好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 三重県


  次々と地区の漕ぎ手達が集まって来て、準備を進めていくのを見ているだけでも楽しい。
それぞれに



  かっこいい法被を着ているのは、役員関係者のようです。

役員さん達



  全員が集まって、出発式みたいな感じ。

開会式みたいなもの


  船には、漕ぎ手の他に、烏帽子をかぶった人物と、後方で声をかける人物がいる。9艘の船にそれぞれ11人が乗り込み、約1.6㎞先の御船島に向かって進み、島を3周して順位を決める。

  
船を下ろします。



  練習します。
練習




前もって乗る船や船の位置はくじで決まっています。



 そうこうしているうちに、神輿渡御からご神体が戻ってこられたようです。

  
儀式の始まり


  これから、宮司さんらによって、神幸船に移されます。

神様が移られる



 この方は、一足先に御船山に渡るようですが、救命具の付け方がわからなくて苦戦。

救命具を付けるのにてこずる



 それを見守る諸戸船のこの赤い着物を着た方は、「ハリハリ踊り」をしながら神幸船を引っ張っていく役目を担っている。櫂を回して船のゆく手をはるかに見渡す格好をする。

諸戸船に乗る女性のような恰好をした人物が櫂を振り回して踊る (1)




  いよいよスタートです。我々も少し離れた位置で三反帆の上から見守ります。

いよいよスタートです



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 日が陰って来て、まぶしくなくなったのはいいが、暗転が過ぎて時々見えなくなってしまう。

  



 車や見物客が船に並行するように走っているのが見える。

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 御船島が見えてきました。ここから、右に旋回していく。
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 勝負が決まったころ、諸戸船と神幸船が到着。やはり島を3周します。

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 こちらの船は、雅楽を奏でているようです。
雅楽船


神幸船を引く


 そして、神幸船を河原に着け、そのまま神輿は御旅所に移動します。

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 われわれも、そのあとをついていく。御旅所では、神様を杉でできた仮のお社に神輿からお渡ししたのちに、真っ暗な中で神事が行われます。
  ここからは撮影禁止。厳かな雰囲気の中で進んでゆき、最後は、ご神体は、宮司さんとご一緒に大社へと戻られました。

  これで、祭りは無事終了。我々も暗い中を、速玉大社を目指して歩く。


  迎えのバスに乗り込み、ホテルへ向かう。夕食は、街の居酒屋です。

  これで今回の、旅は終わり。解散となります。明日は、それぞれが暮らす街へと帰るのだ。

  


 これが三反帆です。 
三反帆


  川船に使用する木材は、スギ・ヒノキ・ケヤキ・カシの4種類で、すべてを熊野川流域の森林から調達している。
  船体・床板などは、軽くて腐りにくく粘りがあるなどの理由で、スギが多く、船縁や船内の一部には、ヒノキとケヤキ、船底の補強にはカシといった具合に使い分けられているという。

  熊野川中下流域の新宮・本宮間は9里8丁と呼ばれ、平安・鎌倉期には、参詣道として川船が大いに利用された。
  その後も。土地の人々の渡しや生活用品の運搬に使用されたが、次第に陸上輸送へと移り変わり、昭和30年代には、その役割を終えた。

  写真の三反帆の川船は、全長8.6m、幅約1.6mで、5mの帆を3枚帆柱にあげ風をとらえて走る。


 では出発です。いったん河口まで走って行き、戻って神様が神幸船に乗られる場所に船を止め、速玉大社に向かいます。
 速玉大社で、神事などを見学した後は、再び川岸に戻って来て、早船競漕の準備の様子や神様の神輿への乗り継ぎなどを見た後、再び三反帆に乗って、早船と並走しながら上流へ向かうという予定になっている。


 最初は帆無し。
熊野川を遊覧していきます

  

  畳石。

畳石



  風が出てきたので、帆を上げてみました。


帆を上げて



  行く手にJRや国道の橋が見えている。

JRや国道に架かる橋


  亀島。亀には見えない気がする。

亀島



  御船祭りの諸戸船と神幸船がとまっています。


諸戸船と神幸船 (1)


