好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 三重県


 今日は、始神峠と馬越峠を歩きます。

 8時15分、ホテルを出て、バスで始神峠の登り口に近い公園に向かい、ここでガイド氏と合流。今日のガイドさんは、なんと83歳!

 背筋もピンとしてらっしゃって、驚きです。空手の達人でもあられるとか・・・。

 始神峠のはじかみは、サンショウウオ意味する椒が由来なんですって。昔はたくさんいたのだろうか?


 3.5㎞を約2時間ほどかけて歩きます。江戸道と明治道があり峠で合流する。

 
始神峠登り口


  根っこ道は、気を抜けません。根っこに足を取られないように・・・。

根っこ道




 標高147mの峠には、茶屋がありました。昔の人も、紀伊の松島の美しい景色を眺めながら、休んだのだろうか。
峠に茶屋があった


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始神峠


 江戸道。8月の台風で、かなり荒れたのだという。
結構厳しい道が続く (2)


 下ったところにあった碑は、プレートに変わっています。自治体が変わったことがわかる。
名前が金属プレートに変わった。



 海山町側の説明文。
海山町側の説明



 国道まで歩いて、バスに乗り、馬越峠を目指す。馬越峠は、石畳が美しいので人気の峠です。

 入り口
馬越峠入り口



 こういう道がずっと続きます。晴れているときはいいけれど、雨が降ると苔は滑る。

風情がある


 夜泣き地蔵尊。でも普通の石に見えるわ。
夜泣き地蔵


 明治頃までは、ちゃんと石地蔵があったらしいが、いつの間にかなくなってしまったようです。地区の人々が子供の夜泣き封じを祈って、夜泣き地蔵と呼ぶようになったという。

  
  峠道の中で唯一の橋は、大きな一枚岩です。

石橋と石畳



  峠までは、まだまだ歩かなければならない。石畳は、自然石をうまく使って敷かれたもので、日本でも雨量の多い尾鷲の雨から、道を守るために築かれたという。今でいう舗装道路である。


まだまだ



  この大きなヒノキは、根っこを張り枝を伸ばして踏ん張っている。この先から坂道は少し険しくなります。
根を張るヒノキ



  ようやく峠に到着。木が成長してしまい、見晴らしはあまりきかないが、お弁当をいただきます。

茶屋があった




 これは桜地蔵。なんとレンガの祠でした。
桜地蔵



  
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石畳も文化財



 ここを少し下ったところに分かれ道があり、右手の坂を上っていくと展望台にでる。
展望台を過ぎると江戸道は終わり、明治道が続く。

 さらに下って、馬越不動尊で休憩。こちらも立派な祠に入っておられます。
馬越不動尊 (2)



 昔は石畳だったが、その上に舗装道路をかぶせてしまったという急な道を下っていき、尾鷲の市街地に到着。


 市街地を歩き、金剛寺の山門を右手に見ながら進むと、尾鷲神社の大楠が見えて来る。

 仁王像が出迎えてくれる。
金剛寺



 ひと際目立つ2本の大楠。樹齢千年ともいわれている。
大楠


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 尾鷲神社。今日は、ガイドさんの口利きと宮司さんのご厚意で、特別大太鼓の音を聞かせてもらいます。
尾鷲神社



  毎年、2月には、「ヤーヤー祭」がおこなわれるという。

  1本の木をくりぬいて作った太鼓としては日本で一番大きいのではないかという。
大太鼓


  神社には、ほかにもいくつか太鼓があり、そちらの太鼓もたたいてくれましたが、音が違う。迫力が違う。F1の車のエンジン、戦闘機の爆音という響きでした。おなかに来るのだ。


  今日はもう少し歩きます。神社を後にして、熊野街道を進む。


  井戸が残る昔の家。こういう家は、井戸の位置も決まっていたのだとか。きんもくせいのむせかえるようなにおいと一緒に、歩きます。

  
昔の農家


  この焼却炉のようなものは、昔、農家さんが畑に入れる灰を作るときに使ったものだという。初めて見ました。今は、ごみ焼き場になっているようです。
畑に入れる灰を作るためのもの



  今日もよく歩きました。


 朝食の少し前、すぐ目の前にある城の浜に行ってみた。 


城の浜




 なぜかどこでもドアみたいなドアが・・・。

どこでもドア?


