好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:和歌山県 > 筏師の道を歩く


 今日はこの旅の最終日。筏下りを体験します。

 乗船する前に筏を降ろしてつないでいくところを見学に向かう事になりました。

 筏師は、筏を操ることだけでなく、すべての事に関係しています。乗船場に筏を降ろしくみ上げていく事、お客さんが降りた後の筏を釣り上げてトラックで移動することなど。

 筏流しの歴史は古く、江戸城本丸の普請に使われ、明治・大正期の産業革命期や戦後の復興期には、大阪や東京などの大都市に建築資材を供給しました。筏師の技術は、海外でも評価され、鴨緑江などに請われて出稼ぎに行き、高収入を得たという。

 時は流れ、上流のダム建設に伴い水量の減少と林業の衰退により昭和39年3月に筏流しは途絶えてしまう。

 しかし、昭和54年に、北山観光筏下りとして復活した。現在の筏師さん達は、全国からやって来て何も知らないところから覚えるのだという。1人前になるのには、8年ほどかかるとか・・・。

 現在、北山川の筏流しの技術は、和歌山県の無形民俗文化財に認定されており、伝統的な筏を組む技術と筏を流す技術が伝承されている。

 道路の脇で、フオークリフトやクレーンを使って、川に筏が降ろされ、川の上でつなげる作業がおこなわれていました。




1個づつつりさげて行く







降ろします





筏を作っている所







筏は全長30m





 七色ダムの堰堤

ダムが見えている






 10時少し過ぎに、専用のバスが観光協会の前から乗船場まで運んでくれます。

 階段を下って行くと
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 原則1つの筏には、3人から4人の筏師がのりこみます。この日は、お客をのせた筏が2台と、練習筏が1台降ろされていました。





 水量を増やすため、運行時間の2時間ほど前から、ダムから水が放流されています。


船頭さんは、1亭3人から4人




 このようにして乗り込みます。風がない時は、立ったままでもいいのですが、風が有ると人間が帆の役目をしてしまうので座るのが決まりです。激流や急流に入る前に、筏師さんから立ってくださいと声がかかる。

こんな感じで乗ります




岩躑躅




 筏師さん達は、忙しそうに行ったり来たりして、じっとはしていません。30mの長さが有るので、ほおって置けば岩にぶつかったり、そこを擦ったりしてしまう。

 竿を使ってコントロールしていきます。


常に筏の上を動いている





ぶつからないように





 先頭の筏師さんが、ルートを決め、2番目の筏師さんが舵を切ります。

1番手がルートを決める





 このように岩にロープが有る場所では、櫂で器用に手元に引き上げうまく操って行く。櫂は、自分で作り材料は朴の木。朴の木は、水分を吸わずからすぐ乾くからだ。

こういうロープがあちこちに有る





 こういう激流では、立っているのですが、先頭のお客さんは腰までぬれる。
瀬が見えてきた

 


私達も濡れます




回る




 息をそろえて通過するのですが、これがともかく楽しい。


2番乗りが舵をとる





かっこいい




 これは最後の難関で、90度曲って流れている。右側の岩すれすれに進んでいくのですが、接近しすぎるとあたってしまうし、膨れると曲がれません。

最後の難関




 カエル岩、確かににてるかも。
カエル岩





 降り場のオトノリに到着。すぐさま、筏は引き上げられてゆきます。
使った筏はこうして釣り上げられます。





 2号艇も到着です。
2号艇





 下半身はずくずくなのですが、そのまま迎えのバスに乗り込む。そして、観光協会の前で解散。我々は、おくとろ温泉にはいり、着替えを済ませ、お昼ごはんをいただきました。
 


 名物のなんば茶がえ。トウモロコシの入った茶粥に、干した魚などがセットになっています。
名物なんば茶がえ





  そして、3時過ぎの村営バスで、熊野市に向かう。この村営バス、筏に乗るか、おくとろ温泉を利用した人はタダで乗れます。太っ腹。

  4時過ぎには、熊野の駅前に到着。乗客は、結局我々だけでした。

  5日間、ホテルも居心地が良く、北山村のみなさん、お世話になりました。楽しかったです。


  苔もみずみずしいが、シダも美しい。

シダの山

 これはシシ垣。イノシシを越させないようにするものだ。丁寧に作ってあるし長い。どれほどの労力が行ったのだろう。
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  イノシシは、横に走るしかできないので。捕まってしまうというわけ。
沿って走るしかない

