好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 大阪府


 藤井康二は、1888年生まれの建築家で、建築環境工学の先駆者と言われている。

 竹中工務店時代には、朝日新聞社や村山龍平邸などの設計を手掛けている。

 1919年、同社を退職し欧米諸国を巡った後、京都帝国大学の建築学科の招かれ、建築環境工学の先駆者としてて、教育・研究・実践をしていく。

 1920年、京都大山崎に1万坪の土地を手に入れ、ほぼ2年毎、計4回、自邸を建てては、人に譲るということを繰り返し、建築実験を通じて日本の気候風土に合った住宅を追求した。


 以前、訪ねて紹介した「聴竹居」は、第5回目の実験住宅として知られていて、自然の力を取り入れた、エコ住宅であるとともに数寄屋とモダニズムが融合した、近代建築史上重要な建物となっている。

 1930年、研究成果を実践した注文住宅がこの八木邸だ。ただし、提唱していた平屋ではなく、2階建てになっているのは、お客の多い家の事を考え、2階をプライベートな場所にしたからである。

  昭和のはじめ、電鉄会社が初めて住宅開発に乗り出した寝屋川市香里園に、大阪の商売人であった八木市造が施主となり、藤井が設計し、大工の酒徳金之助によって建てられた。


  冷房設備が整っていなかった時代に家の中を風が通り抜け、熱くなった空気を外部に送り出すなどの工夫がなされている。呼吸する住宅と呼ばれるゆえんだ。

  駅から歩いて5分もかからなかった。
八木邸
八木邸門


  玄関
玄関引き戸


  客用の玄関の他に、家内用の小さな玄関も有りました。
玄関客用


  間取りは、こんな感じ。
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  入って、右側にある小さな部屋が応接室。当主が好きだった、乗馬に関連したものが置いて有る。
1階応接室

  家具も照明も室内装飾、絨毯、電気スタンドなどの調度品までが藤井によってデザインされたという。

  隣は書斎。障子が柔らかい光を取り入れてくれる。
1階書斎

  天井は網代。
1階書斎の天井


 応接間兼居間。ピアノがやソファが置かれている。
応接間兼居間


  このテーブルは、マージャン卓になっています。
マージャン卓です


  応接間の隣の
、小上がりは、食事室の椅子座と視線の高さが合うようになっていました。
1階夫人室兼居間


 食事室
1階食堂

  調理室とつながったハッチから、料理が出せるようになっている。


  台所。こんなキッチンで料理したいと思った。動線が良く動きやすそうである。
使いやすそうな台所

  流し下には、ダストシュートが有る。流しの水きりは、ガラス棒になっていて見た目の美しさも考えられている。
洗面所や流しにはガラス棒の水きり

  
おしゃれだ

  食器棚。
台所食器棚

  2階へ行ってみます。
2階へ

  明るい階段
階段ホール

  階段室。当時はここから淀川が見えていたという。
2階の広間


  階段室の向かいにあるのが、2人のお嬢さんの部屋。
2階子供部屋

  奥に布団、手前にベッドが置かれ2人で眠れるようになっています、右側の押し入れの中には、空気を流す仕掛けが有る。右奥の木の筒が空気を下から上に屋根へと逃がしている。