  その下流には、早船競漕の船が陸に上がっているのがみえた。


早船競争に出る船たち


  これは新宮城の川港跡。洪水に備え、6mもの石垣が築かれている。また隣接して、見つかった建物は、備長炭を専売していた領主水野公の炭納小屋跡とかんがえられている。


新宮城の港の跡と炭納屋跡



  橋をくぐります。城山の下を列車のトンネルが貫いているのはここだけだ。列車は、トンネルを抜け橋を渡ると三重県に入る。

城山の中を紀勢線が通っている




  あ!列車だ。
列車が通った



 河口まで行って、Uターン。


下をくぐる



  先ほど、諸戸船の停泊していたところで下船。速玉大社へと向かいます。

  ここへお参りするのは、昨年の3月以来だ。


  神馬がいたので、一緒に写真などを撮らせてもらう。

神馬


  神馬の上に乗っているのは、「一ツ物人形」と呼ばれ、熊野権現の神霊の憑座とされていて、神馬渡御式では、この人形が行列の先頭を進む。

  
1ツ物人形、神馬渡御式では先頭を行く



  速玉大社本殿。


速玉大社




  神様を運ぶ神輿。

神様が乗る神輿


 神様を、神輿に移す行事が行われた。



  そして、巫女による舞の奉納が行われ、
巫女の舞の奉納を受ける (1)



  神様をのせた神輿は、町中に向かいます。


神輿は町の中を歩く



  鳥居をくぐったところで、先ほどの神馬と遭遇。人形はかなりそっくり返ってしまっていました。


ひとつ物人形が戻ってきました。



  さて、我々は、河原に向かい、早船競漕の漕ぎ手達の様子を見せてもらう。

  氏子地区9地区による競争で、神様の船より先に出発します。すでに乗る船や位置も決まっている。スタート位置で、ほぼ順位が決まってしまうとか・・・。


  あ、漕ぎ手の人達が集まってきました。

  
早船競争の漕ぎ手たちが集まってきました



  これから、準備をしてゆきます。


 部屋から見えた朝日。なんだか串刺しみたいになっている。 


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  このホテルの朝食もなかなかでした。梅干し美味しかったよ。

朝食




 8時。ホテルを後にして七里御浜迄向かいます。昔は浜街道を歩くのも命がけだったそうです。熊野は波が荒いので、波打ち際を歩くのは、とても危険を伴う。しかも浅瀬になっていなくて、急に深くなっているのだ。
  
  ただし砂浜ではなくて、砂利浜なので足が沈み込むという感覚はなく少し歩きやすい。

  
七里御浜は砂利浜です



  この浜では、夏になると花火大会が開催され多くの人々が訪れます。

  海の方向に口を開けているように見える巨岩は、獅子岩。隣の神仙洞とともに、熊野山中の大馬神社の狛犬とされている。

  阿吽の行の獅子岩
獅子岩


  こちらは吽形。

こちらが吽形



  ここから花の窟まで浜を少し歩く。


  自然崇拝の姿を今に伝える場所ということで、世界遺産に登録されています。

  花の窟

花の窟神社


  丸石。流紋岩の核の部分だそうです。野球監督だった王貞治氏や花巻時代の大谷選手もお参りして触ったという。ボールに似ているからでしょうか。


丸石



  目につくのが不思議な形をしたしめ縄。
綱をケイトウの花やセンスで飾る



  ご神体である高さ45mの巨岩から伸びています。先の方には、ケイトウの花やセンスが括り付けられている。

  
御綱かけ神事


  10月2日に新しく架け替えたばかりなのできれいです。

  この綱の先を参加者たちが持って歩いてゆき、国道わきの片隅に括り付ける。

端はここに



  祀られているのは、イザナミノミコト。
祭神は、イザナミノミコト



  ご神体の岩。
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  ここからはバスにて、移動。途中ウミガメを道の駅で見たりお土産を買ったりして、浜街道が終わる地点近くから再び浜を歩く。