  昔、桜の木が有ったので桜茶屋と呼ばれていた茶屋が有った場所でお弁当をいただきます。来年の春にはまた美しい花を咲かせるのだろう。ウナギ、めはりずし、鮎の甘露煮、揚げ物などがぎっしり入っていてボリューム満点の筏師弁当。

筏師弁当

 田んぼは、機械を使っていた所もあったようです。機械を楽に運べるように、緩やかな傾斜になっている。
機械を使っていたので


  また道標が。右新宮、左在所でしょうか。

右新宮左在所

 庚申様に続く道は、とても賑わったそうだ。私達も庚申様まで行ってみました。
庚申様

  可愛いキノコが生えていた。
キノコが気になる

  こんな道を進んでゆきます。
細道

  川は、少しづつ川幅を広げて行く。苔と清冽な流れが美しい。
綺麗な流れ

  桃太郎岩。真ん中が割れている。
桃太郎岩

  川底は、1枚の岩盤になっているので、ウオータースライダーのようだ。
スライダーの様

  いくつもの岩が積み重なっている。どうしたらこんな具合になるのかしら?
どうやってこうなった

  小さな滝のような流れ。
片川川

   うーん、きれいだ!
滝の様に流れる

  そうそう、ガイドさんが、オニグルミを持ってきてくれたので、宿に帰って皆で分配。良いお土産になりました。


 心配していた雨ですが、夜中のうちにたくさん降って明け方には止んでくれた。 

 売店の軒には、ツバメがやって来ていた。
ツバメがいた


  今日は、三重県側に残る筏師の道を歩くので、御浜町片川まで送ってもらいました。ガイドは、昨日に続きH氏です。

  片川の元小学校から出発して、トロトロ坂を上り風吹峠から折り返し、谷をくるっと1周する感じで片川まで戻ってくる予定だ。
  集落のこの大きな家は、時々元の住人が風を入れるために帰ってきているそうですが・・・。
三重県御浜町片川地区

 石垣も門も立派だが、蔵は朽ちていました。
立派な石垣と門

 かつての小学校です。
元小学校

 中はこんな感じです。ここでトイレを拝借しました。
廃校の中

 苔がいっぱいのトロトロ坂。雰囲気はとてもいい。足元には、踏んでしまいそうなほど沢蟹がいました。
トロトロ坂
沢蟹が沢山

 苔むした道標
苔むした道標

 しょうがの花
しょうがの花

 現代の標識
分岐点

 風吹峠の方に向かいます。

 道沿いには、沢山の石垣、平らな土地、茶碗やガラスの欠片などが見られます。今は、杉やヒノキ林になっていますが、結構な人が住んでいたことがわかる。

 田んぼに引く用水も石垣でちゃんと作ってある。
水路も丁寧に石垣を積んで

 どこを見ても緑。右側は、畑か田んぼが有ったのだろう。
どこもかしこも苔

  倒れてしまった道標。右回り道、左おろし道なのかな。
倒れた道標

 この立派な石垣の上にはひとがすんでいた。
丁寧に作られた石垣

  住民のものだったのだろうか?招き猫が・・・。
元住民のものか

  山の神社に到着。かつて、お祭りには出店がずらっと並んだという。今は狭く感じるが、当時はもっと開けていたのだろう。耳を澄ますと、お囃子や呼び込みの声が聞こえるようだ。
誰も世話をしなくなった神社