子供室の空気の通り道


 子供部屋の隣が、ご夫婦の寝室。障子下には、窓があり、ここを開け廊下の窓を開けると風が通り抜けて行って、涼しかったという。
2階主寝室


 その奥は、婦人室。女性が着替えなどをしたり、趣味の部屋として使った。
2階婦人室


  この家には、2階にもトイレと洗面台が有ります。90年以上も前に、こうした利便性が一般家庭に取り入れられているのは、すごいことではないだろうか。
2階洗面所


  どの部屋も照明器具のデザインは統一されてました。
照明もデザインし統一してある

  シンプルでモダン。

  お宅拝見といった感じで楽しかったです。「聴竹居」は写真撮影が禁止でしたが、ここは申し出ればOKというのもうれしかった。


 スペインから帰国した後、大阪市立美術館で開催されている、フェルメールと17世紀オランダ絵画展に行って来ました。

  「窓辺で手紙を読む女」の壁に、天使の絵が描いてあることが発見され、もとの絵に戻した後の展覧会としては世界初らしい。

 レンブラントの絵もあるということだったので、いってみることにした。日曜日だったので、ネットで時間を予約していきました。

 開館時間前でも、そこそこの行列ができていたが、混乱するほどでもなく、予約しなくても大丈夫だったかなという感じでした。

 この展覧会は、東京、大阪、札幌で開催されていた。こういう場合、9割が名古屋をぶっ飛ばしていく。で、大概に出向くことになる。圧倒的に人口が違うので、東京はともかく混む。鑑賞するという雰囲気ではなくなってしまう。交通費も、大阪だと半分で済むしね。

 最寄り駅の天王寺から公園の方に歩いて行ってみると、てんしばという施設ができていて、綺麗になっていてびっくり。万博のおかげかな。前回天王寺に来たのは、ハルカスができて間もなくだった。


 市立美術館の建物は、文化財に指定されていて、ちょっと素敵だ。
大阪市立美術館


 玄関ホールのシャンデリア
玄関ホールのシャンデリア

  中は撮影禁止なので、ポスターを撮ってみる。

  こちらが、ビフォーの方だ。
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  アフターは、天使が描かれていて、
フェルメール展に


  絵そのものも、明るくなっている感じがした。この絵だけは、一番奥の部屋に単独で飾られているので、ゆっくりと見ることができる。前室では、修復の様子なども映像で見ることができた。

  ただ、全体で見ると、物足りなさが・・・・。レンブラントも、1点だけ!「若きサキスアの肖像」だが、この絵も初めてではなく、結構展覧会に貸し出されている。

  そんな感じだったので、予定より早く退出。と、「慶沢園」という文字が目に入った。こんなところに庭が有るんだ。時間も有るし、ちょっと入ってみようかと入園料150円を払って入ってみました。

  
小川治平施工回遊式庭園

  以前は、市立美術館との行き来ができたそうだが、今は出来なくなっている。

  パンフによると、住友家第15代当主吉左エ門により、茶臼山本邸の庭園として造営され、施工は、かの第7代小川治平が行ったとある。

  大名庭園風の林泉回遊式庭園となっているが、ちょっと荒れていて、島の様子が見づらくなっていたり、草が成長しすぎていたりと、ここも残念なぶぶんがあった。

  
住友家茶臼山本邸庭園だった

  切り石橋
切り石橋

  園内には、四阿や茶室も有ります。

  舟石
舟石

  池に美術館が写りこんで綺麗だ。
隣の慶沢園と

  ただし水深がないので、鯉たちが可愛そう。

  なんて思っていたら、突然目の前にサギが!
くちばしには、何か加えている。うん、なんだ?ウナギの様な蛇の様なドジョウのような・・・。

  
サギがゲット

  時々地面に落としてくちばしで突っつく。そのうちに動かなくなってしまい、サギはくわえたまま飛んでいってしまった。

  目線を上にするとハルカスが見えた。
アベノハルカス


  これから、寝屋川市に向かい藤井厚二設計の「八木邸」を訪ねます。


 ホテルから大川沿いを南下していくと、泉布館と旧桜宮公会堂がある。 
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なんと、水洗トイレまであったとか。
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 同じ敷地内にある旧桜宮公会堂は、昭和8年に完成したもので、その時に旧造幣寮の正面玄関が移築された。
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 結婚式や披露宴などに使われることも多く、この日も予約が入っていました。
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 日本庭園も有り、そちらから見た公会堂。
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道路を渡ったところにあるのが、桜の通り抜けで有名な造幣局だ。
造幣局
通り抜けの時とは違い閑散としています。ここで造幣博物館を見学します。
1911年に火力発電所として建てられたもので、造幣局構内に残る唯一のレンガ造りの建物だ。

