好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:大阪府 > 河内長野市周辺を訪ねてみました

 天気予報では、後半になるほど雨の降り方が激しくなると言っている。
歩くのには、ちょっと厳しいかなあと思っていたのだが、朝起きてみると、何と止んでいる。
 この分なら、午前中はなんとか持つかもしれないと、早めの出発にした。

 パンフレットなどでは、滝谷駅から三日市町に向かって歩くのだが、地図を見ると反対からの方が解りやすそうだったので、三日市町を出発とした。

 西高野街道、コース距離6.6㎞とあるので、ちょうどいい距離かな。

 三日市町の古い街並
三日市町の通り
 河内長野駅前までは、道路に案内板が嵌め込んであるので、わかりやすかった。
高野街道と
 昭和27年に、建築された駐在所で、往時の様子を今に伝える建物だ。現在は、新型コロナの影響で中に入ることは出来なかった。
旧三日市交番
 高札場
高札
 この辺の道は、城下町の道路の様にかくかくと曲がっている。標識に沿って、こんもりとした山沿いの道を歩いても蒸し暑くてたまらない。
 烏帽子形城跡と烏帽子形八幡神社
烏帽子形城
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 烏帽子形神社は、烏帽子形山の中腹にあり、河内長野市のほぼ中心に位置しているという。室町時代1480年の建立で、重要文化財に指定されている。
八幡神社
 さらに歩いて、天野酒造醸造元の建物までやって来た。雰囲気がいいです。
天野酒造
 ここを曲がった辺りから急な坂道になっていて、登り切ったところにあるのが長野神社です。この地域では、長野恵比寿として知られていて、本殿は室町期の建築とされていて、重要文化財になっています。本殿向かって左にある大きなカヤの木は、とても立派でした。
長野神社
 駅前に到着。観光案内所で、大きな地図を貰って、再び歩き出す。でもここから先は、古い街並も残っていないし、只々歩くという感じでした。
 
 つまらないので、1駅はしょって、手前の千代田駅から、大阪狭山市に向かうことにした。実は昨日、宿で、安藤忠雄氏の作品を紹介する本を見ていたら、大阪狭山市の狭山池博物館がのっていたのだ。安藤氏の建築のファンなのでこれは行かねばと、予定を変更したのだ。
 駅に到着した頃から、本降りになって来て、早めに歩いたのは正解でした。小さな傘しか持っていなかったので、かなり濡れて狭山池に到着。
 じつは、この池が日本で最初のダムなんですって。なんと1400年も前の土木工事を目の当たりにすることができるのだ。もちろん、当時のものとは全く違うが、思いをはせることはできる。
日本最古のダム狭山池
 安藤氏設計の狭山池博物館。
狭山池博物館
 通路を降りて行くとこんな感じ。
水とコンクリートの融合
 滝が、決まった時間に流れてきて見ていたら何だかワクワクしてきた。
滝の様に
滝
 滝を見ながら進んでいくと、円形のコートに出ます。ここのスロープを登って行ったところが入り口になっている。
円形コート
入り口部分
 ここでも、熱を測り、消毒して入場。何と無料でした。大阪市すごい!
目につくのは、巨大な堤の模型と木の樋。
樋
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 この土は、本当の土で、薄い土を貼り合わせて保存してある。これにはびっくりしました。1400年間の歴史が積み重なった高さ15.4m、幅62㎝の堤です。
 何度も修理を重ねて来たことがわかる。
修理の案内図
 改修には、奈良時代の行基、鎌倉時代の重源、江戸時代の片桐且元などが携わったという。
手前から奥に流れる
 昭和の取水塔。池の真ん中などで、上の部分は見かけるが下はこうなっていたのだ。
昭和の取水塔
 大阪狭山市は、高野街道が交わる所でもあった。
案内図
 
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 歩いていて、こんな門扉が・・・。猫だと思うのですが・・・。
猫?
 ここからは、難波に出て、近鉄で帰って来た。久しぶりの難波の地下街にちょっと迷ってしまったわ。

 

