好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:九州 > 五島列島巡礼の旅

  昨日、空港行きのバス停を確認しに行ったら、何とバスの便数が大幅に減っていて焦ってしまった。
搭乗便は、朝の9時40分だったので、7時台のバスで空港に行き、ラウンジでゆったりするつもりだった。少し前に確認した時にはちゃんと運行されていたのに・・・・。
 一番早い便でも、空港に到着するのが9時5分となっている。渋滞にあったらまに合うかどうかも怪しくなって来る。とはいってもこれしかないので選択の余地はない。
 コロナ禍での旅行は、こういう事が頻繁に起こる。特に東京、大阪以外は影響を受けるのだ。

 朝ご飯前に、近所を散歩。出島が近いのだ。入場は出来ないので、外を1周しました。
出島
 日本最古の神学校ですって。
最古の神学校
 空港行きのバスは、途中から遅れ始めドキドキ!!!
 25分くらい前に到着、荷物を預けなくてはいけないので、ダッシュでカウンターに向かう。

 飛行機は、少し遅れて離陸。
大村湾
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 雲仙でしょうか。
雲仙
 忙しかったけれど、教会に絞った旅はそれなりに楽しかった。お魚もおいしくて、一年分の刺身を食べた気がした。
 気になったお土産を紹介してみます。この時は、GO-TOのクーポンがまだもらえなかったのであまり購入しなかったのだが、マンゴーサイダー。
マンゴーラムネ
 上五島の教会が、描かれたクッキー。
教会クッキー
 ツバキ油を使う五島うどん
五島うどん
 五島でできたワイン。私達が、買ったので一時的にお店から無くなってしまった。
五島のワイン
 

 午後3時過ぎに長崎市内の浦上天主堂に到着。爆心地から500mにあったため、大きな被害をうけた。
小川に吹き飛んだ鐘楼の一部。
鐘楼
崩れ落ちた鐘楼
 当時のまま残っている石垣。
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 昔訪ねたとき、被爆した石造は、教会の建物周りに立てかけられていた記憶があったのですが、綺麗に整理されていました。
遺産
 浦上天主堂
浦上天主堂
 被爆のマリア像の実物は見られなかったので、写真で。
原爆マリアの写真
 拷問石。
拷問石
 続いて、26聖人殉教記念碑に向かう。1597年2月5日、秀吉のキリシタン禁止令により、フランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が、この西坂の地で処刑された。そして、1962年、この地での最初の殉教者のレリーフを刻んだ記念碑と記念館ができた。
 
26人聖人の碑
 隣には、サクラダファミリア風の教会は、26聖人の1人、メキシコ人フィリッポに捧げられたフィリッポ・デ・ヘスス教会で今井兼次氏設計です。
聖フィリッポ西坂教会
 記念館に入ります。時間がないというので、ものすごい駆け足での見学です。
26聖人記念館
 禁教時代の資料などが展示されています。
1624・1627年の殉教者の名が刻まれた銅板。
1624・1627の殉教者の名が刻まれた銅板
 弥勒菩薩
弥勒菩薩、6~7世紀
 ピエタ
ピエタ

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 日本風のステンドグラス
ステンドグラス (2)
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ツバキ
 ザビエル
ザビエル
 最後は、大浦天主堂へと移動。1865年、この教会のプチジャン神父に数名の男女が信徒であることを告白。250年間にもわたる長い間、神父不在の中で信仰が受け継がれて来た驚きの信徒発見が有った場所です。
 ツアー本体は、この後空港に向かい羽田へと帰るのですが、名古屋便は減便になっているので私はタクシーでホテルへ向かったのでした。

  ホテルには、公園が隣接していました。
庭園
 奈良尾の集落
奈良尾集落
 今朝の朝食
朝食
 訪問はしていないけれど、バスの中から見た民家の様な建物の若松大浦教会。十字架があるので、教会かなあと思うが・・・。昭和20年代に民家を買い取って、地区の信徒によって造られたクスノキのマリア様が安置されているそうだ。
若松大浦教会