 こちらは、構内で使われていたガス灯。
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 博物館に入ると大時計が迎えてくれる。この時計も創業当時のものだという。
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硬貨ができるまでの行程や、メダルなどが紹介されています。
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 大判も。 
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桜宮橋を渡って、藤田邸公園を抜けて淀川邸に向かう。
桜宮橋
公園は、旧藤田邸の跡地で、2003年に公園にしたものだ。近松門左衛門の「心中天網島」の舞台となった。
 淀川邸は、藤田伝三郎が次男の徳次郎の為に造らせたものだ。昭和34年に料亭として開業している。
門、此処から入ります。
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淀川邸、
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玄関、唐破風の屋根だ。藤田家の人々は、能を好み、書院造りの客間「羽衣の間」は、3室の建具を外し、畳を上げると舞台として使うことができたという。
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我々が食事した「松桐の間」には、能に使われたことが有る衣装が飾られていました。
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松桐の間は、徳次郎の部屋で、贅をつくしたものです。
御所車が描かれたふすま。
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戸を開けると、何と仏壇が!
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天井には、
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お酒も、伝三郎の名前がついたものが有ります。出身の山口の蔵で造らせたものだとか。
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  額縁のような
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  食事の後は、日本庭園を散策しました。庭の入り口には一対の石像が置かれている。
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  茶室
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  約8000坪の築山回遊式庭園となっており、春の桜・夏のホタル・秋の紅葉など四季折々の景色を楽しめるようになっている。
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松桐の間から見た庭
 春日灯籠
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  東大寺の礎石
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 色々な仏さま
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 美味しい料理と趣向を凝らした庭、贅沢な邸宅と色々楽しかったです。

 この後は、京橋まで歩いて向かい、家路に着きました。大阪が、世界の中心のような時代があったのだなあと何となく感じることができた旅でした。 


 見落としてしまいそうな可愛らしい小川香料の建物は、アールデコ調です。 
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  こんな大都会の真ん中にとびっくりしてしまう程大きな和風建物があります。小西家住宅だ。国の重要文化財になっており、建設は明治36年の1903年というから2度びっくりだ。戦争にも時代のうねりにも耐えてきたのは、奇跡ですよね。
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生駒時計店のビルは、意匠を凝らした素敵なビルでした。1930年築。
193年築生駒ビルディング
  中にも入らせていただきます。イタリアの大理石などを使用している。
生駒ビルの階段
  そして、船場ビルへ。人気のあるビルだというのが、訪ねてみてわかりました。
船場ビル
 入り口から進んでいくと、
中に
 パティオがあり、テナントさんが両側に入居しています。
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 そしてこの日のお昼ごはんをいただく綿業ビルに到着です。昭和初期の大阪は、「東洋のマンチェスター」と称され、紡績業でイギリスを抑えて、綿製品の輸出世界一となっていた。その記念碑的な象徴として建設された。渡辺節氏設計、1931年完成です。戦前戦後に渡り、歴代首相やルーズベルト大統領夫人、リットン調査団など、歴史に残る人物たちが訪れたという。
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入り口
ガス灯が、復元されていました。
ガス灯
正面の大きな像は、戦争中金属の供出で無くなっていたが、復活したそうです。同じようにシャンデリアも供出となってしまったという。
  イタリアルネサンス調でまとめられた玄関ホール。
イタリアルネサンス様式
天井
天井
  ランチをいただいた、会員用のレストラン。
会員食堂
ミューラル・デコレーションと言う装飾天井です。
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 ランチの後は、ガイド氏による館内見学です。まずは、この建物で一番豪華な談話室へ向かう。
ジャコビアンスタイル
イギリスルネサンス初期のジャコビアン・スタイルで吹き抜けの天井となっている。
タイルのタペストリーが素晴らしい。このタイルは、京都の泉涌寺付近の窯で焼いたもの。
タイルペストリー
空襲でも焼けなかったのは、ワイヤー入りの耐火ガラスのおかげだったと言われている。
ワイヤー入りの耐火ガラス
続いて、特別室、会議室と見学していく。
会議室
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建物の隅々まで空調が行き届いており、建設当時から冷暖房完備でした。現在も、このような空調は生きています。
空調の吹き出し