  このホテルの朝食は、とても有名なのだという。確かに豪華で、地元のものもふんだんに使われているし、ご飯もうまい。朝から刺身なんて初めてだ。

  こちらはずらっと並んだ干物。マンボウの干物なんてものもあります。


季の座名物 干物


  自分の席で焼いていただきます。

こうして銘々に焼きます



  8時15分、ホテルを出発。最初の峠荷坂峠を目指す。


  伊勢路では、峠の前に古道をイメージした石柱があり、峠の名前が書かれています。文字は、陽刻だったり陰刻だったり、プレートが貼ってあったりと、自治体によって違うようです。

  
古道の道を現した道標



  
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  峠にて、江戸時代の紀行作家、新潟の鈴木牧之もここで句を詠んでいる。

  
沖見平からの眺め



  峠には、このような木の道標があり、100mごとに置かれている。
100mごとにこの道標がある。ここは、12分の7地点



  江戸道には、こんな場所も。道ではないね。
整備されていない江戸道



 ゴール。
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  バスの待っているところまで歩く。

  猪垣
猪垣



  一里塚の説明。石仏が一里塚になっているようです。
一里塚


   この後はバスで、ツヅラト峠の入り口に向かう。つまり荷坂峠との分岐点まで戻るのだ。荷坂峠とツヅラト峠は、平行していて、紀伊長島の町で合流しているのだ。江戸時代以降は、荷坂峠の方が多く使われた。

  途中、都を追われ熊野詣の旅に出た花山法皇の遥拝所があり、その近くに西国33か所の観音石像が安置されていたので立ち寄った。


  小さな山の中に、点在しているのだが、道路に近い石仏は、盗難にあってしまい、新しくされたそうだ。
西国33観音石像


  台座の部分に、寺の名前が書いてある。
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 ツヅラト峠の入り口

ツヅラト峠登り口


 峠からの眺め。

 紀伊長島の町が見える。
紀伊長島の町が見える


 標高357m。
標高357m


 山の神

山の神

  
 炭焼き小屋の跡。

炭焼き小屋の跡



 下って来て、紀伊長島の町まではバス移動。町の中にも熊野街道は通っているので、昔はにぎわったのだろうな。

 共同の水汲み場、どうけという。
どうけ


 街道沿いの旧家。

旧熊野街道沿いの家


 地元では有名人熊嶽邸跡、霊術家だそうです。
旧熊嶽邸



 長楽寺。樹齢280年を超す、城腰紅梅が有名。
長楽寺


 今はこんな感じ。思ったよりスマートでした。
樹齢280年を超す梅

  

  隣接してあるのが、水神様が祀られているお堂と、共同の水汲み場。

水神様と共同水汲み場


  木彫りの仏さまは、地元の人の手作りだそうです。
岩の壺堂 (1)



  昭和時代の店舗を利用した街歩きの休憩所。

街のたまり場昭和のお店


  中で、かんからこぼしの影絵を特別に見せてもらった。
かんからこぼしの影絵



  さらに歩いて、長島神社にむかう。祭神は、須佐之男命。1587年に再建されたという。社殿の高さ8mにも及ぶ石垣は、江戸時代の天保年間に、村人総出で大島から石を運んだものという。

長島神社


  またこぶのある大楠は、樹齢850年ともいわれ、境内の暖地性植物群落は、県の天然記念物になっている。

  こぶに触りたかったが、囲いがしてありかなわず。
樹齢850年ともいわれる大楠



 境内から眺めはこんな感じ。白い柱は、昇降式の橋ですって。この右手奥にドックがあります。

白く見えるのは可動式の橋


  国道まで続く、歩行者と自転車専用のトンネル。交通事故を防ぐために造られた。結構長い。これを通ってバスに向かう。

  
歩行者専用トンネル




  ホテルには、5時少し過ぎたころに到着。部屋からはこんな美しい景色が見られた。
部屋からの眺め



 今回は、熊野街道の伊勢路を歩いてみました。
伊勢路は、全部歩くと170㎞ほどあるのですが、今回はすべてを歩くのではなくて、そのうち世界遺産に登録されている峠道と、それに続く重要な部分31㎞ほどを歩いた。

