好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 兵庫県


 今日は、ホテルをチェックインした後、個人的に明石へ行ってみることにした。

 明石城と、子午線を見てみたかったからだ。

 JR神戸線の新快速に乗ると、20分ほどで明石駅に到着。明石城は、駅近なので早速向かいます。 

明石城入り口


 1619年、外様大名の多い西国の備えとして、徳川幕府2代将軍秀忠が命じて、築城された。

 初代藩主は、織田信長と徳川家康の2人を祖父にもつ小笠原忠政。1871年の廃藩置県まで明石藩は存続した。

 天守はなく、本丸に建つ巽櫓・坤櫓は、日本に12基しか現存していない三重櫓のうちの2基で重要文化財となっています。


 石垣を回るとすぐに見えてくるのが巽櫓。
巽櫓



 もう少し進んでいくと、左手の石垣の上に坤櫓が見えます。

坤櫓


 本丸に向かう階段前にちょっと変わった形の日時計が設置してあった。

日時計



 2つ並んで、
並んだ2つの櫓 (1)


 かっこいい!100名城にも選定されてます。緩やかな階段を上って本丸跡に行きます。

 近くで見た巽櫓。
重要文化財です



 背後に明石大橋が見えます。こんなに近いとは思っていなかった。
明石大橋と巽櫓


 こちらが坤櫓。
ひつじさる櫓

説明


 一帯は、県立公園になっていて、図書館や運動場・ボート池などが整備されています。

 三の丸で見た明石海峡大橋。

城から見ると


 違った角度から見た2つの櫓。

2つの櫓


 ここから歩いて、20分くらいで、明石天文科学館に行けるので行ってみます。

 JRの線路沿いに歩いていくと、タワーー部分が見えてきました。

明石天文科学館絵のタワー


 近くには、柿本人麻呂を祀った神社があった。3日でも結構な人が参拝に訪れていました。

 
柿本神社


 この階段を登っていくと、科学館の裏手に行けるようなので行ってみます。

 子午線標識の説明板と、赤とんぼの愛称がつけられた子午線標識がある。

子午線標識の説明



赤とんぼ


 科学館のタワーと重ねると

天文科学館と赤とんぼの子午線標識


 近くに月照寺という寺があり、鐘楼にも子午線が通っていた。

鐘つき堂と子午線標識


 この線上が子午線らしい。

子午線


  この辺りから見た明石海峡大橋。どんどん近くなる。淡路島もすぐ目の前にあります。

明石海峡大橋



  科学館に到着。30人程が、並んでいた。お正月料金とかで、200円ほど安くなっていました。


明石天文科学館





 3階、4階が展示室になっているのでそちらを見学した後、プラネタリウムへいくことにした。ここで日本の標準時が定められているのだと思うとなんだか不思議な気がする。

  子午線が通ってる場所を示した地図。


こんな具合に通っている


  経度には、地図測量で決める測地経度と天文測量で決める天文経度がある。地球は、凸凹していて完全な回転楕円体ではないため、2つの経度は一致しないらしい。
  測地経度の東経135度子午線は、天文科学館の西約120m付近を通っているという。


  ここのプラネタリウムは、100周年ということで、投影機稼働期間が日本最長とのこと。

稼働期間が日本最長のプラネタリウム



  プラネタリウムを楽しんだ後は、最上階の14階まで行ってみます。


 淡路島。
淡路島



 窓には、
建物内を子午線が通る



  降りてきて、建物外にも・・・。


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東経135度


  子午線尽くしの天文科学館でした。満足!


  駅に向かう途中、振り返って。この時計台の時間は絶対に止まらないのだろうな。1.17の時はどうだったのだろう?