 これはろうけつ染め。保存状態がものすごく良い。
ろうけつ染め
7階まで向かうと、ドアの無い大会場がある。コロナ前までは、コンサートや講演会などが行われていたそうです。アダム・スタイルという軽快で優雅な古典様式が用いられている。
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天井
天井部分
最後は地下まで一気に降りて行き、グリルに向かいます。ここは、ランチだけでなくてお酒やディナーも楽しめるそうです。
  バー
地下のバー
当時のタイルが残っている。
タイルの壁のグリル
グリル
 この後は、タクシーでホテルに向かった。今日のお泊りは、大阪帝国ホテルです。楽しみだ。


 中之島に9時半集合なので、自宅を7時頃に出発。 

  新大阪から地下鉄に乗り換えて淀屋橋で下車。市役所の前を通って中央公会堂に向かった。
 前回大阪市に来たのは、香雪美術館に来た時だから結構久しぶりだ。

 まずは、東洋陶磁美術館に向かう。初めではないが、20年ぶりくらいなので初めてみたいなものだ。

 相変わらず素晴らしいコレクションの数々を堪能!特別展は、白磁の芸術家黒田泰蔵氏の作品でした。
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 お気に入りの作品と久しぶりの再開でした。
鉄絵
 飛び青磁
飛青磁
  ふくよかな婦女傭の後ろ姿は、可愛い。
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  逸話のある白磁の壺
白磁壺
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  すごいですよね。見ても壊れたなんて全然わからない。

  美術館を後にして、向かいにある中央公会堂に向かいます。この建物は、北浜の恩人と言われる、大阪商人の岩本栄之助氏の寄付によって建設されたものです。後に彼は、大きな損失を負ってしまい、寄付したお金の一部を返してもらったらという声も上がったが、彼はそれを拒否。結局39歳という若さで自らの命を絶ってしまった。彼の死後も建設工事は続き。1918年に完成を迎えた。
  ここでは、ヘレン・ケラー氏やゴルバチョフ氏なども講演を行っています。

  花崗岩の白いラインとのコントラストが美しい外壁のレンガは、薄いタイル状の化粧レンガが貼られたもの。中央の屋根の上には、メルキュールとミネルバ神が設置されている。
大阪市中央公会堂外観

  今日はこのファサードの半円アーチの部分を見学します。
1918年完成のファサード

  半世紀を経た頃には、老朽化が進み取り壊しも危機も有りましたが、保存運動が起こり、1999年から3年半をかけて大規模な保存再生工事が行われ、創建当時の姿がよみがえった。重要文化財ですが、今もいろいろな用途に使われています。

