好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:関東 > 北関東の古墳を旅する 


 群馬県立歴史博物館に隣接している群馬県立近代美術館は、磯崎新氏設計によるものだ。
今回は、時間が無くしかも月曜日の休館日だったので、入場することはできなかったのだが、外観は確かめることができた。 
磯崎新設計群馬県立近代美術館

 玄関横に置かれている圧倒的存在の大きな馬は、大好きな彫刻家ブルーデルによるものだ。
ブルーデルの馬


 ハラミュージアムは、渋川市の郊外にあるので、まず列車で渋川市に向かいバスに乗り換えてグリーン牧場で下車。そこから歩くこと約8分くらいで到着。田舎のバスは、料金がどんどん上がっていって、まるでタクシーのメーターの様でした。

 入り口でチケットを購入するシステムになっていて、敷地内全体が美術館となっていました。
現代アートというと、わかりにくいとかで敬遠されがちですが、どの作品も楽しむことができた。体験型の作品も多く、こういう見せ方も有るんだなと感心・感動してしまった。

 残念ながら建物内の作品は、撮影禁止なのです。

 ここも、磯崎新氏によるもので、ピラミッドを連想させる建物の形と、作品の配置が絶妙です。遠くに連なる山々も作品の様で、何だか大きく息を吸いたくなって来る。

 
カフェ


 本館
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磯崎新設計

 
群馬県の山

 ステンレスの丸い建物は、これ自体が作品になっていて、中に入るとプリズムの変化が楽しめるようになっていました。

 オラファーエリアソンの作品で、天空を横断する太陽の軌跡を、年間を通して視覚的にとらえる観測所との事。完成には、構想から4年を費やした。
オラファーエリアソン作品

 扉を開けて入ると、
プリズム
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  こちらから本館を見たところ。右側の小さな浮いたように見える建物は、特別展示室觀海庵で、ここには、日本画なども展示されていた。
芝庭から見た原ミュージアム

 左側の、長い部分は廊下になっていてこんな感じでした。
長廊下木製です

  正面アプローチ、赤と黒と白のコントラストが素敵。
本館入り口

  日本列島をベンチに見立てて、
日本列島のベンチ

  

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 おなじみのスープの缶詰
作品

  


 稲荷山古墳から出土した国宝の「金錯銘鉄剣」をまず見学します。こうしたものが、東博ではなくて、地元で見られるというのはうれしい事です。 

  表側
国宝の剣表

  銘文
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  裏
国宝の剣裏
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  水鳥
水鳥
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  顔を赤く塗っている、兜をかぶった男子。
顔が赤い

  鴻巣に移動して、吉見百穴を見学します。背中からじりじりと太陽が当たる。
吉見百穴

  興味があったのだが、想像していたより狭くてちょっとがっかり。

  古墳時代の末期、6世紀末から7世紀後半にかけて造られた横穴墓群である。死者が安置された主体部は、古墳時代後半の石室とほとんど同じだという。
  現在確認されているのは、219基。
集合墳墓

  ここにはヒカリゴケが生育しています。のぞいてみたが、光っているとは思えなかった。

  また昭和19年から20年にかけては、軍需工場が造られ、ここの大きな洞窟も工場の跡である。以前は、見学できたのですが、今は危険だということで外からのぞいただけです。
工場跡

  石室は、横穴墓の場合追葬を前提としているので、1つの石室に複数の死者が葬られた。
2床ある

  展望台からは、条件が良ければ富士山も見えるそうです。

  これで、古墳の旅は終了。鴻巣駅での解散となりましたが、蕨の変電所の火災の影響で、電車が止まっているとの情報あり。心配したが、高崎方面は、復旧しておりほっとする。

  近くの人は、タクシーで私鉄に向かい、新幹線に乗る人は、熊谷駅まで振り替え輸送が行われたようです。

  私は、遅れも無く6時には高崎駅前のビジネスホテルに到着。明日は、目的の「ハラミュージアム」を訪ねて渋川市に向かう予定です。

  そうそう、群馬でガイドをしていただいた方から、こんなものをいただきました。

  古墳カードだそうです。出来立てのほやほやだとか・・・。
古墳カード


 広かった! 