 
時計台


 さて、何を食べようか。
 結局、駅のビルで、ビビンバを食べる。


 ひかりの時間まで、少し時間があったので、魚棚通に行ってみた。

 たくさんのお店が開いていて、ここでお昼を食べればよかったと後悔。ここなら明石焼きもあったのにな。でもすごい行列だわ。

 
魚棚通


 今年も波乱の幕開けでしたが、平和な一年であることを願う初旅でした。
 





 圓教寺は、姫路市郊外の標高370m以上の山の上にあり、ロープウェイで向かいます。


 966年、性空上人が開いた天台宗の寺で、西の比叡山と称され、山上に多くの伽藍が立ち並び栄えた。
また、西国観音霊場第27番目の札所でもある。

 
 ロープウェイの駅からは歩いて、仁王門、壽量院などを見ながら、摩尼殿へ行けるのだが、今回は、ご年配の方が多かったので、マイクロバスで向かった。


 このマイクロバスが、かなり古くて、しかも道路のアップダウンが大きく、ちょっとしたアトラクションのような感じだった。


 バスを降りて少し歩くと目の前に、懸崖造りの大きなお堂が現れた。これが摩尼殿である。
 
摩尼殿



 創建は、970年。この地に大きな桜の木があり、性空上人は、木を切り倒さずに生きた桜に如意輪観音像を刻んだ。生木の観音像は、岩山をつかんでいるので、その上を厨子で囲いさらに建屋で覆った懸崖作りになったという。お堂そのものは、大正10年に火災で全焼し、昭和8年再建された。


懸崖造り


 入ってみましょう。
摩尼殿へ



 お堂の中は、線香などの煙でもやっている。

堂の中


扁額

扁額


 下をのぞくと

参道を見ると


 摩尼殿から、さらに奥に進んでいきます。道中、大木が、多く見られるが、その中でも目を引くのが樹高35m、幹回り8・4m、樹齢約700年以上という巨大杉。
千年杉


 寺では、結構な数の映画やドラマのロケ地になっているのだが、確かに、ここだけは時間が止まった感じがしている。


 野ざらしの大仏様。

大仏




 三つのお堂がコの字の形に立ち並んでいる場所に到着。ここでは、ラストサムライのロケが行われていてその時の様子なども、パネルで紹介されていた。


 手前には、土塀で囲まれた姫路城主本田家の廟所がある。廟屋5棟と本多忠刻らの墓碑が並んでいる。
本田家廟所



 室町中期に建てられた圓教寺の本堂にあたる学問と修業の場である大講堂。
  

大講堂



  その向かいにあるのが、常行堂。修行の1つ、「常行三昧」に徹する道場であり、表の舞台は、大講堂の釈迦三尊に能楽を奉納するためのものですって。
 本尊は、阿弥陀如来坐像です。

 
常行堂



 そして、2つの道の真ん中にあるのが、2階建ての食堂。1174年、後白河法皇の勅願で建てられた。正面は、15間、約40mあり「長堂」とも呼ばれ、2階建てでは日本で一番長い建物である。

2階建ての食堂


 常行堂には入れるので、行ってみます。

 1階は、写経道場、2階には寺宝が展示されていました。

 1階。
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 2階部分

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  2階から見た大講堂。

食堂から見た大講堂


  屋根の反り部分。


大講堂のひさし部分



  2階から見た本多家廟所。5つの屋根を見ることができる。


食堂から見た廟屋5棟



 常行堂とは屋根でつながってしまっている。どちらかの屋根が崩れたら、この部分は欠けてしまいそうだ。

常行堂と食堂の屋根の重なり部分




 袴を着た人に似せて袴造りとも称される、袴腰つきで腰組をもった正規の鐘楼。
1332年に再建。鐘は、1324年に、再鋳されたもの。


鐘楼



  ここからさらに進んでいくと、奥の院が有り、開山堂や護法堂などがあるのだが、ロープウェイの時間もあり、ここで戻ります。




  かつての宿坊の土塀だけが残っている。


土塀




 小さなお地蔵さんがたくさん並んでいる場所。


たくさんの地蔵



  ロープウェイ乗り場の横に新しくできた展望台の名前が面白い。「ミオロッソ」ですって!何となくイタリア語っぽい・・・。

  ロープウェイの乗車時間は、4分ほどです。
展望台から


 たつの市は、以前は漢字の龍野市だったが、合併後たつの市となるも、駅名は竜野である。
播磨の小京都と呼ばれ、街並みが、重要伝統的建造物群保存地区 に指定されている城下町である。