 水鏡で有名な中ノ浦教会ですが、この日は風が少しあり先日ほど美しい姿を映してはいなかった。
側面から
1925年建築
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 五島には、空海だけでなく最澄も立ち寄っていて、遣唐使の時代に入唐成就のお礼参りに山王山に登ったと言われている。
最澄が立ち寄ったという滝
 青方教会は、町の中心なので信者さんも1000人程いらっしゃるそうです。現在の建物は、2000年に建設された。
青方教会
 冷水教会に向かったのだが、ミサの最中だったので、先に青砂ヶ浦教会を訪れることになりました。
 
青砂ヶ浦教会堂

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 2010年に、100周年を迎えその祝いに手を入れ過ぎてしまったので、世界遺産のリストから外されたが、ステンドグラスがふんだんに使われているとてもきれいな教会でした。
1910年建設
鉄川与助設計施工
 先に訪れた冷水教会が見えている。
冷水教会遠望
 階段を少し登った高台に建っています。
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鉄川与助
 これで予定していた、教会はすべて訪れることができました。かなり忙しかったけれど・・・。
 これは、レンガ造りのお寺の門。レンガと言うのは珍しい気がする。
レンガ造りの寺の門

 有川港に向かい、早めのお昼をいただきます。天婦羅にお稲荷さんという組み合わせは、ちょっと重たくて申し訳ないが箸が進みません。
 こちらのお稲荷さんは、ご飯をくるんでいた。
五島のいなり
 港の中にある、捕鯨ミュージアム。江戸時代から盛んだったそうで、ひげや歯で作る製品、捕鯨の道具の移り変わりなどが展示されていました。
 これ鯨のヒゲです。これで、プランクトンを濾してたべるのだ。1m以上ある気がする。
鯨のヒゲ
 有川港ターミナル、クジラの形をしているらしいが・・・・。
有川港ターミナル
 坂本龍馬の大きな像が有りました。彼が、グラバーから買い入れたワイル・ウエフ号は、大暴風雨にあって遭難し、12名の同志が若くして亡くなった。龍馬は、この地に駆けつけ慰霊碑の建立を依頼したという。
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 12時15分、佐世保に向けて出発。本来は、長崎行きの高速船を予定していたのだが、土壇場になって休航になってしまったので、大回りを余儀なくされてしまい、この後のスケジュールが何だかあわただしくなってしまったのが残念でした。
 さよなら、五島!
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 この船が、ものすごくゆれてかなりきもちがわるい。あと10分余分にかかっていたらやばかった。

 佐世保港です。前回訪れたときとは、全然違って綺麗になっていてびっくりでした。
佐世保港
 ここからバスで、長崎まで向かう。

 前から見ると教会とは見えない仲知教会は、中に入ると素敵なステンドグラスの光で満ちてました。よく見ると聖人のお顔が日本人になっている者も・・・。モデルは、地元の神父さんだそうです。1881年に最初の教会が、26聖人の聖ヨハネ五島に捧げられたという。現在の建物は、1978年に建てられた。
仲知教会
 斜面に小さな畑、眼下に海を臨む集落にたたずむ小さな可愛い教会が江袋教会だ。1882年に建てられた教会は、現役の木造教会としては県内で最古だったが、2007年、漏電による火災で焼失してしまった。その後、全国の支援を受けて、2010年に復元された。
 白いペンキにヤシの木、のんびりとした気分になりました。
ヤシの木の江袋教会堂
正面から見ると。2018年、バチカンの枢機卿に任命された前田氏は、この教区の出身だ。
2010年復元
 続いて、丸尾教会。1972年に建立された。鉄川与助氏は、この丸尾の出身です。
丸尾教会堂
 ようやくお昼をいただけます。メニューあ、五島うどんの地獄炊きと海鮮丼でした、お店の名前が愉快で、「麺,sはまさき」。
五島うどん地獄焚き
海鮮丼
 シロナガスクジラの顎骨の鳥居がある海童神社にやって来ました。五島にも神社やお寺は結構あるのだ。
海童神社
 五島の有川地区は、かつて捕鯨で栄えており近くに捕鯨ミュージアムもある。この神社のある丘は、かつて島だったそうだが、ターミナルができる時に埋め立てられて陸続きになった。
 祠があるというので行ってみました。かつては神殿もあったそうだが、現在はない。恵比寿様と竜神様が祀られてる。
祠
 蛤が、とれたのでハマグリ浜の名がついた海水浴場です。今年は、コロナの影響で砂浜が汚れています。
ハマグリ浜
 かつては、上五島にも空港が有った。小さなプロペラ機が、飛んでいて最盛期には結構にぎわったのだが、今は廃港となってしまっている。
 今回の台風で、看板が飛んでしまいこんなことになっていました。
旧上五島空港
 滑走路はそのまま残っている。
使われなくなった滑走路
 現在は、世界遺産の関連遺産のある頭ヶ島に向かうシャトルバスの待合所になっていました。
 頭ヶ島の集落を上から見たところ。
頭ガ島集落
 幕末に移住が始まり、1軒をのぞいてキリスト教徒でした。迫害が激しくなり、五島崩れが起きたとき信徒たちは、牢屋を逃げ出し一時島を離れたが、禁教が解かれるとこの地に戻って来て、初代の教会をたてた。その後、鉄川与助に発注し、現在の石造りの教会堂が1919年に完成した。石は、近くの島から切り出したものを信者たちが船運び組み立てた。
 