 伊勢路は、江戸時代になり平安が続くようになると、盛んに歩かれるようになった。伊勢参りを済ませた旅人や西国33か所巡りの巡礼達が辿った庶民の道である。

 起点の田丸で、白い巡礼装束に身を包んだ旅人が、いくつもの険しい峠を越えてあこがれの地熊野を目指した道である。


 平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている。


 ガイド氏によると、東北や江戸などの東から参った人々は、伊勢参りを済ませると、そのまま、熊野街道を進み、熊野詣を済ませ、さらに、那智から西国33か所巡りを続ける人も多かったそうだ。西国33か所の結びは、岐阜県の谷汲山華厳寺。

 そこからさらに、中山道で、善行寺参りに向かった者もいたというから驚きである。

 長く苦しい道程ではあっただろうが、現在の旅行と考えればそれはまた、楽しくもあったのではないだろうか。

 途中で、行き倒れになったりした人たちもいて、地元の人が建てた供養碑なども残っている。

 伊勢に集合したのち、昔の人にならい、と言っても車で宮川を超え、田丸へと向かった。昔の人は、ここを渡しで超えたそうだ。

  田丸城の登り口で下車。

  富士見門の屋根瓦。
田丸城富士見門瓦


 名前からすると富士山が見えるのかと尋ねると、条件がそろえば見ることができるそうだ。


 田丸城跡

田丸城址


 案内板
伊勢の方からやってきた旅人は、ここで熊野街道にはいるのだ。
ここで別れる


田丸、道標


 我々も少しだけ歩きます。

  今回は、楽して伊勢路を歩こうというのがモットーなので、再びバスに乗ってランチに向かった。

  地元で生産された肉や野菜を使ったセットです。

地元のものを使ったランチ


  食事が終われば、車にて女鬼峠を目指す。途中、ところどころ大事な場所があれば、下車して少し歩いたり説明を聞いたりする。


  石仏庵と説明書きがあります。33体の石仏に、旅の無事を祈ったという。

石仏庵 (1)




33体の地蔵様


 地図をちょっと。今回歩いたところは、緑の部分。
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 伊勢路だけを見ると。