  奥の院というか神様が祀って有る場所まで行ってみました。信仰の対象物は、石です。
山の神です
山の神社

  せっかくなので、筏師達が、海の方からこの山に入って来るルートを確認してみることになった。さらに登って、高山の頂上。
高山頂上まで寄り道

  熊野灘が見えました。
海が見える

  左側に回るルートと、右手の山を登って来るルートが有ったという。

  神社の有るここが、風吹峠だ。ここを下って行くと、先ほど見えていた海の方に降りて行けるのだが、我々はここで引き返します。
風吹峠、こっから引き返す

  


  ガイドさんが大工さんに注文して造ってもらっったという移動式の家。これ解体して運ぶことができるんだとか。中は、6畳ほどの広さでした。
  筏の終点である新宮の町には、川沿いにこうした家が並んでいて、台風の時などばらして避難したそうです。
移動式の建物

 この前の細い道が、展望ポイントの有る山への入り口になっています。
島津の筏師の道

  昔、家が有ったところには、立派な石垣が残っています。まるで城の様な石垣も有った。
かつての家が有った場所

  登り始めの頃までは、何とか持っていた天気ですが、お昼ごはんをいただいた後、雨粒が大きくなって来てしまった。
  この写真は、ガイドさんのお父さんの時代の物。白黒だが、山の木が少ない事がわかる。約55年ほど前のものだという。
昔の写真

 ようやく展望ポイントに着いたものの、白いカーテンがかかったようで、見通しが効かず。雨上がりの木津呂は素晴らしいらしいが、いっこうに止む気配がないので、あきらめて立ち去ることにしました。何とか、見えた時の写真です。
あいにくの天気でした
北山川の蛇行によって

 苔が綺麗なスギ林を抜けて里に出ると、バスが待っていてくれました。ガイドさんとはここでお別れして、我々は瀞流荘に戻り、入浴に必要なものだけを持ってトロッコ電車の駅に移動。

  定時運行は、終わっていましたが、チャーター便を出してもらうらしい。乗客は往復とも我々だけでした。
トロッコ駅

  このトロッコは、もともと紀和町に有った鉱山の運搬の使われていたものです。紀州鉱山は、古くから金・銀・銅を採掘していたが、近代鉱山としては、1934年から1978年までの44年間、年間最大で3000tの銅を算出していた。
トロッコ列車

  湯ノ口温泉と入鹿温泉を約10分で結ぶ、1kmほどのトンネルを走ります。

  ものすごく揺れるしうるさいので、同じ車両にいても何を言っているのかわからない。

  湯ノ口温泉に到着。
湯ノ口温泉駅

  南北朝時代から湯ノ口周辺は金山発掘で栄えていたので、湯治場になっていた。現在でも、湯治目的のお客さんの為の施設が有り、秘湯として親しまれているそうだ。湯温は、少々熱めなのが個人的にうれしい。
  1時間ほど、楽しんで、瀞流荘に戻ります。

  手ぶれ防止など全然役に立たない。
ものすごく揺れます

  運転席。
運転席

  預かってもらっていた荷物をピックアップして、おくとろ温泉に帰ります。歩いた後、直ぐにお風呂に入れるなんてなんて贅沢!


 天気予報では、この日は雨。しかも結構な降りになるみたいだ。問題はいつ降りだすかです。
北山川の大蛇行を見に行くのは、雨だときついし、眺望も良くない。 

  ホテルのバスで、今日もガイドさんとの待ち合わせ場所である瀞峡まで送ってもらいました。

 今日のガイドさんは、お爺さんもお父さんも筏師で、ご自分も忙しい時には、筏に乗るという生き字引の様な人です。お話も面白く楽しい1日になりそうだ。

 地図でざっと行程をつかむ。
今日の地図

 右上の瀞ホテルと書かれた場所から左下の中州辺りを目指して歩き、途中で瀞流荘のバスに拾ってもらいお弁当を貰う。そして、中州から対岸の嶋津の森に入り、大蛇行の川に沿うように山を登って行き、木津呂の集落を展望できるところまで行きます。
 そこから今度は、杉林を一気に抜けて行き反対側に降り、もう一度瀞流荘の送迎バスと合流します。