頭ヶ島教会堂
世界遺産の構成文化
 内部は、船底天井で柱の無いのが特徴です。後ろに回ると、ステンドグラスを造る予定で、断念したのか切り込みが残っている。
ステンドグラスを作る予定だった
 重要文化財でもある。
石造り、1917年鐵川與助設計
 近くには、キリシタン墓地がありました。
キリシタン墓地
 赤い橋を渡って、
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 やって来たのが、鯛の浦教会です。新旧の教会が並んで建っていました。旧鯛の浦教会を横から見たところ。上五島の布教の中心として1881年最初の教会が建てられ、その後、1903年に現在の旧鯛の浦教会が建設された。鐘楼には、浦上天主堂の被爆レンガが一部使われています。
旧鯛の浦教会堂側面
 中は、資料館になっていました。
入り口部分
マリア母子像
 手前が、新しい教会で1979年に、幼稚園の跡地に建てられた。保護者「聖家族」像が安置されている。
新旧鯛の浦教会堂
 教会巡りも、最後の1つとなりました。回れなかった分は、明日の午前中に回るそうです。
 周りが暗くなりかけてきたころに到着した大曽教会は、高台に建っていました。
 1879年に木造教会が建てられ、1916年、鉄川与助に発注して現教会が建立された。八角形のドーム型鐘楼や、色の違うレンガを壁面に使用しているのが特徴である。
大曽教会堂
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 側面
鐵川與助設計1916年
浦上天主堂の被爆レンガ使う

 窓から中を覗いてみると、
ステンドグラス輝く
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 今日はたくさん歩いた。教会巡りが、こんなに歩くとは思っていませんでした。
 お楽しみのホテルの夕食は、
前菜
 これはサツマイモ饅頭というもの。あんかけになっていて、美味しかったです。
サツマイモ
 

 天気予報は、かんばしくなかったが、実際は結構いい天気になって来た。

 朝食も手の込んだものでした。
朝食
 中通島の最北端に位置する津和崎港を目指して出発です。途中、水鏡に映す美しい姿が印象的な中ノ浦教会が見えました。
水鏡の中の浦教会堂
 びっしりと並んだ島のお墓。文字が金色で造花をお供えするのが特長だそうです。
島の墓地
 形が、トトロに似ているのでトトロ島と呼ばれている。
トトロ島
 高い所に、青砂ヶ浦教会が見えている。この教会も明日訪れます。台風でやられたのでしょうか?ブルーシートの屋根が見える。
青砂ヶ浦教会堂遠望
 天気の回復と共に、海が光って来ました。
ひかる海
 遠く山の中腹に見えているのが、赤波江教会です。1870年代、カトリックヘの復帰に尽力した伝道師たちの拠点でした。現在の建物は、1971年に完成したもの。
 津和崎港からは、船に乗り換えて野崎島に向かいます。バスのガイドさんと運転手さんに送られて出航!
タクシー
津和崎から
 20分ほどで、今は無人となってしまった野崎島に到着です。ビジターセンターで。届け出を済ませます。ここの集落跡も、世界遺産の関連遺産に認定されています。
 野崎島は、島の北部にある沖ノ神嶋神社が崇敬を集め、霊地として一般の人々が生活を営むことは出来なかった。19世紀までに、居住していたのは島の東岸に位置する野崎集落の一ヵ所に限られていたが、中頃になると各地を転々とした潜伏キリシタンが移住してきて、中央部に野首集落、南端に舟森集落を形成した。
 潜伏キリシタンは、神社の氏子となって神道への信仰を装い、ひそかに維持していく。カトリックへの復帰当初は、禁教期の指導者の屋敷を「仮の聖堂」としていたが、舟森には1881年に、野首には1882年にそれぞれ最初の木造の教会が建てられた。
 そして、1908年には、3代目のレンガ造りの教会が信徒たちが、キビナゴ漁でためたお金によって建てられたが2001年に、最後の住民が離村したことによって、教会守り以外の住人がいなくなってしまった。
 我々は、その野首教会を目指してかつての畑や、住居跡などの中を歩きます。
神社跡。狛犬が残っている。
神社でした