  浜街道の終わりは、鵜殿港近くの加持鼻王子権現跡だ。伊勢路にあった数少ない王子の1つですが、津波で2度流され、移転された。

  鵜殿港あたり。
浜街道の終わり



  浜から上がりさらに山側のほうに歩いていきます。ついたところは烏止野神社。うどのと読みます。この後見学する予定の御船祭りに関係の深い地区で、神幸船を引っ張る諸戸船に乗るのは、鵜殿の人々なのだ。


  烏止野神社。
烏止野神社


拝殿



 さらに歩いて、熊野川の河口付近までやってきました。

河口はすぐそこ



 この倉庫みたいな場所が、諸戸船が閉まってある場所です。このレールで川まで運ぶという。

レールで川まで運ぶ

  
 諸戸船というのは、こんな感じの船です。

諸戸船



  もう一か所、速玉大社に関係の深い神社をお参りします。

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由来



 社殿。
社殿


  さあ、いよいよ熊野川を船で下る体験をします。熊野川は、川の参詣道とも呼ばれているのだ。
現在、川船を作れる方はたった1人になってしまったという。少し前から、見習の男性が、修理の方法などを修行中だとか。

  船の乗り場まで行ったら、そこでお昼をいただき、いったん河口まで船に乗って下ります。


  事務所に到着して、目に入ったのが整然と並べられている道具の数々。
船大工さんの道具


  これは修理中の船でしょうか。

修理中の船


  現在御船祭りで使用する船はすべて、ここで作ったものだという。


 並行する道、大吹峠道に戻るため、大観猪垣道を使って平行移動します。 
合流したのち、下って行き、国道で再びバスに乗って、松本峠の登り口の近くまで向かうという。

  2番から登り、今オタオ山への案内板辺りにいるので、そこを緑の道を大吹峠まで向かうことになる。バスは、バス停大吹峠口辺りで待っていてくれる。
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平行移動



 イノシシになった気分で歩きましょう。
大観猪垣道




古い猪垣に沿って歩く





 途中、展望台があり、そこから素晴らしい景色が望めた。七里御浜の先まで見通せる。手前のこんもりしたお山に、鬼ガ城跡がある。
7里御浜の先まで見える


  2時過ぎ、松本峠を案内してくれるガイドさんとあう。今回初めての女性で、彼女は明日の新宮まで付き合ってくれます。

  彼女と一緒に松本峠の入り口まで移動。松本峠は、熊野市にあり、街からも比較的近いので人気の峠道です。そしてこの峠を越えれば新宮までは、もう峠はない。

  峠登り口。

松本峠登り口



人気の峠です


  
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  石畳の側面が見事な石垣で固められている。
美しいカーブ



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 途中から石畳は、明治時代のものに変わる。明治元年、木本と古泊の漁師が鮪の水揚げに関する騒動を起こし、代官所が、罰として漁師たちに築かせたものだという。
  石も薄く、形が整っている。


明治期の石畳と根っこ


  峠です。

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 峠には、お地蔵さまがおられます。足元の白い石は、神社の象徴で、神仏習合を現しているとか。

松本峠135m


  でもこの大きなお地蔵さまは、建てられたその日に、鉄砲で撃たれてしまい、穴が開いてしまったという。
立ったその日に鉄砲で傷つけられた



 さて、日が沈まないうちにここから鬼ガ城を目指します。鬼ガ城も古道の一部に認定されていて世界遺産なのだ。本来1周できるのだが、今日は波が荒くて、半分ほどしか進めません。


 展望台からは、大泊湾や七里御浜が望め、巡礼者は、浜街道の先にある熊野速玉大社に思いをはせたであろう。
大泊湾


 砂利浜は、25㎞も続くという。

七里御浜



 鬼ガ城跡までやってきました。
鬼が城跡


  このがけ下には、たくさんの桜が植わっていたのですが、今年の8月の台風で、かなりの木が根こそぎ倒れてしまっていた。この辺りの地形は、岩山なので、根っこを張れないのだ。