 素麺やお醤油が有名で、揖保乃糸やヒガシマル醬油はだれでも聞いたことがあるのではないだろうか。


 歴史のありそうなお菓子屋さん。
お菓子屋さん



 如来時。境内には、この町出身の童謡「赤とんぼ」の作詞をした三木露風の歌碑があるそうです。

 
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 向かい合って建っている洋風建築は、醤油資料館です。こちらも休館日でした。

醤油資料館

  

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  気になる路地

路地



  歴史のありそうな雰囲気の小学校。
カラタチの塀のある小学校



  小学校の向かいにあった蔵のある家。


蔵のある家




  この奥に龍野城に向かう道があるのですが・・。
龍野城へ





 三木露風の生家。


三木露風の生家



  醤油の郷 大正ロマン館。この辺りの建物も、素敵です。


醤油の里大正浪漫館 (1)



醤油の里大正浪漫館 (2)



  煙突のある風景。こちらもお醤油さんです。

煙突のある風景





 バスに戻り、旧御津町の室津へ向かう。今日のお昼ご飯は、ここでいただきます。


室津の街並み



  室津は、カキの養殖が盛んで、正月早々から販売をしているお店が並んでいました。
かきが名産




カキの販売所




  正月らしく、大漁旗が掲げられていた。正月の大漁旗は初めて見ました。日の丸も一緒に掲げられている。


  
大漁旗




  室津は、江戸時代の参勤交代が行われていたころ最も栄えたという。今でも、その面影を感じる風情のある通りが残されている。

風情のある港町



診療所


 お昼のメニューは、カキ尽くしで、ちょっとカキの苦手な私は、「聞いてないよう!」

 申し訳ないですが、あまりいただけませんでした。


 料理屋さんの2階から見た港。

室津港



 この後は、姫路に戻って書写山圓教寺に向かいます。混んでいなければいいのですが・・・。



  


 お正月は、お城に登る人が多いとのことで、ホテルを8時20分過ぎに出発。

 天気は文句なしで、青空に城がよく映える。 



 三の丸広場から見た姫路城。

 
三の丸越しに見た姫路城


  今日はガイドさんの案内が付きます。ツアーだとこういうところはいいよね。


  菱の門から入り、三国堀の辺りでストップ。

  菱の門は、片側が石垣の上に建っている構造です。

菱の門へ



  三国堀から見た天守。手前にあるのが西の小天守と乾の小天守。

三国堀辺りから見た大天守




 門にはそれぞれ、いろはの順に名前が付けられている。にの門の破風の上には、十字紋瓦がのっています。キリシタンと関係があるのかは、はっきりしない。


十文字瓦



  明治時代に描かれた城内図。
明治時代の城内図



  ここから、少し下っていく。これが敵に城外に続いていると勘違いをさせる仕掛けになっていて、実際は、天守閣へと続いている。最も、姫路城は、実戦を行ったことがない城ではあるが・・・・。