 良く整備されていて、感心する。これなら大人も子供も楽しめるだろうな。 

 ガイドさんと共に、まずは、丸墓山古墳へ向かう。この古墳前の道は、戦国時代に忍城を水攻めする時に築いた堤の跡と言われているそうです。
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 国内最大級の円墳。6世紀前半の築造と考えられる。
丸墓山古墳
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 登ると結構高さがあり、見晴らしがいい。忍城も見えるではないか。
忍城が見える

 隣の稲荷山古墳。綺麗な形をした前方後円墳だな。
隣の稲荷山古墳

 こちらは、もう少し奥に位置する将軍山古墳だ。
将軍塚古墳

 国宝の金錯銘鉄剣などの遺物が出た稲荷山古墳に登ります。
稲荷山古墳
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 5世紀後半の築造と考えられている。

 墳頂には、埋葬施設の様子がわかるようになっています。
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 この部分だ。
埋葬施設の有る所

  前方部から後円部をみる。
前方部から後円部を

 将軍山古墳、登れませんが、実物の石室を建物の中から見学できるようになっています。
将軍山古墳
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 馬具が目立つ。
将軍山古墳の石室の復元

石室に使われた房州石。軽そうに見える。
将軍山の石室に使われた石


二子山古墳。武蔵の国で、最も大きな前方後円墳で、6世紀前半の築造と考えられている。
二子山古墳
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瓦塚古墳。これまでのものと比べると小さな前方後円墳。
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鉄砲を撃つ練習をしたので鉄砲山古墳と呼ばれている。瓦塚古墳と向かいあうようにある前方後円墳。
鉄砲山古墳

それにしても、古墳の密度が濃い。これでは、それぞれの古墳がかぶってしまうんではないかと心配してしまう程だ。
この後は、出土品を見て最後の見学地吉見百穴に向かいます。 


 古墳を求める旅も今回は今日が最後。 
ということで、見どころがいっぱいの一日になります。

 まずは、高崎市倉賀野町にある2つの古墳を紹介してもらった。ただし、どちらも民間地なので遠くから眺めるだけで、畑に運用されていました。

 まずは、浅間山古墳。全長171.5mの前方後円墳で、群馬県内においては太田天神山古墳に次いで2番目の大きさがあるそうです。築造は、4世紀末から5世紀初頭と考えられていて、当時は東日本最大の古墳だった。前方部2段、後円部3段になっています。
 名の由来は、上に富士浅間神社あったからだが、現在は姿を消した。
浅間山古墳

 続いて、大鶴巻古墳。全長123mの前方後円墳で、平坦地に土を2段に盛りあげて造っている。墳丘の周りには、盾形の周堀を巡らしていて、原型が残っている。未調査であるが、竪穴の埋葬施設が存在すると考えられていて、4世紀末から5世紀の初頭の築造と思われる。
大鶴巻古墳


 車で少し移動して、沢山の埴輪や副葬品が出土した観音山古墳に向かった。観音山古墳の周辺には、古墳が集中していて、綿貫古墳群と呼ばれている。

 観音山古墳は、6世紀後半に造られた前方後円墳です、墳丘長は、97m、葺石はない。周堀が2重に巡っていて墳丘は2段に造られている。
観音山古墳

 発掘調査は、1968年に行われ、未盗掘だった横穴石室から膨大な量の副葬品が出土した。それらは、国宝に指定され、歴史博物館に展示されています。
観音山古墳の埴輪

 石室入り口
観音山古墳石室入り口

 
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  内部
観音山古墳の石室内部

 副葬品や埴輪を見るため、博物館に移動。限られた時間なので、企画展と国宝展示室を見学した。
群馬県立歴史博物館

  3人の童女
3人童女、
3人童女の後ろ姿

  観音山古墳の模型。埴輪列がよくわかる。
観音山古墳模型

  正座する女子
正座する女子

  飾馬と馬子
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飾馬と馬子

  振分け髪の男子と武人
振分け髪の男子と甲冑武人

 後姿
武人の後ろ姿


 盾持人。頭の飾りが興味を引く。耳飾りに首飾りもつけている。
盾持人


  副葬品の、銅水瓶。法隆寺にも似た水瓶がある。
副葬品銅水瓶

  20個の金銅鈴がついた大帯。
金銅スズ付大帯

  馬を飾り立てる馬具。朝鮮半島に新羅に系譜が求めることができる。
金銅製の馬具

  韓国の百済の王陵から出土した鏡と同型鏡の獣帯鏡。
獣帯鏡

  柄の部分の銀象嵌が素晴らしい大刀。
象嵌

  新しい発掘品のコーナーから。高崎競馬場遺跡からの出土品。
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高崎競馬場遺跡出土

 弥生人かも・・・。


 この後は、埼玉県に移動して埼玉古墳群を見学するので、今日のお昼は遅くなりそうです。

  