 千畳敷へ
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 海風蝕と数回の大地震で隆起した凝灰岩が作り出した奇形だそうです。
ここも世界遺産



 
波が荒くて半分しか通れなかった


 だんだん暗くなってきた。

日が落ちる



 沖に浮かぶ島は、坂上田村麻呂がここから矢を放って、鬼と恐れられていた海賊たが丸を成敗したという伝説の魔見ヶ島です。
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 盛りだくさんだった一日もこれでおしまい。ホテルに戻ります。旅も、明日がゴールとなる。
 
  


   雨は朝方まで降っていたが、ホテルを出発するころには、青空に変わった。

 目の前の電線で、トンビが羽を乾かしていました。


トンビの羽根乾かし



  今日最初に歩く道は、勾配はないものの、とても滑りやすい道だというので、昨日に引き続き麻縄を巻いての出発となりました。道も苔もまだまだ濡れているのだ。

  
今日も麻縄




  この石畳は、伊勢路の中では最も古い鎌倉時代の道。
1つ1つの石が大きくて、重そうだ。

鎌倉時代の石畳




 波田須の道案内標識。

波田須の道標


 さっと歩いて、海が見えるおたけ茶屋跡までやってきた。ここからは、海を見ながら下ってゆきます。古道とは関係ないけれど、この辺りは、徐福伝説で有名なので、徐福の宮にちょっと立ち寄りました。

  古代不老不死の薬を求めて中国からやってきた徐福は、高度な文明を里の人に伝えたといい、里人は、ずっと信仰を続けている。


徐福の宮


  これは徐福の墓。

徐福の墓



  祠の背後には大きなご神木がある。

ご神木



  お参りをした後は、しばらく紀勢線の線路を見ながら歩き、国道311号線に合流。そのまま少し歩き、大吹峠に向かった。

  大吹峠道標
大吹峠登り口



 この峠道は、里人の生活の様子の跡が残っている道で、江戸時代に築かれたという猪垣もみられる。
  
里の雰囲気がある



  
猪垣が続く



  峠は、205m、少し休んで下ってゆきます。待っていたバスに乗って、観音道の登り口のある大泊まで移動。

  観音道を歩きます。
観音堂登り口



 
観音道説明


  観音道は、大吹峠とほぼ平行した道で、観音信仰が盛んだったころは、大吹峠を通らずに、道の傍らに西国33か所の観音石像が立ち並ぶ、この観音道がよく使われたという。

  かつて、観音様の命日には、おはぎやお寿司などので店も出るほどのにぎわいだったと聞いた。


 入り口のところには、33か所石像の第5番から15番が並んで我々を送ってくれます。
第5番から15番が並んでいる



 石畳の苔道です。
ひたすら上る



 ふくろう岩と名付けられた大岩と観音様。

ふくろういわと石仏



 28番と読めます。
28番




 観音様は変身できるので、千手観音や十一面観音など石仏がみられる。

西国33番の観音様たち



  この石像は、西国33か所の結びの寺、谷汲山華厳寺の観音像だ。となりには、祠におさめられた自然石の馬頭観音。
華厳寺の観音像



自然石の馬頭観音



  もうひと頑張りで、ゴールの比音山清水寺後に到着です。
もう少し上る (1)



泊観音説明




  
   泊観音

泊観音地蔵



  千手観音像と岩を利用した祠。
千手観音と岩の祠



  我々も、ここでお参りし、お昼ご飯を頂きました。


  