 気になっていた塔には、なかなかたどり着けない。
家の前で、タバコを吸いながら愛犬の頭をなでていた男性に尋ねてみる。
 あの塔は、PL教団の塔で、以前は信者でなくても登れたらしいが、現在は耐震不足で閉鎖されているとの事。登れないならば、この辺りで写真だけ撮って帰ろうと思う。
 平和祈念塔といい、1970年に完成したとある。以前PL教団の花火大会に来たことが有るのに、暗かったせいか全然記憶になかった。
PL平和の塔
 富田林西口駅まで戻り、河内長野市に向かう。昼間の車内は、空いていてマスクを外したい衝動に駆られる。何しろずっとリュックを背負って歩いているので、マスクの中は洪水のようになっているのだ。蒸し暑いこの時期は、マスクは本当につらい。
 河内長野市は、中世に出逢えるまちをうたい、中世文化の宝庫ということで日本文化遺産に認定されているという。京と高野山を結ぶ中間点に位置しており、観心寺や金剛寺の2大寺院が隆盛した。
 観る前に、まずはお腹を満たしてあげなくては・・・。駅前のビルの2階のお蕎麦屋さんでざるそばをいただきます。いただきながらこの後の予定を考える。何となく興味があって来てみたものの、具体的にどこを回ろうとは考えていなくて、高野街道を歩くのは明日とだけ決めていた。
 観光案内所を頼りにしていたのだが、何と休み。明日歩くための地図は、PCでダウンロードしてあったのだが、他の資料は何もない。
 ネットで見ていると、天野山金剛寺は、バスでそれほどかからないで行けそうだ。駅前のバス停で時間を調べてみよう。
 バス停に行き、時間を見ると次のバスまで、1時間近くあるではないか。5分前にバスは出てしまっていたのだ。仕方がないので、駅前をうろつく。マンホールを探すためだ。
 このレトロな感じの碑は、高野街道と書いてありました。
高野街道の碑
 ようやくやって来たバスに乗ること、25分ほどで天野山金剛寺に到着。案内板には、
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 社務所で、庭園との共通券を買います。
 境内の建物の内、食堂、鐘楼、金堂、御影堂、多宝塔などが重要文化財に指定されている。
 金堂、平安時代の1172年に創建。内部には、国宝の大日如来三尊像が安置されていますが、撮影禁止でした。
金堂
 建物前の巨石は、雨水が溜まるようになっている。
巨石
 奥に見えているのが、観月亭と五仏堂。
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 観月亭は、南北朝時代、後村上天皇が6年間、食堂を正殿として大政を執っていた時に、ここで月を見たという。
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 五仏堂の中の仏様たち。
五仏堂の大日如来
 平安時代の創建で、豊臣秀頼の修理の際に、大改造されている多宝塔。
多宝塔
 楼門、
楼門
 
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 庭園と宝物館に向かう。国宝の、山水図屏風がみられるのかなと期待したのだが、年に2回ほどの特別展の時だけとの事。ちょっとがっかり。
客殿へ
 大玄関から入り、廊下を渡ったところに、南北朝時代、後村上天皇が、食堂で大政をとられていたころ、北朝の光厳、光明、崇光の3上皇と皇太子直仁親王も4年間に渡り、御座所とされていた奥殿がある。奇しくも、南北朝が同座されることとなったわけである。
 大玄関
大玄関
 宝物館を見て、庭に回りました。枯山水形式で、鶴島、亀島、枯滝などが配置されています。
枯山水の庭園
庭園
 廊下を渡って、奥殿に向かう。
廊下
 畳廊下には、色々な形の明り取り窓が。
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 北朝御座所
奥殿
北朝御座所
 見学が終わって、バスを待っている間に雨が降って来た。
 バスの乗客は、私1人。
 河内長野市からは、南海電車で金剛まで向かいます。今日は民泊なのだ。

 駅に着いた頃には、雨は本降りになってきていた。10分ちょっと歩いて到着。ちょっと変わった名前でした。
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 2部屋あり、1階と2階に別れており、私は2階でした。トイレもお風呂も専用だし、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジもあって長期滞在向き。清潔で快適でした。近くのコンビニまで歩いて向かい、今夜と明日の朝の食料を調達。
 お風呂に入り、ビールとワインを飲みながらテレビを見ながら食事。
 
 
 