  すっかりきれいになった、特別室のステンドグラス。大阪市の市章のみおつくしがデザインされているそうです。
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  和洋が融合されており、創建当時は貴賓室だった。神話の世界が広がっています。
特別室
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  刺繍絵
刺繍絵
 タッセルも素晴らしいカーテンは、獅子狩り紋。
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  中央公会堂の隣にある中之島図書館も重要文化財ですが、今回はパスでした。
大阪府立中之島図書館
 工事中の通りを歩いてくと、安藤忠雄氏設計のこども本の森があります。緑のリンゴが目にも鮮やかである。
安藤忠雄氏設計
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 ライオン像のなにわ橋を渡って北浜へ。交差点に面している五代氏の銅像の後ろの建物は、大阪証券取引所です。
大阪証券所
エントランスはこんな感じ。
証券所エントランス
 道路を挟んで建っている小さなビルは、北浜レトロと呼ばれるおしゃれなビルだ。1912年の建築です。
北浜レトロ
1912年建設
 ここからは、堺筋に沿って南下してゆきます。
 新井ビルは、1922年河合浩蔵設計。大日本報徳銀行大阪支店として建設された。左右対称の外観。
1922年築新井ビル
 野村財閥の高麗橋野村ビル。1927年建築、安井武雄の設計です。
1927年築
 エントランス部分には、こんな彫刻があります。タイルは釉が剥げかかってしまっています。
野村ビルオブジェ
  通りの反対側にある建物は、三井住友銀行大阪中央支店。1936年建設、列柱が並ぶ新古典主義の外観は、権威的な感じがする。
1936年築住友銀行
 甲子園のツタで有名な青山ビルは、この奥にちらっと見えています。1921年、壺人の邸宅として建築された。
 隣の伏見ビルは、おとなしいかんじがするアールデコ調のビルで、1923年建築で、当初はホテルだったそうです。
1923年築伏見ビル
 道修町に寄り道。武田薬品のビルだったこの建物は、医学や薬の資料館になっていて誰でも見学ができる。
武田ビル
 少彦名神社は、通りから眺めておわり。
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 天気予報では、後半になるほど雨の降り方が激しくなると言っている。
歩くのには、ちょっと厳しいかなあと思っていたのだが、朝起きてみると、何と止んでいる。
 この分なら、午前中はなんとか持つかもしれないと、早めの出発にした。

 パンフレットなどでは、滝谷駅から三日市町に向かって歩くのだが、地図を見ると反対からの方が解りやすそうだったので、三日市町を出発とした。

 西高野街道、コース距離6.6㎞とあるので、ちょうどいい距離かな。

 三日市町の古い街並
三日市町の通り
 河内長野駅前までは、道路に案内板が嵌め込んであるので、わかりやすかった。
高野街道と
 昭和27年に、建築された駐在所で、往時の様子を今に伝える建物だ。現在は、新型コロナの影響で中に入ることは出来なかった。
旧三日市交番
 高札場
高札
 この辺の道は、城下町の道路の様にかくかくと曲がっている。標識に沿って、こんもりとした山沿いの道を歩いても蒸し暑くてたまらない。
 烏帽子形城跡と烏帽子形八幡神社
烏帽子形城
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 烏帽子形神社は、烏帽子形山の中腹にあり、河内長野市のほぼ中心に位置しているという。室町時代1480年の建立で、重要文化財に指定されている。
八幡神社
 さらに歩いて、天野酒造醸造元の建物までやって来た。雰囲気がいいです。
天野酒造
 ここを曲がった辺りから急な坂道になっていて、登り切ったところにあるのが長野神社です。この地域では、長野恵比寿として知られていて、本殿は室町期の建築とされていて、重要文化財になっています。本殿向かって左にある大きなカヤの木は、とても立派でした。
長野神社
 駅前に到着。観光案内所で、大きな地図を貰って、再び歩き出す。でもここから先は、古い街並も残っていないし、只々歩くという感じでした。
 