 天気予報では、今日の午後から雨になるとのこと。

 こんなにきれいな朝焼けだったので、降るかも・・・。夕焼けは晴れ、朝焼けは雨って言いますもんね。 

  漁港に向かう道

朝の尾鷲の町



  漁港の横から海を見る。

朝焼けかなあ



  今日はなんと、7時15分出発です。雨が本格的に降る前に下山出来たらいいなということかな。


  八鬼山超えは、伊勢路ルートの中では最難関の峠超えである。距離も長く、標高差も大きい。西国一の難所といわれ、その昔、山賊や狼が出没して、巡礼者を苦しめた。

  天気が良ければ、絶景が望めるというが、今日は雨が降らないことを祈るのみです。


  ここから出発です。
八鬼山超え



 これは、巡礼供養碑といい、行倒れた巡礼者を地元の人々が手厚く葬ったものだという。とはいっても、お金の持ち合わせのない巡礼者は、こうはいきません。碑を建ててもらえたのは。それなりのお金を持って旅していた人達だという。

  巡礼者の身元が分かるものには、彼らの家族に知らせるなど、後始末もちゃんと行ってくれます。

行き倒れの人の供養





 この石仏は、清順上人供養碑です。
清順上人供養碑


 
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 八鬼山も急な石畳の道である。
登りが続きます



 道のわきには、石仏がいくつも置かれていて、町石と呼ばれている。たいがいは、長年の風雨で、輪郭があまりはっきりしなくなってしまっている。
町石


石仏の町石



  人があまり通らないせいか、苔がはがれていない。
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  巨岩がごろごろしているのも特徴で、流紋岩というらしい。表面がどんどんはがれていって、最終的には丸くなってしまう。

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  これも、巡礼者供養碑。
これも供養碑




 町石。蓮華座の部分はきれいに残っていました。

顔が削れている



 この町石は、目をつぶってベロを出しているように見える。
ベロを出している


 
  雨がぽつぽつとあたるようになってきた。そろそろ、合羽を着なくてはいけない感じになってきた。
天気が怪しくなってきた



 この石仏は、38丁という文字がみられる。
38丁と読める



 巨大な石、蓮華石。


巨岩がいっぱい





  大雨になれば、一気に水が駆け下ってくるのだろう。
八鬼山はなかなかです




 荒神堂までやってきました。西国33所第一番札所の前札所として、かつては多くの巡礼者が訪れたという。堂は、最近新しく建て替えられた。


荒神堂



  ここでいったん止んでいた雨は、本格的に降り始め、雨の中を歩くこととなってしまった。幸い、大振りにはなってはいない。

  なぜか、3石仏が固まっています。

3体重なって




  峠に到着。
647m、峠です



  お弁当を食べるために、少し下って桜の森広場まで向かう。ここには、あずま屋があるので、雨をしのげるのだが、いつもなら、志摩半島から那智山まで望めるという絶景は、分厚い靄と雲の中でした。

  そそくさと、お昼をいただき、ガイドさんの横笛の尾鷲節を聞かせてもらったのち、ゆっくりと降りていきます。

  苔道は、滑るので、麻縄を靴に巻き付ける。こうすると、滑り止めの効果抜群になるのだ。

  写真を撮る余裕もなく、ひたすら歩く。


  三木里海水浴場で、バスと合流。ガイド氏とはここでお別れです。


  我々は、バスにて熊野古道センターに向かった。総ヒノキの素晴らしい建物ですが、人気はあまりないらしい。

  ここで、伊勢路のハイライトをビデオで見せてもらう。
ヒノキの熊野古道センター



  そして、隣接する、夢古道尾鷲で、海洋深層水を使用しているというお風呂に入り、ホテルに戻ってきた。

  時間は、19時。部屋の中に濡れたものを広げ、エアコンを暖房にしてから食事に向かった。リュックも靴もすべて濡れてしまっている。

  帰ってくるまでには乾いているといいな。


  尾鷲のおいしい魚を食べさせてくれる居酒屋さん。昨日は、今季初めてのサンマに舌鼓。今日は、解禁になったばかりの伊勢海老でした。

  
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  本当に、伊勢の国は、お魚がおいしいです。


 今日は、始神峠と馬越峠を歩きます。

 8時15分、ホテルを出て、バスで始神峠の登り口に近い公園に向かい、ここでガイド氏と合流。今日のガイドさんは、なんと83歳!