 ずっと気になっていたけれど、何となく行きそびれていた町富田林市。新型コロナで、国内しか動けない今行ってみることに、せっかくならひと晩泊まって、河内長野市周辺も歩いてみることにした。JR東海のぷらっとこだまで、大阪に向かう。急がない時には大概このぷらっとこだまを使うのだ。のぞみなどに比べると、2000円ほど安いし、ビールかお茶などのドリンクがついてくる。追加料金を払うとなんとワインと引き換えも可能というちょっとうれしい切符なのだ。
 1時間ちょっとなので、今日はビールにしました。朝の9時前からビールを飲むなんて旅ならではだ。
 
 新大阪からは、地下鉄と近鉄を乗り換えて富田林市に到着。駅前の観光案内所で、地図をもらって出発です。寺内町は、永禄初年頃興正寺の門跡証秀上人が、富田の荒地100貫文で所得し、近くの4ヵ村の庄屋株各2人、計8人に興正寺別院の建立と畑屋敷、町割りなどの建設を要請したことに始まる。

 町内は、整然と区画され、下水路を完備、周囲には竹やぶのある土居をめぐらし、外部からの入り口は4ヶ所にかぎられていた。
 又、早くから自治的都市都市特権を得て、町政の運営には年寄約8人があたった。
 ここは、東高野街道、富田林街道などが交わる交通の要衝であり、さらに農作物や良質の水に恵まれており、近世以降商業地として発展していった。
 今も、寺内町には往時をしのばせる17世紀中頃から明治にかけての町屋が多く残っており、個々としても文化財として価値が高いものであるとともに、東西約400m、南北約350mの寺内町そのものが、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 こんな感じの道を歩いて行きます。
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 最初に、見せていただいたのは、旧田中家でした。沢山の旧家が残されているが、現在もそこに住んでおられるので、見学できるのは、この旧田中家と旧杉山家だけです。
 新型コロナ対策で、熱を測られ、自分の名前と住所、電話番号を記入させられた。これは、感染者が出た時の為らしい。ついでにQRコードを読み込んで、メルアドを登録すると、この辺で感染者が出た場合には、メールが届くのですって・・・。
 整備されたのでとてもきれいでした。明治の建物だそうです。
田中家内部
 東西南北は碁盤の目になっているので、とても歩きやすい。どのお宅も瓦と壁が立派。
寺内町旧家
 城之門筋。とてもすてきです、日本の道百選に認定されている。
城之門筋
 ほとんどの旧家には、庇の下に虫籠窓があり、時代によってデザインが違うらしい。
虫籠窓
 泥棒除けの柵と鬼瓦。
鬼瓦
 民家とは思えない立派な門。
立派な門
 明治中期まで木綿やを営んでいた田守家。主屋は、18世紀前半の建設らしい。
18世紀後半
 寺内町のもととなった。興正寺別院。中には入れず外から・・・。
興正寺別院
 別院あたりからみた城之門筋。
日本の道100選
 木口家。屋号を木綿屋とし、木綿商を営んでいた。主屋は、18世紀中頃の建築と考えられている。
木口家
 旧杉山家は、寺内町創立以来の旧家で、代々「杉山長左衛門」を名乗り、富田林8人衆の1人として経営に携わってきた。
 現存する主屋の建築年代は、土間部分が17世紀中期で最も古く、後に座敷や2階部分を増築し、1747年頃には、ほぼ現状の形になったと考えられている。
 くどのある土間部分。
くど

 ここでも入る時には、熱をはかり消毒し、名前・住所・電話番号を記入します。
杉山家入り口
 民家の中でも最も古く規模も大きく質の良い商家の住宅として、重要文化財に指定されています。
座敷を見る。
杉山家
 奥座敷部分。1734年に増築された数寄屋造りの洗練されたもの。この奥に厠がある。
床の間
 奥座敷から見える、路地には茶室もありました。
茶屋
 2階は、現在解放されれていなくて残念。旧家に螺旋階段でした。意外!
螺旋階段
 庭に回ります。庭から見た主屋。
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 お庭は、池は無く石組と植物だけ。元々はどうだったのか?
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 椅子のような石。
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 この後は、町歩きの時からずっと気になっていた塔に少しでも近づいていきたいと思う。何だろう?
 
 

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