 つまらないので、1駅はしょって、手前の千代田駅から、大阪狭山市に向かうことにした。実は昨日、宿で、安藤忠雄氏の作品を紹介する本を見ていたら、大阪狭山市の狭山池博物館がのっていたのだ。安藤氏の建築のファンなのでこれは行かねばと、予定を変更したのだ。
 駅に到着した頃から、本降りになって来て、早めに歩いたのは正解でした。小さな傘しか持っていなかったので、かなり濡れて狭山池に到着。
 じつは、この池が日本で最初のダムなんですって。なんと1400年も前の土木工事を目の当たりにすることができるのだ。もちろん、当時のものとは全く違うが、思いをはせることはできる。
日本最古のダム狭山池
 安藤氏設計の狭山池博物館。
狭山池博物館
 通路を降りて行くとこんな感じ。
水とコンクリートの融合
 滝が、決まった時間に流れてきて見ていたら何だかワクワクしてきた。
滝の様に
滝
 滝を見ながら進んでいくと、円形のコートに出ます。ここのスロープを登って行ったところが入り口になっている。
円形コート
入り口部分
 ここでも、熱を測り、消毒して入場。何と無料でした。大阪市すごい!
目につくのは、巨大な堤の模型と木の樋。
樋
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 この土は、本当の土で、薄い土を貼り合わせて保存してある。これにはびっくりしました。1400年間の歴史が積み重なった高さ15.4m、幅62㎝の堤です。
 何度も修理を重ねて来たことがわかる。
修理の案内図
 改修には、奈良時代の行基、鎌倉時代の重源、江戸時代の片桐且元などが携わったという。
手前から奥に流れる
 昭和の取水塔。池の真ん中などで、上の部分は見かけるが下はこうなっていたのだ。
昭和の取水塔
 大阪狭山市は、高野街道が交わる所でもあった。
案内図
 
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 歩いていて、こんな門扉が・・・。猫だと思うのですが・・・。
猫?
 ここからは、難波に出て、近鉄で帰って来た。久しぶりの難波の地下街にちょっと迷ってしまったわ。

 

 気になっていた塔には、なかなかたどり着けない。
家の前で、タバコを吸いながら愛犬の頭をなでていた男性に尋ねてみる。
 あの塔は、PL教団の塔で、以前は信者でなくても登れたらしいが、現在は耐震不足で閉鎖されているとの事。登れないならば、この辺りで写真だけ撮って帰ろうと思う。
 平和祈念塔といい、1970年に完成したとある。以前PL教団の花火大会に来たことが有るのに、暗かったせいか全然記憶になかった。
PL平和の塔
 富田林西口駅まで戻り、河内長野市に向かう。昼間の車内は、空いていてマスクを外したい衝動に駆られる。何しろずっとリュックを背負って歩いているので、マスクの中は洪水のようになっているのだ。蒸し暑いこの時期は、マスクは本当につらい。
 河内長野市は、中世に出逢えるまちをうたい、中世文化の宝庫ということで日本文化遺産に認定されているという。京と高野山を結ぶ中間点に位置しており、観心寺や金剛寺の2大寺院が隆盛した。
 観る前に、まずはお腹を満たしてあげなくては・・・。駅前のビルの2階のお蕎麦屋さんでざるそばをいただきます。いただきながらこの後の予定を考える。何となく興味があって来てみたものの、具体的にどこを回ろうとは考えていなくて、高野街道を歩くのは明日とだけ決めていた。
 観光案内所を頼りにしていたのだが、何と休み。明日歩くための地図は、PCでダウンロードしてあったのだが、他の資料は何もない。
 ネットで見ていると、天野山金剛寺は、バスでそれほどかからないで行けそうだ。駅前のバス停で時間を調べてみよう。
 バス停に行き、時間を見ると次のバスまで、1時間近くあるではないか。5分前にバスは出てしまっていたのだ。仕方がないので、駅前をうろつく。マンホールを探すためだ。
 このレトロな感じの碑は、高野街道と書いてありました。
高野街道の碑
 ようやくやって来たバスに乗ること、25分ほどで天野山金剛寺に到着。案内板には、
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 社務所で、庭園との共通券を買います。
 境内の建物の内、食堂、鐘楼、金堂、御影堂、多宝塔などが重要文化財に指定されている。
 金堂、平安時代の1172年に創建。内部には、国宝の大日如来三尊像が安置されていますが、撮影禁止でした。
金堂
 建物前の巨石は、雨水が溜まるようになっている。
巨石
 奥に見えているのが、観月亭と五仏堂。
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 観月亭は、南北朝時代、後村上天皇が6年間、食堂を正殿として大政を執っていた時に、ここで月を見たという。
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 五仏堂の中の仏様たち。
五仏堂の大日如来
 平安時代の創建で、豊臣秀頼の修理の際に、大改造されている多宝塔。
多宝塔
 楼門、
楼門
 