  
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  今は、女鬼峠を目指しているところです。

  永昌寺というお寺の境内にある眠り地蔵。

永昌寺の眠り地蔵



  別街道の標識が現れました。この道標は昔のままらしい。
別街道の道標があった



 熊野街道を歩く。


  ようやく女鬼峠の案内が現れた。お地蔵様に送られて、登ってゆきます。熊野街道・伊勢路で最初の峠です。

  
入り口にある地蔵に送られて



  古道も、江戸時代からの道と、明治の道があり、今回はあくまでも江戸時代の道を歩く。


最近整備されたという江戸道を歩きます



  千枚岩の岩盤を切通したという。
切通しへ



  2体の如意輪観音と名号碑。真ん中の観音さんは、首が傾いています。

名号碑と如意輪観音2体





 江戸道と明治道。このようにクロスしたり隣り合っているところも多い。

明治道と江戸道の分かれ


  1時間ほどで降りてきて、再びバス移動。


  旧熊野街道にかかる、登録文化財の橋舟木橋の近くで下車。橋を見に行きました。

  橋桁が何とレンガです。橋の部分は何度か架け替えられたそうですが、橋げたは昔のままだという。

  
橋げたがレンガ 重要登録文化財になっている




  この下を流れている三瀬川の渡しの跡を見に行く。

三瀬川の私を見にいく




 途中にあった多岐原神社。最近、社が建てられたという。
伊勢神宮の摂社で、土地の神が川を渡れなかった倭姫命を助けたところから、祀られた。

  真奈胡神が祭神
多岐原神社




  そして今日の最後は、暗くなりかけた瀧原宮。巨木に囲まれていてとても素敵なお宮さんです。

  内宮の別宮。
瀧原宮入り口



  巨木の続く参道。


巨木の続く参道


  川で手を洗い、清めます。
清めの川



 先ほどの多岐原宮に祀られていた真奈胡神が、倭姫命を助けた時に使ったという船が収められている
御船倉。

御船倉



 次の遷宮を待つ場所。白石の上を神様が歩く。
次に遷宮にはここに宮が建つ




  並んで建っている神明造りの瀧原宮と瀧原並宮、どちらも天照大御神を祭っている。

同じ天照大神を祭る、瀧原宮と瀧原並宮



 両宮の前にある杉の巨木。
スギの大木


 参拝が終わったころには、すっかり暗くなっていました。我々は、この後、紀伊長島にあるホテルに向かった。


 三山の中では、那智大社はわりと最近訪れている。 けれども何度訪れても、初めてのような気がするのは何故だろう?

 大門坂は、熊野古道の1つであり、全長640m、高低差やく100mの石畳が続いている。時間もないので、途中から歩き始めました。
那智大社大門坂

 樹齢800年越えの杉も有り、とても雰囲気がいい。
見事な杉並木

 大門坂が終わると、今度は467段の石段を登らなければならない。コロナのせいか、開いている店は少ない。
那智大社への階段

 那智大社は、標高約500mの地に、6棟の社殿からなる。隣接する青岸渡寺と共に、熊野信仰の中心地として多くの人々が参詣した。
那智大社
那智大社の屋根

 境内にある大楠は、胎内巡りが出来るようだ。有料です。
クスノキ胎内巡り

 八咫烏の絵馬。
絵馬

  こちらは、青岸渡寺。1千日の滝篭りをされた花山法皇が、988年御幸された折に、西国33カ所1番札所として定めたとされる。
  本尊の如意輪観世音は、那智の滝つぼから発見され、安置されたという。現本堂は、1590年に、豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残している。
青岸渡寺
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  塔と滝。
塔と滝

  雨がずっと降らなかったので、水量が少なくなっている。昨夜の雨位では、あまり影響がないかも・・。

  
世界遺産です

  飛瀧神社。御神体は滝。
飛瀧神社御神体

  落差、133m、銚子口の幅13m。銚子口の岩盤に切れ目が有って、3つの筋に別れて落ちてくるので、三筋の滝とも呼ばれています。
3筋に別れる

  これですべて終了です。後は、紀伊勝浦の駅まで向かう。
瀧への道

 バスの中で、スタンプ帳を受けとる。うれしいな。スペインの、巡礼道を歩く機会があったら、忘れないようにこれを持って行かなくては・・・。
スタンプ帳

  紀伊勝浦17時過ぎの特急南紀で名古屋に戻って来た。3時間以上の列車の旅だったが、ビールを飲みながらのんびりできて良かったかな。

  お疲れさまでした!


 神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる前に最初に降臨した聖地だという。
熊野古道中の古道と呼ばれる538段の石段を登った先のけわしい崖の上に、ご神体のゴトビキ岩が有る。

 速玉大社は、社殿がない自然信仰、原始信仰時代の神倉山から、初めて新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれている。

 ここも世界遺産に登録されています。
熊野の神々が最初に降臨した神社

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 自然石で作られた538段の石段。
538段の石段

 2月6日の御燈祭りには松明をもった男達がいっせいに駆け下りてくる様をテレビで見たことが有るが、それはそれは美しかった。実際に登ってみると、あんなことをしてけが人が出なかったらその方が不思議というものだと思った。
御燈祭り

 ここから、女坂を使って降りて行く道も有ります。
火伏

 この扉の奥にご神体の岩が有る。
ここから神域

 ご神体のゴトビキ岩。ゴトビキとは、ヒキガエルを表すこの地方の方言だそうです。この日も、ヒキガエルかはわからないが、カエルの声がしていました。
御神体のゴトビキ岩

 拝殿とゴトビキ岩。
上倉神社とゴトビキ岩

 太平洋が見えました。
太平洋が見える

 つづいて、速玉大社に向かいます。

 神門
速玉大社門

 色鮮やかで、青い空に眩しいほどだ。128年に本宮の神倉神社から宮を遷されたという。
朱色が鮮やか

 拝殿、この奥の右側に速玉社がある。
128年遷宮

 神門の外には、御神木のナギの木が有り、旅の安全を祈ってナギの葉を懐に納めてお参りするのが習慣とされているそうだ。

 神門内に有るこの大木は、オガタマノキ。花が咲く様で、地面には小さな花びらが散っていました。
オガタマノキ

  
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  ようやくお昼ご飯の時間です。お寿司屋さんで、天婦羅とにぎりをいただきました。もう歩くこともないので、ビールもいただきましょう。