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 野崎集落の耕作地だったところ。
耕作地だった
 眼下に砂浜が見えている。
砂浜
 こちらは、野首集落の耕作地だった所。
野首集落跡
 野首教会が見えてきました。
旧野首教会
 この教会は、本来ならば中も見学できるのですが、台風で壁なども損傷して危険だということで外観だけの見学になってしまった。残念。
1908年銕川與助設計
 鉄川与助が初めて手掛けたレンガ造りの教会で、レンガは長崎から、ステンドグラスはヨーロッパから取り寄せた。当時のお金で2885円(2から3億)もかかったという。
村人達が建てた
 たびたび登場する鉄川与助とは、長崎を中心に多くのカトリック教会建築を手掛けた五島出身の棟梁であり、建築家である。布教にやって来た宣教師のもとで西洋建築を学び、日本の教会建築に貢献したが自信は生涯仏教徒であった。20歳の頃から、教会堂建築を手掛け、30代半ばに大浦天主堂に隣接する大司教館の建築で、ド・ロ神父と出会う。以来様々な事柄を神父より学び、後の仕事に反映されたという。
 せっかくなので、旧小学校を利用した研修センターも見せていただいた。
学校だった
 港に戻る途中、鹿の親子に遭遇。
鹿
 まだ時間があったので、廃墟となった野崎集落を歩いてみました。
野崎集落跡
 その辺から、誰かが飛び出してきそうな気がする。

 復元された神官の屋敷。
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神官屋敷

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 ビジターセンターに展示してあった、神官と神父の法服。
神父と神官
 津和崎港に戻り、仲知教会に向かいます。


 江戸幕府と同様、新政府明治も、キリスト教を禁止した。
久賀島から始まった、五島崩れと呼ばれるキリシタンの大弾圧から逃れるために、若松島の4家族8人が約3か月間洞窟に隠れ住んだ。しかし、朝食を作る煙を見つけられ、捕えられて拷問を受けた。
 いつしかキリシタンワンドと呼ばれるようになる。1967年、入り口の崖の上に3mのキリスト像が安置された。しかし、実際に行ってみると洞窟は見えません。
キリシタン洞窟
 年に一度、波の穏やかな時岩場でミサが捧げられるとのこと。その様子を写真で見せてくれた。
洞窟でのミサ
 近くにあるハリノメンドと呼ばれる岩礁。穴のシルエットが、聖母子像に見えるというが・・・。
ハリノメンド
 夕方近く新上五島町の若松島の港に着いた。今日のホテルは、橋を渡って中通島の一番南に位置する奈良尾地区にある。バスに乗り換えて向かいます。
 若松大橋、この橋ができるまで若松島の子供達は、船で学校に通っていたという。低学年の子供達にとっては大変でした。
若松大橋
 奈良尾湾に面して建っている小さな教会が見えて来た。高井旅教会だ。慶長年間に奈良尾にやって来た紀州の漁師が移り住んだ集落で、その後外海から逃れてきた潜伏キリシタンが移り住んだ。1939年、住人が集団で洗礼を受け、1961年に現在の教会ができた。赤い尖がり屋根がとてもメルヘンチックです。
高井旅教会
 ホテルは、奈良尾港を見下ろす位置に立っている。そこかしこにこだわりを感じました。
夕方と朝の港。