 バスで、瀞流荘に向かい、荷物を預け、トロッコ列車で湯ノ口温泉に向かい、温泉に入ります。最後は、おくとろ温泉の送迎バスに乗り換えて、北山村まで戻ってくるという長い一日です。

 昔の筏師は、こういう格好で歩いたんだよという見本。
筏師の格好

 一昨日船から見上げた橋、これを渡って対岸の三重県に入ります。
これ渡ります

 トンビが・・・。
トビが

 渡ります。
見えていた橋です

 木津呂が見えてきました。こちら側だと、円盤の様には見えない。
木津呂違う角度で

 この辺りからは、車道を歩きます。テイカカヅラがたくさん咲いていた。
定家かづら

 待っていてくれたバスに乗り込んで、瀞流荘でお弁当を貰い、嶋津の中州に向かいます。この辺りは、川を渡す船が有ったらしい。中州にも集落が有り、筏師さん達も休憩したのだろう。

 
中州

 中洲の中は不思議な空間です。畑が少しあるくらいで、静寂な世界が広がっている。でも私有地ですので許可なく入ることは遠慮した方がいいでしょう。

 何故かこの一角だけ、木が曲がってしまうそうだ。判りにくくてすみません。
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  根っこも曲ってしまっています。
曲がりくねった根っこ

 これは普通の蕨ではなくて、オニワラビ。あく抜きをする必要が無くとても軟らかいそうです。
オニヒカゲワラビ


  そして苔の道。
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  人が住んでいたころは、こんな感じではなかったのでしょうが、雨が多いせいでこの素晴らしいこうけいになったのでしょうか?
かつてはここにも人が住んでいた

  ふかふか、ジャゴケの道も有ります。
ふかふか

  道は何本も有り、此処は交差点になっていました。
交差点

  反対側の河原に出ました。さだまさしさんが、この河原でコンサートを開催したことが有るそうです。
さだまさしさんがここでコンサートを開いた

  この空間は、動物除け。仕切りがあると何故か入って来ないそうです。この中で、いろなものを干すという。
過去っておくと動物が入らないそうです

  ガイドさんのお宅の前に到着しました。


  


 天気良し。出発は、7時15分と早い。けれども、もっと早くに目が覚めてしまい。ちょっとだけ散歩してみました。

 おくとろ温泉全景 
おくとろ温泉

  朝の北山川。緑が濃いです。
朝の北山川

  北山村では、今あちこちで工事が進められています。最終的には、3つの橋と2つのトンネルができるという。

橋をかけている

 そもそも筏師の道とは・・・・。北山村では切り出した木を、材木市場の有る新宮市に運ぶ手段として、筏に筏師がのって下るという筏流しが行われていた。
  命がけで筏を操り筏を届けた筏師が、家族の待つ家へと戻って行った道が筏師の道である。

  当時は、そうした筏師の為の宿屋や茶屋などが道沿いに有ったというが、今は杉木立の山に戻ってしまっていて、人々が暮らした家の石垣、炭焼窯、畑や田んぼが有った平らな土地、祠などが残っているのみである。
  当時の新宮は、江戸に最も近い町の1つであり、大いに栄えていて、流行の先端をいち早く取り入れていた場所でもあった。稼ぎの良い筏師は、彼女達の格好の標的となり、稼ぎが良かった割には、良い暮らしはできなかったという。
  
  命をおとす確率が高いので、筏を流す時には、まっさらな恰好に身を包み恥ずかしくないように整えたという。そんな彼らは、宵越しの金を持たなかったのだろう。

  今回は、そんな筏師たちが、新宮から我が家へと戻って行った、幾つかの道をたどってみる旅である。

  スタートは、昨日ランチをいただいたホテルの近く。ここから一気に山を登って行きます。かつての生活道路だというが、かなりの急こう配です。

  火伏の神でもある秋葉山への階段。山火事は、人々の恐れるところだ。
秋葉神社へ

  最近は、誰もお参りに来ないという。
秋葉神社

  筏師の道とある。
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  ヒルが出るかもしれないというので、万全の支度で歩いています。