 藤岡町に到着した頃には、4時近くなっていた。古墳の見学の時間としては、少々焦る時間帯ではあるが、サービス精神の塊のようなガイド氏の話は少々長い。 

 まずは、歴史館を見学する。
首飾りをつけた埴輪
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  藤岡市全体で、1511基(2017年)の古墳が確認されているが、歴史館の有る白石地区は、そのうち20%が存在する古墳の密集地であったという。

 まずは、ゴルフ場の隣に位置している白石稲荷山古墳に向かう。伸び放題の草むらの中を進んで、頂上へ。桜の大木があり、春には美しい花を咲かせる
白石稲荷山古墳

  
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  2019年の地中レーダー調査で、左右対称である事、墳丘が3段である事などがわかった。また、この古墳は、武蔵の国の方を向いおり、墳丘より大きく見せることや、どこからでも見ることができるよう、わざと河岸段丘の急斜面に接するように作られている。斜面を石で覆い、沢山の埴輪を並べ、「他者の目」を強く意識していたことがうかがえる。

 前方部
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  途中、古墳とはまた苦関係ない事も教えていただきました。忠臣蔵の「吉良上野介」の生誕地がここだとの事、産湯を使った井戸が残されていました。
上野介産湯
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 6世紀に造られた古墳としては東日本最大級の七輿古墳。墳丘長約150mで、後円部には全長が約20m近い横穴石室の存在が確認されている。
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 暗くなってきていて、何となく不気味です。ここもサクラの名所だそうで、春には賑わうとの事。登れるのですが、足元は良くない。
  途中、五百羅漢がありましたが、ほとんど首が無くなっていて、これもこわい。
五百羅漢

  後円部から前方部を見たところ。
七輿古墳の上

 そして、日が落ちた中、今日の最後の見学地伊勢塚古墳に到着。白石古墳群の中では、最北端に位置していて、6世紀末頃に造られた直径約27mの円墳です。
  横穴式石室の中に入ることができます。
伊勢塚古墳

  ガイドさんの懐中電灯を頼りに中に入って行きます。大小の川原石を組み合わせた「模様積」と呼ばれる積み方が見られ、この「模様積石室」は、藤岡市と周辺にしか見られない特殊なものだそうで、中でもこの伊勢塚の石室が最も美しいそうです。

  暗くて全体の様子は、良くわからなかったのですが、パンフレットを見るとこんな感じです。
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  ズームすると、
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  確かに美しい。

  遅くまで付き合ってくださったガイド氏、ありがとうございました。


 群馬の商都高崎市に入りました。古墳公園になっている保渡田古墳群に向かい、かみつけの里博物を見学。沢山の発掘品にワクワク! 

 5世紀末と6世紀前半、2度に渡る榛名山の火山災害に襲われたこの地には、東日本でも有数の勢力を持った王の本拠地があった。発掘調査によって、王が祭祀や政治を行った館、王族が眠る大型の前方後円墳(保渡田古墳群)、家臣たちが祀られた小古墳、水田や畑、ムラ、渡来人たちのムラなどの社会要素が発見されているという。

 常設展では、1500年前の世界を復元しているそうです。 
発掘品


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  魚を食らう鳥。
魚をクラウ鳥

  円筒埴輪の棺。
円筒埴輪のお棺

  
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 表情豊かな盾持ち埴輪。
表情豊か

 
耳が長い


 履けない靴と復元された靴
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  かなりの技術があったと思われる。金メッキした4枚の銅板、透かし彫や鏨彫、ガラス玉そこにもあしらっているので、履くことができません。
復刻

 埴輪列が復元された八幡塚古墳。
八幡塚古墳
八幡塚古墳図


こんな具合に
顔の赤い人物

  5世紀後半の築造された。石と埴輪で飾られ遠くからでも目立つ構造物だった。
中島と言われる円形の島は、古墳被葬者に対する葬送儀礼が行われた場所の様だ。

出島と円筒埴輪

 後円の上で、
高低差

 後円部では、竪穴の中に入れるようになっています。残念ぼけてしまった。
竪穴式

  横にもう1つ石棺があったそうです。横穴式だと後で埋めることもできるのですが、竪穴式でどのようにしたのでしょうか?