  そして、〆の那智大社に向かいました。


 夜中中雨が降っていて、しかも庇に雨粒があたる音が大きくて 、寝付けず。結局5時になるのを待って、朝風呂に出かけることにした。
  
 雨のせいもあり、薄暗くて景色も見えない露天風呂で、濡れながら湯につかる。スゲカサでもあれば風流なんだろうが・・・。

 8時、川湯温泉を後にして、熊野本宮大社までむかった。下車した後は、歩いて旧社殿の有った「大斎原」までむかった。

 目の前に大きな鳥居が現れた。心配された雨も上がり、気持ちがいい。
大斎原大鳥居
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 八咫烏の像。
3本足の八咫烏

 ちなみにこの地も世界遺産に認定されています。
旧社殿へ
世界遺産

 参道を進んで行き、左に折れると熊野川の河原に行ける。紀元前33年、熊野川・音無川・岩田川の3つの川が合流する中洲の地に創建されたのが、熊野本宮の始まりです。しかし、1889年の水害により社殿は流されてしまった。
 
 熊野川の堤防にのぼってみると、大鳥居の背後に、昨日歩いてきた山々が見えていた。
昨日歩いてきた山々
 
  旧社殿が建ち並んでいた場所。
1889年流出した

 参拝に来た人々は、橋もかけられていなかった川を渡り、音無川の水で体を清めてから参ったという。

  当時の図
水害前の図

  
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神々

  再びバスに戻り、少し移動して、厳しい「大峯奥駆道」を少しだけ歩いてみました。大峰奥駆道とは、本宮と奈良の吉野を結ぶ道で、修験道の修行の道で、1000から1900m級の山を踏破しながら約80㎞を歩く古道である。
大峰奥崖道も歩きました

 七越峯
七腰の峰

  ここにクマノサクラの木が有り、例年なら咲いているそうだが、今年は一輪も咲いていませんでした。
クマノサクラ

  クマノサクラは、ヤマザクラで、長い間新種とは認識されていなかった。
咲くと

  あきらめきれず、もう少し標高の低いところにあるサクラの枝を探すと、1つだけ何となくピンクがかったツボミが有った。今頃は、多分綺麗な花を咲かせていることだろう。
クマノサクラの蕾

  最後にもう一度、大斎原の大鳥居を眺めてバスに乗り込んだ。
大鳥居が見えた

  30分ほど移動して、新宮市に向かいます。


  お弁当をいただく前に、伏拝王子跡に向かう。
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遠くに大湯野原

  和泉式部供養塔
伏拝王子

  宿のおかみさんが、夜中に握ってくれた塩結び、ちょっと硬くなってしまっていたが、おいしくいただきました。ここまで来ればあと一息です。

  
もう少し

  石標。右高野、左紀三井寺とある。
道標

 九鬼ヶ口関所
九鬼が口関所

 小さな梅花オウレンの小さな群落。
梅花オウレン

  とちゅう、ちょっと寄り道展望台に寄ってみました。ここからは、さらに近くに大斎原の大鳥居が見えていた。
ちょっと寄り道展望台から

  74番の番号標を過ぎ、ぐんぐん下って行く。
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祓殿石塚遺跡

  そして、75番の番号標と払殿王子跡に到着。
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  社も無く質素です。
祓殿王子跡

 お疲れさまでした。裏鳥居から入ります。裏鳥居からお参りするのは初めてでした。
熊野本宮大社裏鳥居

  歩いて行くと八咫烏のポストがあった。何だかありがたみが有りそうな・・・。
八咫烏ポスト

 そして、ゴール!
ゴールです

  ありがとうござざいました。熊野本宮大社社殿。
社殿
熊野本宮

  狛犬もマスクをしています。
狛犬もマスク

  ここで一足先に、サンティアゴ・デ・コンポステーラとの「共通巡礼達成」の証明書をいただくためにグループを離れていた方と合流。せっかくなので太鼓の儀を見せてもらう事にしました。
証明書