  道案内文化2年とある。
文化2年とある

  この辺りには、結構な民家が有ったそうで、空木に混じって園芸種であるジギタリスの花がたくさん咲いていた。
空木とジキタリス

  東野峠を越えると、東野集落が有ります。この家は、最後まで残っていたおばあさんが住んでいた家だという。
東野集落の跡

  炭焼き窯でしょうか
石垣が残っている

  北山村と十津川村境界となる立合川にかかる橋。
立合川の吊り橋
北山村と戸津川村の境

  道は荒れていますが、先人たちが積み上げた石垣は、台風などにも崩れず残っています。
石垣で補強した道

  旅の安全を祈ったのだろうか、
祠

  昭和60年頃まで、1軒の家が残っていた有蔵集落というところは、郵便配達の方が、お弁当持参で訪れたという。

  大谷の滝。風の通り抜ける憩いのスポット。筏師達も水に入ったという。
筏師も浴びた滝

  そろそろゴールが見えてきました。ゴールのそばに有る小松茶屋跡。ここまで来た筏師さん達は、ほっとして、ばくちやお酒が進んだそうだ。料理自慢の茶屋だったとガイドさん。

  近くには、ミツバチの巣箱がいくつも置かれていた。
はちみつ

  一旦、車でホテルに戻り、ランチをいただきます。公園の中に有った邪払神社。
邪払神社


  午後からは、不動峠を越え下北山村に出る、北側の筏師の道を歩きます。途中の林道の入り口までは、ホテルの車に送ってもらいます。しばらく林道を歩いて、終点から山道に入って行った。

 こちらは標高差はないものの、だらだらと上りが続く。


 お地蔵さま
お地蔵さま

  荒れた山が、不動峠を越え、下北山村に入ったとたん、手入れの行き届いた杉やヒノキ林になった。
不動峠を越えると

 ちょっとした広場になっていて、お不動様が祀って有った。かつては、1軒の茶屋があった。
お不動様

  この花は、ガクウツギというようだ。
ガクウツギ

  峠からは、ひたすら下って行く。途中、林業用のモノレールが残っていました。

  この不思議なひもは、クマ除けだという。クマが皮をはいだりしないように、幹に4本、ひもを結ぶ。そのひもは、木の成長を妨げないように、カチカチに結んでなくて、うまいこと緩むようになっていました。
  それにしても、これだけたくさんの木に結んでいくのは大変だと思うのだが、それほど被害が大きいということだろう。
クマよけ

  旅のゴールは、下北山村の浦向という集落でした。ここの人達も筏師をやっていて、筏に乗る前後に必ず峠の不動様にお参りした。それは、恐怖に打ち勝つ不動心が必要とされたからだ。

  現在は、不動トンネルをくぐれば10分ほどで通り抜けができるが、下北山村の筏師は北山川下流の七色まで筏を流す「下行き」があり、七色で北山村の筏師に引き継いだという。「下行き」は、難所と急流が連続していて七色で無事に筏を届けた筏師は、棹と櫂を担いで不動峠を越え家路に着いた。

  新宮に行って散在することもなかった下北山村の筏師さん達は、家の普請にお金を使ったようで、蔵の有る立派な家が残っています。

  迎えに来てくれたホテルの車は、予定よりちょっと早いというので、沈む橋を見学していく事になった。台風の度に沈むそうです。
沈む橋

 上流には、立派な橋が架かっています。
新しい橋

  明日は、今話題の木津呂に向かいます。天気が崩れると予報が出ているので心配です。


 日本で唯一の飛び地の村北山村と、日本で唯一の現行事例である筏流し 。どちらもずっと気になっていたのだが、ようやく訪れることができました。

 北山村は、三重県熊野市か新宮市からの方が近いのだが、あえて田辺市を出発地点に選んだとの事。前回の中辺路の旅に続いてくろしおで向かう。ただし今回は、集合時間が早かったので、田辺市に前泊した。