  天守閣の中は、バリアフリーどころか急こう配の階段が続く。地上6階・地下1階の7階構成になっているので、足の悪い方は、きついかもしれませんね。

  靴を脱ぐと、冷たさがきついだろうなあと、今日は、カイロを足の裏に貼ってきた。


  東西の大柱や、武具掛け、石落とし、武者隠しなどを見ながら登っていく。


  最上階には、長壁神社がお祀りしてあります。

天守最上階



  東西南北がよく見渡せる。


 駅のある南の方向。

南に駅




 シャチ瓦。

シャチ瓦



  丹下健三氏設計の歴史博物館は、東の方向にみえる。

丹下健三設計、歴史博物館



 下って来て、本丸広場から見あげた城。


本丸跡から見上げる


 石垣を造成するにあたり、石不足だったようで、石棺なども使われたようです。その石棺が展示されていた。

石が足りなかったので石棺も使った


 定期的な修理が行われた時に取り換えられたシャチホコ瓦。明治と昭和と書かれている。

時代ごとのしゃちほこ瓦

 少しづつ、変わっているものもあるのだなあと思う。


  最後、西の丸に向かい、テレビの暴れん坊将軍のタイトルバックになっていた姫路城を確認しました。

  
西の丸から見た大天守



  先ほど通った菱の門の屋根瓦の漆喰も美しい事。


美しい菱の門の屋根瓦



  お正月でも開いている、イーグレ姫路という施設の1階で、今日のお昼をいただきました。姫路は、シラスが有名ということで、大きなお椀に入ったシラス丼が出てきてびっくり。
お昼ご飯シラスどん



  自由時間に近くにある播磨国総社「射楯兵主神社」に初もうでに出かけたのですが、こんな調子なので断念!


射楯兵主神社


 イーグレ姫路の屋上から、姫路城の全貌がみられるというので、行ってみる。
なるほど、端から端まで見渡せました。

イーグレ姫路の屋上から




天守遠望


  この後、歩いて10分ほどの好古園というお庭に向かった。ここは姫路藩主の居館および武家屋敷のあった場所に、平成4年に開園した回遊式庭園です。

  
 9つの庭、「御屋敷の庭」「流れの平庭」「夏木の庭」「築山池泉の庭」「竹の庭」「花の庭」などに分かれていて、それぞれ趣向が凝らされている。

  冬はさすがに、これといった見どころはなく、石や樹木の配置の面白さなどを楽しむしかないのだが、春や秋は、さぞかし賑やかな庭になるのだろう。


  この渡り廊下を通ってお庭に入っていきます。

好古園、渡り廊下



 瀬戸内海をイメージした池だという。

姫路藩主の下屋敷があったお屋敷の庭




 これは、流れの平庭。

流れの庭

  


  歩いて駅に帰る途中、見つけたご当地ポスト。


姫路市ポスト



  明日は、有名な「書写山圓教寺」とたつの市を訪れます。


 2023年大晦日、新幹線ひかりにて姫路まで向かう。

 姫路までは、ひかりで約1時間半ほどかかった。ここでツアーに合流して、ホテルへ向かい荷物を預け山陽電車にて亀山まで乗車。


 亀山には、本徳寺という浄土真宗本願寺派の大きなお寺があり、そこを見学するのだ。


 山陽電車に乗るのは初めてです。山陽本線と並行して走っていて、神戸や大阪まで直通で行くことができる。


山陽電鉄で



 2駅ほどで下車。お寺さんは、駅の目の前にあるのだが、ぐるっと回りこまないといけないので、4分ほど歩いた。

 
本徳寺山門と土塀



 幕末に新選組の屯所として使用された、京都西本願寺の北集会所が移築されて本堂として使用されている。

 
真宗本願寺派




 住職さんの講話を聴いてから、建物内を見学して回る。


 柱には、刀傷の跡が残っています。そういう縁から、ドラマや映画など新選組関係のロケ地にも使われたことがあるそうだ。

 
新選組の屯所だった建物を移築



 廊下を渡って、大広間に向かいます。

 
長廊下



 太鼓楼。18世紀中頃のもの。最上部に太鼓が置かれていて、火急の時には門徒が太鼓を打ち鳴らし、寺内に防御の準備を知らせたという。
  
18世紀中ごろ築太鼓楼


  
鐘と太鼓楼



  大広間は、上段の間があり、美しい天井絵が残っている。戦時中に、陸軍の駐留所として強制使用されたので、大半が損傷を受けてしまったが、現在は修復されている。

  鶴と松の彫刻のある上段の間。


大広間の上段の間





  付書院が左手にある。

付け書院 (1)