 背筋もピンとしてらっしゃって、驚きです。空手の達人でもあられるとか・・・。

 始神峠のはじかみは、サンショウウオ意味する椒が由来なんですって。昔はたくさんいたのだろうか?


 3.5㎞を約2時間ほどかけて歩きます。江戸道と明治道があり峠で合流する。

 
始神峠登り口


  根っこ道は、気を抜けません。根っこに足を取られないように・・・。

根っこ道




 標高147mの峠には、茶屋がありました。昔の人も、紀伊の松島の美しい景色を眺めながら、休んだのだろうか。
峠に茶屋があった


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始神峠


 江戸道。8月の台風で、かなり荒れたのだという。
結構厳しい道が続く (2)


 下ったところにあった碑は、プレートに変わっています。自治体が変わったことがわかる。
名前が金属プレートに変わった。



 海山町側の説明文。
海山町側の説明



 国道まで歩いて、バスに乗り、馬越峠を目指す。馬越峠は、石畳が美しいので人気の峠です。

 入り口
馬越峠入り口



 こういう道がずっと続きます。晴れているときはいいけれど、雨が降ると苔は滑る。

風情がある


 夜泣き地蔵尊。でも普通の石に見えるわ。
夜泣き地蔵


 明治頃までは、ちゃんと石地蔵があったらしいが、いつの間にかなくなってしまったようです。地区の人々が子供の夜泣き封じを祈って、夜泣き地蔵と呼ぶようになったという。

  
  峠道の中で唯一の橋は、大きな一枚岩です。

石橋と石畳



  峠までは、まだまだ歩かなければならない。石畳は、自然石をうまく使って敷かれたもので、日本でも雨量の多い尾鷲の雨から、道を守るために築かれたという。今でいう舗装道路である。


まだまだ



  この大きなヒノキは、根っこを張り枝を伸ばして踏ん張っている。この先から坂道は少し険しくなります。
根を張るヒノキ



  ようやく峠に到着。木が成長してしまい、見晴らしはあまりきかないが、お弁当をいただきます。

茶屋があった




 これは桜地蔵。なんとレンガの祠でした。
桜地蔵



  
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石畳も文化財



 ここを少し下ったところに分かれ道があり、右手の坂を上っていくと展望台にでる。
展望台を過ぎると江戸道は終わり、明治道が続く。

 さらに下って、馬越不動尊で休憩。こちらも立派な祠に入っておられます。
馬越不動尊 (2)



 昔は石畳だったが、その上に舗装道路をかぶせてしまったという急な道を下っていき、尾鷲の市街地に到着。


 市街地を歩き、金剛寺の山門を右手に見ながら進むと、尾鷲神社の大楠が見えて来る。

 仁王像が出迎えてくれる。
金剛寺



 ひと際目立つ2本の大楠。樹齢千年ともいわれている。
大楠


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 尾鷲神社。今日は、ガイドさんの口利きと宮司さんのご厚意で、特別大太鼓の音を聞かせてもらいます。
尾鷲神社



  毎年、2月には、「ヤーヤー祭」がおこなわれるという。

  1本の木をくりぬいて作った太鼓としては日本で一番大きいのではないかという。
大太鼓


  神社には、ほかにもいくつか太鼓があり、そちらの太鼓もたたいてくれましたが、音が違う。迫力が違う。F1の車のエンジン、戦闘機の爆音という響きでした。おなかに来るのだ。


  今日はもう少し歩きます。神社を後にして、熊野街道を進む。


  井戸が残る昔の家。こういう家は、井戸の位置も決まっていたのだとか。きんもくせいのむせかえるようなにおいと一緒に、歩きます。

  
昔の農家


  この焼却炉のようなものは、昔、農家さんが畑に入れる灰を作るときに使ったものだという。初めて見ました。今は、ごみ焼き場になっているようです。
畑に入れる灰を作るためのもの



  今日もよく歩きました。


 朝食の少し前、すぐ目の前にある城の浜に行ってみた。 


城の浜




 なぜかどこでもドアみたいなドアが・・・。

どこでもドア?