 朝の1時間少々で、蟻通神社に行ってみました。
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蟻通し神社
 
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  ジャンボタクシーで、まずは昔の新婚旅行人気地でもあった瀞峡に向かいます。2時間ほどでようやく到着。
瀞峡

  じつは、瀞峡は20年ほど前にジェット船で、下の河原まで来たことが有った。けれど、今はもう運航していないとの事。

  筏師の宿でもあり、別館も有ったという瀞ホテル本館で、まずはお昼をいただきます。建物は、雰囲気がいい。今は、レストランでの予約営業のみだそうです。

瀞ホテル

 玄関には、50年ほど前まで運航していたというプロペラ船のプロペラが飾ってありました。
プロペラ船のプロペラ

 かつて筏が下って行ったという瀞峡を見ながらお昼をいただきました。
お昼をいただきました

  平成12年の台風12号は、この地に甚大な被害をもたらし、ホテルの別館も被害をうけた。吊り橋は流され、あわや本館も・・・という感じだったという。写真のバルコニー部分はつかったそうです。
台風12号により別館流失

 お昼をいただいた後は、川船で渓谷美を堪能します。
川船で

  雰囲気いいね。
奈良県と三重県の県境

  北山川の中でも、この辺りが一番深くて、幅も有るので、筏をここで組みなおしたそうだ。
この辺りが一番深い筏が集結していた

  
イワフジ、ササユリなどが咲いていました。
イワフジ
ササユリ

 これは、ハチの巣。
ハチの巣

  船を降りると、今日のガイドさんが待っていてくれて説明を受ける。ここでは、3県が一度に望めます。
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  川向うが、三重県紀和町、今立っている所は、奈良県戸津川村、ホテルの別館が有ったところが和歌山県新宮市というわけ。

  筏師も歩いたという、道を予習の感じで見に行きましょう。
吊り橋


覗くと

  ここからは、再びジャンボタクシーで北山村へ向かう。昔は、大変だったという道もすっかりきれいになっていて、いくつものトンネルを抜けてゆきます。

  いまは、全然水が少ないが、筏の時間に合わせて上流のダムの水が放流されるので、ここも激流に変わるそうだ。
ここを下ります

  オトノリという場所までやって来ました。V字渓谷が良くわかる。
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  北山村の周辺は、地形的にも注目されているようだ。川をのぞき込むと、右手に道のようなものが見えている。あそこが、筏下りの終点です。という事は、水量は1m以上上がるということです。
此処で降ります

 乗客を降ろした筏は、クレーンで吊り上げられ、トラックに乗せて乗船場まで運ばれていきます。筏は、1両が7床あり、1床は約1トンだという。

一床

 筏の組み立てには、2種類あるそうです。

筏の種類

 ようやく、5日間お世話になるおくとろ温泉のある下尾井に到着。ここからは歩いて集落を回りました。公園内には、観光協会、道の駅、コンビニ、ホテルが有ります。

  月夜の宴と名前がついたオブジェ
月夜の宴

看板
唯一の飛び地の村

  なぜ飛び地になったかというと、古来より木材の切り出し、流しなどで下流の新宮市との結びつきが強く、廃藩置県により新宮市が和歌山県に入ると、北山村も和歌山県に入ることを望んだ結果だそうです。飛び地そのものは、あちこちにあありますが自治体が丸ごと飛び地というのは、日本ではここだけです。面積約48㎢で、その内97%は、山林が占めています。村の木は特産のジャバラ。まろやかな酸味が美味しい。
  ジャバラの花
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 下尾井地区。村の中でも南に位置している。
北山村下尾井地区

  明日からは、実際に筏師が歩いた道を、体験します。

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