2重カルデラの島、上陸困難の島と聞いたら、誰もが行ってみたいと思うのではないだろうか。
そのキャッチフレーズに、私も引かれて行って来ました。
ツーアが催行できるかは、一月前のヘリコプターの予約がとれるかにかかっている。
そのヘリは、座席数9個しかないのだ。フェリーもあるのだが、こちらは夏の時期以外は、就航率がものすごく悪く、上陸が日本一難しい島とのキャッチフレーズが生まれたようだ。
八丈島まで、早朝のANA便で向かう。羽田は、さすが首都の空港といった感じで、6時というのに沢山の人々で賑わっていた。
私は、前日羽田に近いホテルで前泊し、当日空港まで送ってもらいました。集合が6時半なのでとてもじゃないが間に合わない。新幹線から見た富士山は、積雪はほとんど見られなかった。

羽田空港には、クリスマスツリーも飾られていましたよ。
体重を申請し、荷物の重量を計る。5kg以上だと、追加料金がかかるのだ。
ヘリの席は自由席です。

ヘリの席は自由席です。

この日は、天気が良くなくてちょっと残念である。青ヶ島に到着後、直ぐに観光する予定だったからだ。後で知ったのだが、八丈も青ヶ島も雨の多い島で、年間200日位は雨が降るという。
20分ほどで、青ヶ島のヘリポートに到着。
ヘリは我々を降ろすとすぐに乗客を乗せて引き返すので、羽根は回ったままです。
そして、かっきり5分後には離陸をして、八丈に向けて飛び立って行きました。
我々は、歩いていったん民宿に向かいチェックンをしすぐに観光に出かける予定だったのだが、天候が良くないので、お弁当をいただいた後、12時半に出発することとなった。
青ヶ島は、海底火山が隆起した島なので、人々が住んでいるのは、島の北部の切り立った断崖の上のみである。東京から、358km、伊豆諸島の最南端に位置する。人口170人、周囲9km。
青ヶ島が、歴史に登場するのは15世紀だが、それは海難事故の記録ばかりだという。1785年の天明の大噴火では、100名を超える島民が犠牲となったが、八丈島に避難した人達は、1824年にようやく帰還することができ、そこから新しい青ヶ島の歴史が始まった。
20分ほどで、青ヶ島のヘリポートに到着。





青ヶ島が、歴史に登場するのは15世紀だが、それは海難事故の記録ばかりだという。1785年の天明の大噴火では、100名を超える島民が犠牲となったが、八丈島に避難した人達は、1824年にようやく帰還することができ、そこから新しい青ヶ島の歴史が始まった。