 格子天井には85枚の絵がはめ込まれており、裏側には享保6年と書かれた墨書が残されているという。

上段の間の格子天井




隅には桜が



 また、大床に鎮座している鬼瓦は、ダイナミックな面構えをしている。


閻魔さんの鬼瓦



  唐破風の屋根の大玄関。本徳寺の正式な玄関である。1691年の建築。


破風つくりの大玄関



  姫路に戻り、チェックイン後駅前まで行ってみた。かなりきれいになっていてびっくり。以前に来た時には残っていたモノレールも、橋脚だけになっていた。

 
モニュメントの間から



 同じアングルをライトアップで見ると・・・・。

 
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 2階のテラスで見るとこんな感じです。

 いつもは白く照らされているのだが、


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 正月バージョンのライトアップ。色が派手!

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 広場もライトアップされていました。

駅前


 明日は、姫路城に登ります。


 甲子園会館は、武庫川女子大が所有している教育施設である。

 2人の案内人の方が我々の為にアテンドしてくれました。

 旧甲子園ホテルとして、昭和5年に完成した。設計者は、ライトの弟子である遠藤新氏が手がけました。
当時は、「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称され、上級軍人・皇族・政財界人等で賑わったという。

 しかしホテルとして使用された期間は短く、大戦時には病院として使用、終戦後はアメリカ進駐軍のものになった。

 その後大蔵省の管理下に入り、昭和40年大学に譲られた。現在は国の有形登録文化財に指定されているが、建築学科の校舎としても使用されている。

 日本に残るライト式建築であり、設計者の意図が随所に盛り込まれていてとても主張のある建物だと感じた。

 それは、水に関けいしたデザインだったり、日本の伝統美があちこちに取り入れられていたり、また使われた石や焼き物等に現れている。

 正面からみる。ライト式建築の特徴である左右が対象の造りになっている。塔は煙突です。敢えて複雑な作りにして光と影を楽しんでいる感じがします。

 
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 玄関の扉には日本語で「おす」と書かれている。

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 正面に廊下を挟んでロビーが右手にフロントが有った。
フロント部分のガラス模様は、後で紹介する建物に壁画にも使われています。左手の小さな窓らしきものはお金のやり取りをする為のものでした。

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 ロビーを挟んで、左側には小部屋が右手を下って行くとホールが有ります。

 まずは左側の階段を上って応接室に行きました。ここは新しく造り直したそうで、映画の撮影などにも使われるそうです。曲線の窓から入る光が美しい影を落としていた。

 
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 続いて階段を使って屋上に行きます。東と西の中央部分です。

 東側の塔と建物。

 
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 屋根がとても近い。瓦のデザインが凝っている。
屋根瓦の上の球体や軒下に描かれている模様は水玉を表しているそうです。このデザインは随所に使われていました。コンクリートなのにレースのカーテンのようだ。

 
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 西宮は戎さんの街という事か、ここには戎さんが置かれていたそうですが、今は主はいません。
形は打ち出の小槌をモチーフにしてある。

 
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 客室に使われていた部屋に入ります。今は視聴覚教室のようになっていました。

 瓦にも打ち出の小づちがあしらわれている。

 
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 ここからは再び一階に下りてゆきます。

 するとこんなものが・・・・泉水です。冬至には、屋根の明かりとりから光が入ってこの部分を照らすそうです。何だか宗教的です。
 ちなみにはっきりしませんが、やはり打ち出の小づちがデザインされている。

 
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 さらにさらにまだまだ小槌は有りました。西側ホールへの入り口の上の部分です。

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 一番豪華なホール。ここではダンスなども開催されたという。正面には、オーケストラボックスも有りました。