  保渡田古墳群の配置図。
保渡田古墳群

  薬師塚古墳は、形跡が残っておらず寺の様です。
薬師塚古墳
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  階段上には、石棺が有ります。
石棺 (2)

 最後は、3つの中では一番大きい二子山古墳。この中では、最初の5世紀第3四半期の築造です。
コスモスが綺麗に咲いていた。
コスモスが綺麗
二子山古墳模型
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 埴輪列と埴輪の立て直しというものを初めて見ました。
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埴輪の立て直し
   
 


 群馬県では、東国文化という言葉を聞く。東国文化とは、古墳時代から奈良時代にかけ、関東地方で栄えた文化の事で、当時の中心地だったのが群馬だという。

 なぜ東国文化の中心が群馬だったとわかるのか?それは、古墳や遺跡が教えてくれるのだという。県内に有る古墳の数は、大小合わせ13000基以上。注目されるのは、前方後円墳で、大型の前方後円墳は、ヤマトの王の許しがなければ造ることができない特別なものだったからだ。

 他にも、当時の最先端技術だった馬の生産や鉄の生産などからも経済的な豊かさを証明する遺産が随所にあるという。 

  自然に恵まれ、豊かな生産力で力を持った豪族たちは、5世紀頃から馬の生産と飼育が盛んになると、畿内へ供給するようになっていった。

  そんな群馬の中でも、大型の前方後円墳だったのが、天神山古墳である。
遠くから見た天神山古墳

  
東日本最大


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  近くには、もう1つ古墳があり、天神山が男体山と呼ばれているのに対し、女体山古墳と呼ばれている。
女体山古墳
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  航空写真、女体山古墳は造りだし部の有る帆立形古墳。
上空から

 こうしてみると、見事に道路が横切っている。古墳は、地権者が複雑になっている場合も多く、民有地だと立ち入ることができません。
位置図

 前橋市に入り、総社古墳群に到着。大型の古墳としては、現在前方後円墳3基、方墳3基が残されています。今日は、歴史資料館と蛇穴山古墳、宝塔山古墳を見学する。

  歴史資料館
総社歴史資料館

  変わった形の石棺のレプリカが展示してあった。足がついている。
足つき石棺

 同じ敷地内に有る蛇穴山古墳。7世紀後半のものなので、古墳時代最後の時期になる。墳丘の1辺が44mの方墳。
蛇穴山古墳
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  石室への入り口
玄室入り口

  石棺台。石室全体が、白く仕上げられている。石組などの高度な技術がみられる。
石棺台

 すぐ近くに有る宝塔山古墳。7世紀中頃のもの。こちらは蛇穴山より少し大きい。
宝塔山古墳

 66mの大型方墳。
方墳
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 石室は、綺麗に加工された切り石を積み上げる「きり石切り組積み」という手法が採用されている。格狭間の石棺は、仏教文化の影響が及んでいた結果と考えられる。
玄室入り口 (2)
中に入ると
赤い色が残っている

  入り口に有った大きな石は、どの部分に使われていたのかな。
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 壬生町を流れる黒川の流域には、多くの古墳が築かれた。黒川と恵川の合流する東岸の台地には、「壬生地区の古墳群」が、黒川の上流の台地には、「羽生田地区の古墳群」が有りますが、今日は、「壬生地区の古墳群」を案内してもらった。 

 立派な公園の一角にある歴史民俗資料館を最初に見学したのですが、見たことの無い大きな埴輪にまずはびっくり!

 これらは、羽生田地区にある県内最大の円墳である富士山古墳の出土品だそうです。

 家形埴輪は、私達に当時の家の規模や構造などを教えてくれる資料である。又出土状況から豪族の居館を示しているという説や、亡き王の霊が宿るためのもの説などがあるが、いずれの埴輪も円筒埴輪や盾形埴輪により区画された聖域の中央から出土していて、家型埴輪は、埴輪群の中で重要な位置を占めていたことの裏付けとなっている。
富士山古墳、円柱を持つ家
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 こんなに鮮やかな色だったんですね。
入母屋造りの家
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 この連続三角模様は、装飾古墳にも描かれていた。

 これも高さがあります。
さしば

サシバの説明

 人型埴輪もでかい。
大型埴輪

 円筒埴輪と朝顔形埴輪。朝顔型は、高さ157センチもある。いづれも、底の直径は45センチほどある大型のもので古墳の人物の権力の大きさを示している。


 庭園に置かれていた巨大な石。石室に使われていたものだ。
吾妻古墳の玄門石
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 こちらは天井石。
石室の天井蓋

  学芸員さんの案内で、古墳を見にゆきます。壬生の古墳群は、4ヶ所で、吾妻古墳だけが少し離れていました。

  まずは、向かい合っている牛塚古墳と車塚古墳。
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牛塚古墳


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車塚古墳

 車塚古墳には、横穴式石室が開口していて、中にも入れました。
車塚古墳石室
石室内部

  愛宕神社が祀ってある愛宕塚古墳。
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愛宕塚古墳

  最後は、全長128mの栃木県最大の吾妻古墳ですが、夏草の中に埋もれていて、蚊の襲撃を受けた人もいた。
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吾妻古墳

  明日は、古墳王国群馬県に入ります。

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