 
巡礼達成大太鼓の儀

 そして、石段を降りて
参道の階段

 本来の鳥居に向かいます。
表鳥居
   
 皆がソフトクリームをいただいている時間を使って、世界遺産センターをざっと見てからホテルに向かった。

  今日の宿は、川湯温泉で温泉に入れるのだ。露天風呂も満喫して、ゆっくりと過ごせました。ビールとワインもいただきます。

  明日は、最終日で、速玉大社や那智大社も回ります。


 早朝、3時半に目覚ましをかけ、4時30分から朝食をいただきました。半分眠っている様な感じで、食欲はなく、コーヒーとパンを流し込む。

 5時20分宿をスタート。昨日のゴールだった、継桜王子まで送ってもらう。ガイドさんは、今日は違う方でした。 

 熊野本宮大社までの距離は、22km以上、歩行時間は休憩を入れて約9時間。どうしてこんなに早いスタートになったかというと、「共通巡礼達成太鼓の儀」の申し込み時間に締め切りが有るからだ。万が一申込人数が多い場合も考慮した結果である。

  暗い中、ヘッドランプをつけての歩きです。

 比較的平坦な国道311号を進み小広トンネルを過ぎたあたりから急な登坂に変わり、1つ目の峠わらじ峠を越える。今日は、3つもの峠越が待っているのだ。
 峠を降りきったところからは、迂回路に回り2つ目の峠、岩神峠をめざす。この迂回路の山頂は標高700mとある。

 湯川川の手前、蛇形地蔵でお参り。
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蛇形地蔵

 ここのお世話をしていた高齢の女性は、施設に入ってしまったそうだ。小さな石像も並んでいます。
小さな石像

 湯川川を渡ると湯川一族の発祥の地という案内標立っていた。この湯川氏というのは、かの有名なノーベル賞をもらった湯川博士の本家筋にあたるそうです。湯川博士も子供のころ遊びに来ていたかもしれません。
湯川一族の発祥の地

 隣に有るのが、湯川王子。
湯川王子

 社
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 そして再び峠を越えてゆきます。3つ目の峠三越峠を超えたところで、小休止。トイレを済ませ補給食をいただきました。
 ここからは一気に下って行きます。
三越峠

 古道を歩いていると、かつて人々の住んでいた痕跡をあちこちに感じる。精密な石垣やかつての台所や厠跡、お風呂に使った五右衛門釜などが、打ち捨てられているのだ。
 大変な思いをして、田んぼを作ったのだろうが、今は杉林になってしまっていた。
こういう集落跡があちこちに有る

 熊野川に合流する音無川に沿ってしばらく歩いて行くと、船玉神社に到着。船の神様です。
船玉神社

 昔神様が玉滝で行水をしていると、蜘蛛が溺れそうになっていた。そこで神様が、サカキの葉を投げてやると、蜘蛛はそれに乗って手足を使って漕いで行き無事に岸にたどり着いた。その様子を見ていて神様は船を思いつき、楠をくりぬいて船を作ったそうだ。これが最初の船となった。

 また、本宮の奥の院にあたるともいわれており、隣には、玉姫稲荷が祀られて、夫婦神として信仰されている。
おキツネ様

 さらに進み、番号道標60番、猪鼻王子跡までやって来ました。あと15番で本宮に到着できる。
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猪鼻王子跡

 お地蔵さまも。どこかでお見かけしたような顔だなあ。
誰かの寄進

 またまた坂道を登って行き、熊野本宮大社の神域となる発心門王子に向かいます。
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 王子社
発心門王子

 世界遺産の碑
世界遺産熊野古道の碑

 先が見えてくると人は元気になる。軽やかに歩き、水吞王子跡に到着。
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水吞王子跡

 右側の像の折れた部分を触ると、体の痛いところに効くとか・・・。
腰の折れた所を触る

 防寒の為でしょうか?つとを着せてもらったものも。
つとにくるまれて

 果無山脈の説明板。
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果無山脈

 次の伏拝王子跡で、お昼ごはんをいただきます。

 






  

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