  このホテルの朝食は、とても有名なのだという。確かに豪華で、地元のものもふんだんに使われているし、ご飯もうまい。朝から刺身なんて初めてだ。

  こちらはずらっと並んだ干物。マンボウの干物なんてものもあります。


季の座名物 干物


  自分の席で焼いていただきます。

こうして銘々に焼きます



  8時15分、ホテルを出発。最初の峠荷坂峠を目指す。


  伊勢路では、峠の前に古道をイメージした石柱があり、峠の名前が書かれています。文字は、陽刻だったり陰刻だったり、プレートが貼ってあったりと、自治体によって違うようです。

  
古道の道を現した道標



  
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  峠にて、江戸時代の紀行作家、新潟の鈴木牧之もここで句を詠んでいる。

  
沖見平からの眺め



  峠には、このような木の道標があり、100mごとに置かれている。
100mごとにこの道標がある。ここは、12分の7地点



  江戸道には、こんな場所も。道ではないね。
整備されていない江戸道



 ゴール。
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  バスの待っているところまで歩く。

  猪垣
猪垣



  一里塚の説明。石仏が一里塚になっているようです。
一里塚


   この後はバスで、ツヅラト峠の入り口に向かう。つまり荷坂峠との分岐点まで戻るのだ。荷坂峠とツヅラト峠は、平行していて、紀伊長島の町で合流しているのだ。江戸時代以降は、荷坂峠の方が多く使われた。

  途中、都を追われ熊野詣の旅に出た花山法皇の遥拝所があり、その近くに西国33か所の観音石像が安置されていたので立ち寄った。


  小さな山の中に、点在しているのだが、道路に近い石仏は、盗難にあってしまい、新しくされたそうだ。
西国33観音石像


  台座の部分に、寺の名前が書いてある。
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 ツヅラト峠の入り口

ツヅラト峠登り口


 峠からの眺め。

 紀伊長島の町が見える。
紀伊長島の町が見える


 標高357m。
標高357m


 山の神

山の神

  
 炭焼き小屋の跡。

炭焼き小屋の跡



 下って来て、紀伊長島の町まではバス移動。町の中にも熊野街道は通っているので、昔はにぎわったのだろうな。

 共同の水汲み場、どうけという。
どうけ


 街道沿いの旧家。

旧熊野街道沿いの家


 地元では有名人熊嶽邸跡、霊術家だそうです。
旧熊嶽邸



 長楽寺。樹齢280年を超す、城腰紅梅が有名。
長楽寺


 今はこんな感じ。思ったよりスマートでした。
樹齢280年を超す梅

  

  隣接してあるのが、水神様が祀られているお堂と、共同の水汲み場。

水神様と共同水汲み場


  木彫りの仏さまは、地元の人の手作りだそうです。
岩の壺堂 (1)



  昭和時代の店舗を利用した街歩きの休憩所。

街のたまり場昭和のお店


  中で、かんからこぼしの影絵を特別に見せてもらった。
かんからこぼしの影絵



  さらに歩いて、長島神社にむかう。祭神は、須佐之男命。1587年に再建されたという。社殿の高さ8mにも及ぶ石垣は、江戸時代の天保年間に、村人総出で大島から石を運んだものという。

長島神社


  またこぶのある大楠は、樹齢850年ともいわれ、境内の暖地性植物群落は、県の天然記念物になっている。

  こぶに触りたかったが、囲いがしてありかなわず。
樹齢850年ともいわれる大楠



 境内から眺めはこんな感じ。白い柱は、昇降式の橋ですって。この右手奥にドックがあります。

白く見えるのは可動式の橋


  国道まで続く、歩行者と自転車専用のトンネル。交通事故を防ぐために造られた。結構長い。これを通ってバスに向かう。

  
歩行者専用トンネル




  ホテルには、5時少し過ぎたころに到着。部屋からはこんな美しい景色が見られた。
部屋からの眺め

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