわかれておこなう。
 
時間が迫っていたので、生の演奏が聴くことができなくてちょっと残念でした。
 
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 この祭りは、約700年前から続いているといわれ、7月の14と15日に行われます。
上町、下町の2つの集落がそれぞれ徳川、豊臣方にわかれて、1年交代で神社に太鼓を奉納する。
 
   虫追いや五穀豊穣、雨乞いを祈願するそうです。
 
衣装の陳列もありました。
 
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  白神山地の入り口のレストハウスには、温泉施設までありました。食事もできるので、歩く前にお弁当をいただきます。歩くといっても世界遺産の本体の周りをちょっとだけ体感なのですが・・・・。
 
 マタギ弁当といって根曲がり竹が入っていました。味は少々濃いがおいしくいただきます。
 
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 気温はかなり上がっていて、山の中でも汗が出てくる。橋を渡りながら巨大な川柳に驚く。
 
入口には、新しい標識が立っています。
 
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 植物には、全く駄目な私・・・・。栃の木、朴の木くらいはわかりますが・・・。
 
斜面に立つブナ林、雪で埋もれる部分はまっすぐに伸びていかない。
 
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 コブのできた幹は、水分を欲張りすぎて冬に膨張た部分を自分でなおした跡だそうです。
 
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整備された道を歩くガイド。ふかふかの足元が気持ちがいい。
 
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  帰りの楽しみは、途中にあった湧水を飲むことだ。200年の時を経てわれわれののどを潤してくれる。
 
 
 
  
 

 ある程度時間が過ぎると移動してゆきます。
バランスを崩して、観客席になだれ込む竿灯もある。
消えたらもう一度、火をつけなおす。
 
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 再建途中のJALの鶴マークの提灯もあります。
 
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 継竹をどんどん足していく。重さも半端ではないので、どんどんしなっていきます。
竿は腰にのせられ絶妙のバランスを保っている。手には扇と傘を持ち観客の拍手を誘う。
 
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  差し手
 
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 演技が終わったのは、8時40分くらいでした。この後は、観客も道路上に出て祭りに参加できます。
ふれあい竿灯だ。
 
 われわれも竿を担がせてもらったり、太鼓をたたかせてもらったりしました。
これが重いこと!
 小さいからと幼若もばかにはできません。
 
 
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 竿灯を担ぐのは男なので女性は囃子方に回る。小さなうちからこちらも鍛えられます。
 
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 南中学の生徒さんがこんなしおりを配ってくれました。
 
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 われわれのホテルは、近いので歩いて帰りますが、遠くにホテルのあるツアーはこれから2時間もかけてホテルに向かうそうです。
 
 
  帰りにコンビニで買ってきたワインを飲んで部屋でくつろぐ。明日は白神山地をちょっとだけ歩いて
青森に移動してねぶたを見る予定です。

 
 8月3日名古屋を7時34分のひかりで、まずは東京へ向かう。
仲間は、アフリカのツアーで知り合った2人です。
 
 Aさんは、大阪なのですでに乗車している。浜松でKさんと合流して、メンバーがそろいました。
 
 参加者は、夫婦と女性グループのみで1人参加や男性グループはいないように思える。
 
 東京駅で、はやてに乗り換えます。思ったよりは混雑していない。それでも注意を促す駅員の放送がひっきりなしに聞こえてくる。
 
 盛岡には、12時56分到着。ここから秋田を目指して走ります。
バスは、「岩手県北バス」で、陸中海岸の久慈市からやってきたとのこと。
 
 震災の後しばらくは、ボランティアの輸送や玉ねぎといった物資の輸送が主な仕事で、本来の業務に戻れたのは夏祭りの頃だったということでした。
 
 3隻持っていた船も流されたのだが、一番新しかった観光船は、船長の判断で沖に逃げたので無事だったのだが、他の2隻はビルの屋根に乗り上げてしまったそうです。映像で何度も目にしたたあの船は、この会社のものだったのですね・・・。
 
 沖に逃げたものの、中々港に帰ることができず、カップめんなどを食べていたとのこと。
自衛隊からもおにぎりを3個、差し入れてもらったそうです。
 
 こうして、本来のバス業務ができるようになったのは、復興が少しずつでも進んでいるということだろうか。
 
 今日は早めにホテルに入り、夕食を済ませた後、歩いて竿灯の会場まで向かいます。
 
 秋田に来るのは、久しぶりで美術館がきれいになっていたのでびっくりです。道端には、秋田名物(?)ババヘラさんも見かけます。食べてみたかったのだが・・・夕食の後なのでおなかがいっぱいで・・・・。
 
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 交通規制が始まる前に席に着かなければならないのでまだ明るいです。
 
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 真ん中の中央分離帯が桟敷席になっています。
途中で出番を待つ町内会の人達に出会いました。
 
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 馬口労町とある。
 
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 町内によって提灯の模様が違います。全部で251本でるそうですが、すべてを見るのはじっとしていル桟敷席では不可能です。提灯の総数は、約10000個で中にはろうそくが灯される。
 
 提灯を操る差し手とお囃子にわかれている。提灯の大きさも、小学3年生以下が担ぐ幼若・4年生から中学生になると差せる小若、そして中若・大若と別れていて、一番重い大若は高さ12m、重さ50kgにもなる。一つの提灯の高さは64㎝で46個がつけられる。
 
 幼若でも、高さ5m重さ5kgなので1人で扱うのはとても難しいです。
こんな小さな子供も参加します、そして何年か後には1人前の差し手となって行くのだ。
 
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 提灯に火が入れられお囃子隊とともに、所定の位置まで進んで行きます。
 
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 竿灯の発祥は江戸中期の宝暦年間と伝えられている。お盆を前に邪気を払い清めるねぶり流しと、五穀豊穣を祈る風習が原形と言われる。
 
 いくつもの提灯を灯して練り歩くこの風習は、歴代藩主の庇護を受けて発展していく。
 
  さあいよいよ開始です。合図とともに、竿灯が立ちあがる。
 
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 竿灯はこんな仕組みになっています。パンフレットから引用しました。
 
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 かざす場所は、手のひら・肩・額・腰があり、もっとも難しいのは腰だそうです。名人になると腰で支えて、両手を使って扇や傘まで扱って見せます。
 
いよいよ演技が始まります。
 
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   手のひらに
 
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 幼とあるのは小さな子供の竿灯だ。じいちゃんと孫といった感じで教えていく。
 
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 ずらっと並んだ共和町の竿灯
 
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   額に
 
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 祭りはまだまだ続きます。
 

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