奈良尾港
 
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 ホテルマルゲリータ奈良尾外観。
ホテル外観
 温泉もあるというので楽しみにしていたのだが、何と何と施設の修理中とかで入ることができなかった。残念!お詫びにと値引きとお土産をいただきましたが・・・。
 フロント付近
マルゲリータ奈良尾
 ホテルの売りは、和食ということで美味しいご飯をいただきました。一部紹介してみます。
夕食
 五島牛
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 カキのてんぷら、苦手な私でもおいしくいただけました。
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 そして刺身盛り合わせ。
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 お腹いっぱいでも目が食べたいといっている。
明日は、中通島の一番北の港津和崎まで向かい、野崎島に渡ります。

 
 福江港ターミナルに到着、ここから船に乗ります。
福江ターミナル
 マスコットキャラクターのツバキネコ。
ツバキネコ
 大きなバラモン凧が飾ってあった。毎年大会があるそうだが、今年はコロナもあるしどうなるのだろうか?
大きなバラモン凧
 チャーター船はこれです。クリスチャンであるガイドさんが、とても丁寧に説明してくれた。潜伏キリシタンで有名なので、クリスチャンが多いと思ってしまうが、実はそれほど多くはなく仏教徒の方が多いそうです。
チャーター船
 五島市が、人口の1割弱で、新上五島町の方が、少し信者さんの数は多いがそれでも2割にも満たないという。
 最初に訪れた久賀島は、人口300人で信者さんは60人だそうだ。ここには、新旧の五輪教会が有ります。向かって右のオレンジの建物が、新しい五輪教会。
新旧の五輪教会
 海から見た旧五輪教会堂。普通の日本家屋の様にも見える。右端で梯子に登っている人物が、管理人です。台風で、窓が壊れたので応急修理を行っている所です。
船から見た旧五輪教会
 舟着き場からはすぐ。浜脇教会が、1931年に建て替えられたとき、解体して島の北東の五輪に運ばれ教会堂として移築された。その後、1985年に老朽化が進んだとして、新教会がすぐそばに建てられたが、貴重な文化財として守ろうとの声が上がり、残されることとなった。1881年に建てられた旧五輪教会は、現在国の重要文化財に指定されており、中は資料館として一般に開放されています。
入り口
 建物前の桜は、1931年の移築当時に、植えられたというが直前の台風で倒れてしまった。
文化財です
 教会には珍しい雨戸が備わっているので、台風被害が最小限に抑えられたのではないかとの事でした。右上のステンドグラスが、壊れました。
雨戸がついている
 世界遺産の関連遺産という印。
構成遺産
 中に入ります。入り口部分は、日本家屋の屋根。
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 内部は、板張りのリブ・ヴオールト天井です。
1881年建造
祭壇はゴシック風。

祭壇
 懺悔室はこんな感じ。
告解
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素朴なステンドグラス風窓。
素朴なステンドグラス
 再び船に乗って、奈留島を目指します。ここには信者さんたちが苦労して建てた可愛らしい、江上天主堂がある。船着場から10分ほど歩くと丘の上に可愛らしい青と白の建物が見えてくる。
 途中のバス停は、可愛いハートの形をしてました。
ハートのバス停
 
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 江上は、1881年に4家族が洗礼を受けたことに始まり、教会ができるまで葛島の主任神父が信徒の家でミサを行っていた。1906年、この地に簡素な初代教会堂が建てられた。そして、1918年に50余りの家で、キビナゴなどの地引網をした利益で現在の本格的な教会堂を建立したのだ。信徒たちは、木を切り払い敷地を確保し、各地で教会建築を手掛けていた鉄川与助に設計施工を依頼した。
銕川與助設計
 建物前の砂利を敷いたり、ペンキの塗り替えなど現在も信徒たちで守っているそうだ。湿気を避けるため高床式にして、屋根の庇の下にも、通風孔がつくられている。風土的特徴と西洋的特徴が融合した建築となっており、鉄川与助の代表作として重要文化財に認定され、世界遺産の関連遺産でもある。

