23日の日、奈良県の五條市にある幻の鉄道跡を歩くツアーに参加してきました。
名古屋から、団体専用列車「かぎろひ」で、大和八木駅まで向かい、そこでバスに乗り換え出発地点である五條市へ向かう。
五條市では、企画者による説明を聞き、マップを受け取る。そして、出発地点である城戸バス停へ移動。
ウオーキングは、フリーなのでそれぞれが自分のペースでゴールを目指す。途中、チェックポイントでスタンプをもらい、お昼ご飯も用意されています。
12時近く、いざ出発。

五新線とは、奈良県の五條市から紀伊半島を縦断して、和歌山県の新宮市を結ぶ壮大な鉄道路線計画だった。建設の要望は、明治時代の終わりからあり、大正12年(1923)には、五條~坂本間の建設が国の計画に決定。しかし、着工は昭和14年(1939)までずれ込んだうえに、工事の中断を繰り返し、昭和40年(1965)にようやく路盤が完成していた五條~城戸(西吉野町)間で暫定的に路線バスが運行開始されたものの、昭和56年(1981)路盤工事が完成目前だった坂本までも、国鉄再建問題で凍結されてしまった。その後も、バスは、運航を続けたが平成26年(2014)9月、バスも廃止されてしまった。
今回は、バス路線が走っていた部分を歩きます。
出発してからの前半はトンネルが多い。灯りが全くないので、懐中電灯がないと歩けません。

かつてバス停だったのでしょうか?

ちなみにですが、ここは2016年、土木学会選奨土木遺産に選定されています。
市街地を外れているので、こんな雰囲気の良い集落も有ります。

3分の一ほど歩いたところで、廃校となった小学校の体育館を借りての昼食。
中々豪華なお弁当でした。


後半は、一般自動車道との交差も有り鉄道の跡地を歩いているという雰囲気はない。
2時半ころには、観光センターに戻ってきました。ここで、完歩のシールを貼ってもらいます。

この後は、それぞれ自由に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている五條新町を散策して、最後は長屋門に再集合。
五條新町は、中世に成立した町場を起源とする五條と江戸時代初めに整備された二見城の城下町に由来する新町の2つの地区から成り立っている。
江戸時代に栄えた紀州街道沿いの商家町として栄えたこの2地区は江戸時代初期から昭和初期までの約4世紀に渡る多様な建物を見ることができるという。
入り口部分にあり最も目立つ、栗山家住宅は非公開なのでスルー。
酒屋さんの前を通り過ぎる。

建物内が公開されているまちや館。江戸時代に米商を営んでいた。母屋は18世紀前半の建物です。

通りで唯一の看板建築だという旧澤井眼科。現在はチョコレート専門店になっています。

大正時代の建物で、黒漆喰塗りの壁が特徴的な柿本家住宅。

いくつかの建物は、リノベされて宿泊所になっていますが、こちらの山田旅館は当時のまま。「五ニ館」という看板は、創業者が五條村と二見村の間にある旅館として名付けたものだという。

キセルの絵看板。

ここにも幻の五新鉄道の遺構がありました。高架橋で、昭和16年(1941)に竣工した連続アーチの橋だ。


通りは、吉野川と並行しているので小さな路地を抜けると吉野川に行ける。

関ヶ原の戦いの功績により二見城城主となった松倉重正の墓碑がある西方寺。

通りのはずれ迄やってきました。振り返ると、

安政6年の棟札があるという大型町家を改修したフレンチレストランもあります。

建物の特徴としては、格子戸と虫籠窓がある。

うだつや立派な鬼瓦も特徴的だ。
最後は、長屋門のある史跡公園。ここには、SLと「明治維新発祥の地」と記された大きな石碑が目を引く。



こういう歴史があるんですね。全然知りませんでした。
で、長屋門。1864年に建てられた代官所の長屋門を改修したもので、資料館になっていた。間口が40mもあるそうです。

公開されている建物がちょっと少ないとは思うが、普通に暮らされているわけだから、仕方がないです。
16時半、再びバスに乗って大和八木まで向かい、列車に乗り換えました。帰りは、夕食の時間に重なったので、ビールと豆腐の一本バーとベトナム春巻きを買い込み車内でのむ。
外は寒いが車内は暖かく、おいしくいただけました。
で、長屋門。1864年に建てられた代官所の長屋門を改修したもので、資料館になっていた。間口が40mもあるそうです。

公開されている建物がちょっと少ないとは思うが、普通に暮らされているわけだから、仕方がないです。
16時半、再びバスに乗って大和八木まで向かい、列車に乗り換えました。帰りは、夕食の時間に重なったので、ビールと豆腐の一本バーとベトナム春巻きを買い込み車内でのむ。
外は寒いが車内は暖かく、おいしくいただけました。