 
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 ここのデザインも、水が滴り落ちるイメージがする。

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 ホールの天井は、格子になっていて障子が張ってあるように見えた。他の場所の照明とは全く違う。

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 ロビーや廊下などの照明はすべてこれで統一されていました。白いガラス部分は引っかけて置いてあるだけですので、簡単にとれます。阪神の震災の時にはこの部分が沢山外れたそうです。

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 ホールから庭に通じるドアを使って建物の裏手に出てきました。
建物の感じはやはり違って見えます。

 
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 壁面には幾つかのレリーフが施してある。これは、そのうちの1つです。最初に紹介したフロントのガラス模様と同じデザインになっています。

 アールデコ調のデザインだ。

 
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 遠近法をうまく利用してデザインされているので、とても奥行きを感じて落ち着いて見える。この屋根の感じとても好きです。

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 ライト式建築は横の広がりを強調している。こうしてみると繰り返しの柱が遺跡の神殿のようにも思える。

 
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 使われている石は、日華石と竜山石ですが、どちらも加工がしやすいのが特徴です。

 大満足で帰路に就いたのだが、三重県の桑名辺りから急に雪が降り始めてびっくり!
駅の周辺には、なんと積雪も・・・・。ニュースで、3月としては戦後最も多く積もったといっていました。高速が閉鎖にならなくて良かったなあと思った次第です。


 マルタの旅から寄り道です。
昨日目まぐるしく天気の変わる中、関西の芦屋と西宮に行ってきました。
 目的は、ヨドコウ迎賓館と武庫川女子大学の甲子園会館の建物を見る事と、おいしいランチ。

 虹が見えていたかと思うと吹雪の様な雪になったりと猫の目のように変わる天気の中、予定時間より早めにレストランに到着。

 ちょっと早めのイタリアンでお腹を満足させた後は、心のごちそうです。
お土産に買ったお店のお菓子。デザートが素晴らしくおいしかったので・・・。

 
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 芦屋に来たのは、震災後初めてです。阪神淡路の震災は、この高級住宅地の芦屋でも被害は免れず、ヨドコウ迎賓館も3年程休館せざるをえなかった。

 4階建てのこの建物は、芦屋でも山の手の尾根のような所に建っている。帝国ホテルの設計者として来日していたフランク・ロイド・ライトが1918年に灘の酒造家山邑家の別邸として設計したものだ。
 工事そのものは、ライトが帰国した後、1924年に弟子の遠藤新と南信によって建設された。
この後訪れる甲子園会館は、その遠藤の設計によるものです。

 またこの時期は、山邑家の長女の為に誂えられたひな人形も合わせてみる事が出来る。この雛人形は100年以上も経っているもので迎賓館より歴史が有ります。
 
 ヨドコウが迎賓館としてここを購入するまで色々な変遷をたどっているのだが、重要文化財に指定された事により修理保存されることとなった。

 玄関の車寄せと建物正面のあたり。ライトといえば、大谷石を様々な場所で使っているがここでもやはり多用されています。

 
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 玄関を入り階段を上って行くと応接間に行ける。

 
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 中央の家具は、ライトのデザインではない。大きな窓からはまるで絵画のように街の様子や木々を見る事が出来る。
 またあちこちに通風孔が開けられているのだが、それらも光の入り方を考えて作られているようです。

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 天井は直線的な幾何学模様。

 
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 作りつけの棚もなんだか意味ありげに見える。

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 さらに階段を上って3階に行く。ここには、家族の寝室や和室や浴室などが有った。
ひな人形はこの和室を使って展示されていましたが、写真は禁止でした。
 とても大振りで、精巧なものばかりでした。

 その和室の有る廊下。光の取り入れ方が考えられています。

 
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 再現されたイスと机。

 
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 この和室部分と隣の夫人室の間には階段が有り、こちらの方が一段低い造りになっている。
夫人室を見たところ。