 ここは申し込めば、内部の見学もできるのですが、コロナの影響でかないませんでした。
横から見たところ
 瓦にも十字架の印がある。
瓦にも十字架
手書きの花
 船に戻って、海からしか見えないというキリシタン洞窟に向かいます。

 部屋からの眺め。
部屋から
今日の朝ご飯は、ホテルではなくて漁師食堂でいただくことになっているので、少々早めの7時半にホテルを出発した。本来は、魚市場のセリを見学したのちにということだったのだが、コロナの影響でセリを見学するは、遠慮してほしいと言われてしまったのだ。
 威勢のいい大将の出迎えを受けました。
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 朝食はこんな感じで、五島の名物でもあるキビナゴ、イワシのハンバーグなどが並んでいる。あら汁もつきました。
朝食です。あら汁がつく。
 そしてタイのお刺身は、おかわり自由でとてもおいしかった。もちろん天然ものです。
鯛の刺身はおかわり自由
 
 食後は、バスの中から武家屋敷通りやお城の石垣を見ながら進んでいく。武家屋敷の塀の丸石は、敵を攻撃するためと防犯の為だという。のせてあるだけなので、石を投げて武器にしたり、塀を越えようとすると崩れて住人にわかってしまうのだ。
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 江戸時代の終わり、1849年に、5万人の工夫、2万両を費やして築城した3方を海に囲まれた海城だったが、わずか9年で解体されてしまった。
石田城の濠
 魚津ヶ崎公園と書いてぎょうがさきとよみます。島の北部、西海国立公園内に位置し、遣唐使船日本最後の寄港の地で、ここで風待ちをして唐に向かっていったという。何故か、蛇口が2本残されていた。
水道だけ
 ここからほど近い場所にあるのが、水ノ浦教会だ。寛政年間、外海神の浦から移住したと伝えられる5人の男性とその家族によって水ノ浦のキリシタン史は始まったという。現在の教会は、1938年に、鉄川与助設計施工によって建てられた。「白い貴婦人」と呼ばれ、修道院もあります。信者さんのおられる教会は、すべて内部には入ることができない。
白亜の教会
奥の建物が修道院
 ルルド
ルルド
 十字架の道行きが有り、ゴルゴダの丘までのイエスの跡をたどることができる。
十字架の道行き
 貝津教会には、道路から少し歩いて向かう。大正13年、1924年建立のこじんまりとした教会だ。
貝津教会
 ステンドグラスがとても美しいらしいが、入ることはできないので、看板から・・・。
ステンドグラス
 近くにある高浜ビーチは、福江で一番美しい砂浜と言われているらしいが、直前に通過した2つの台風の影響でこんな感じでした。
台風の置き土産
 五島は、近大まぐろの養殖も行われていて、いけすがいくつも並んでいた。いけすの中をぐるぐると泳いでいるのだという。
近大まぐろの養殖
 道端にひっそりとある、モニュメント。今は無くなってしまった教会です。台風で1987年に倒壊してしまい、信者さん達は、現在井持浦教会に通っている。
モニュメント
その井持浦教会(いもちうら)
井持浦教会
 入り口からのぞいた内部の様子。
内部
 1897年建立のレンガ造りの教会堂は、1987年の台風でやはり倒壊してしまい、翌年現在の建物となった。
 ここのルルドは、ペルー神父が、ルルドの模型がヴァチカンにできたことを知り、五島の信徒に呼びかけ石を集めて、日本最初のルルドとして1899年に造られたものだ。
日本最初のルルド
 大瀬崎断崖展望台までやって来た。絶壁の上に建つ白い灯台は、映画「悪人」のロケ地です。
大瀬崎断崖
大瀬崎灯台
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 3か所の展望台からは、様々な光景が楽しめます。

 福江の観光は、これにて終了。お昼をいただいた後は、チャーター船で久賀島に向かいますが、その前にお昼をいただきました。
 ニューパンドラと言う変わった名前のお店でいただいたのは、鯛茶漬けとウツボの酢味噌かけ。きびなごとイワシの練り物はここでも提供されました。
鯛茶漬けとウツボ
 目を引いたのがお店に飾ってあった写真。にらみをきかせているこの鳥は、ハチクマという猛禽で、渡り鳥で、蜂を好んで食べるのでこの名がついた。
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 この後、福江港にむかいます。

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