 
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 このガラス戸にも使われているがロイドが好んで使ったデザインが植物の葉をデザイン化したものだ。反対側のバルコニーに出る扉にも使われています。材料は銅だそうです。

 
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 4階は、キッチンとダイニングルームや使用人室が有りました。案内の方は、オール電化の家でとてもたくさんの電気を使っていたようだと説明してくださいました。ひねると蛇口からお湯が出たそうですし、ドイツ製の電気冷蔵庫をもう使っていたそうです。
 他にも電気炊飯器、電気コンロもあったと言うから驚きです。
一体どれほど電気代を払っていたのだろうか?

 
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 ダイニングルームも天上の模様が幾何学模様になっている。天井の中心からから壁へと線がつながっていてとても美しい。暖炉はやはり大谷石を使っています。アルファベットのMにも見える。

 
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 ダイニングルームからルーフバルコニーに出る事が出来ます。ここからは、大阪湾まで見通せるとても開放的な景色が広がっています。

 4階バルコニーから見たところ。

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 3階部分の屋上部分にも行けます。3階屋上から建物を見るとこんなかんじ・・・。

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 段差が沢山あるので、何だか探検している様な気分になります。現代のバリアフリーとは対極の建物だ。

 屋上からの眺め。

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 すぐ下を芦屋川が流れている。

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 ここから西宮に移動します。

 
 西宮神社の門。道路側から見たところ。あまりの狭さにあの人達はどこにいるのかと・・・多分道路が通行止めになっているのでしょうね。
 ここで門があくのを待つのでしょう。
 
 
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 豊臣秀よりの寄進といわれている赤門。
1月10日午前6時、一番札を求めていっせいに本殿めがけて走りだします。
境内の広さは、甲子園球場が入る大きさがあるそうです。
 
 
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 ここで大きく90度回り込みます。
 
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 そして突き当ったらもう一度90度回ると本殿に到達。細かに回っていくので大変そう。
3神を祀る本殿。
 
 
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 えべっさんとこちらの人は呼ぶそうです。
 
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 神橋越しに見たところ。
 
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 お参りが住んだところで、酒蔵に行きたいのだが、さっぱり方向がわからない。
観光案内所を当てにしてきたのだがそんなものは無くて、駅前で見た看板を思い出しながら適当に歩きだす。
 
 10分ほど歩くと酒蔵通りという看板が・・・・。
 
 白鷹の入口にはこんな石碑が立っていました。
 
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 6時を回っているので空いている資料館が少なくなってきている。やっと見つけた一軒に入る。
酒玉がぶら下がっています。
 当主が住んでいた家を改造してあるとのこと。
 
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 中庭に面した蔵には、酒造りに必要な道具や、酒器などが展示してありました。
 
 
 重しと甑。
 
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 母屋に移動して、展示品を見て行きます。
私が初めて耳にした言葉やものを紹介します。
 
 鯉箱。鯉だけでなく魚全般をこれに入れて、人に差し上げた。風流だなあと感心・
 
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 これは、供養箱といい、法事などを家で行ったときに手伝いの者煮だしたお弁当箱。こういう名前が付いているとはしりませんでした。
 
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 もうひとつ、定家筥を。
 
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 この名前も初めてききました。女性の持ち物に何故、男名前がついたのだろうか・・・。
それにしても雅だこと。
 
 薄暗くなってきました。最後に日本盛りのレンガ館というところに行き、そこで大吟醸と純米酒を試飲させていただきました。
 さすがにおいしい。
 
 今回はここでジ・エンドとなりました。大阪に戻り新しい駅ビルで画廊を堪能。いいものがたくさんありました。
 
 新大阪からは、こだまで帰ります。これも節約のためだ。ぷらっとこだまという商品は2000円くらい安くなるのです。しかも飲み物付き!私は、ビールに交換して電車の中でいただきました。
 何だか親父になってしまいましたが(*^^)v
 

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