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 庭園と宝物館に向かう。国宝の、山水図屏風がみられるのかなと期待したのだが、年に2回ほどの特別展の時だけとの事。ちょっとがっかり。
客殿へ
 大玄関から入り、廊下を渡ったところに、南北朝時代、後村上天皇が、食堂で大政をとられていたころ、北朝の光厳、光明、崇光の3上皇と皇太子直仁親王も4年間に渡り、御座所とされていた奥殿がある。奇しくも、南北朝が同座されることとなったわけである。
 大玄関
大玄関
 宝物館を見て、庭に回りました。枯山水形式で、鶴島、亀島、枯滝などが配置されています。
枯山水の庭園
庭園
 廊下を渡って、奥殿に向かう。
廊下
 畳廊下には、色々な形の明り取り窓が。
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 北朝御座所
奥殿
北朝御座所
 見学が終わって、バスを待っている間に雨が降って来た。
 バスの乗客は、私1人。
 河内長野市からは、南海電車で金剛まで向かいます。今日は民泊なのだ。

 駅に着いた頃には、雨は本降りになってきていた。10分ちょっと歩いて到着。ちょっと変わった名前でした。
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 2部屋あり、1階と2階に別れており、私は2階でした。トイレもお風呂も専用だし、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジもあって長期滞在向き。清潔で快適でした。近くのコンビニまで歩いて向かい、今夜と明日の朝の食料を調達。
 お風呂に入り、ビールとワインを飲みながらテレビを見ながら食事。
 
 
 


 ずっと気になっていたけれど、何となく行きそびれていた町富田林市。新型コロナで、国内しか動けない今行ってみることに、せっかくならひと晩泊まって、河内長野市周辺も歩いてみることにした。JR東海のぷらっとこだまで、大阪に向かう。急がない時には大概このぷらっとこだまを使うのだ。のぞみなどに比べると、2000円ほど安いし、ビールかお茶などのドリンクがついてくる。追加料金を払うとなんとワインと引き換えも可能というちょっとうれしい切符なのだ。
 1時間ちょっとなので、今日はビールにしました。朝の9時前からビールを飲むなんて旅ならではだ。
 
 新大阪からは、地下鉄と近鉄を乗り換えて富田林市に到着。駅前の観光案内所で、地図をもらって出発です。寺内町は、永禄初年頃興正寺の門跡証秀上人が、富田の荒地100貫文で所得し、近くの4ヵ村の庄屋株各2人、計8人に興正寺別院の建立と畑屋敷、町割りなどの建設を要請したことに始まる。

 町内は、整然と区画され、下水路を完備、周囲には竹やぶのある土居をめぐらし、外部からの入り口は4ヶ所にかぎられていた。
 又、早くから自治的都市都市特権を得て、町政の運営には年寄約8人があたった。
 ここは、東高野街道、富田林街道などが交わる交通の要衝であり、さらに農作物や良質の水に恵まれており、近世以降商業地として発展していった。
 今も、寺内町には往時をしのばせる17世紀中頃から明治にかけての町屋が多く残っており、個々としても文化財として価値が高いものであるとともに、東西約400m、南北約350mの寺内町そのものが、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 こんな感じの道を歩いて行きます。
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 最初に、見せていただいたのは、旧田中家でした。沢山の旧家が残されているが、現在もそこに住んでおられるので、見学できるのは、この旧田中家と旧杉山家だけです。
 新型コロナ対策で、熱を測られ、自分の名前と住所、電話番号を記入させられた。これは、感染者が出た時の為らしい。ついでにQRコードを読み込んで、メルアドを登録すると、この辺で感染者が出た場合には、メールが届くのですって・・・。
 整備されたのでとてもきれいでした。明治の建物だそうです。
田中家内部
 東西南北は碁盤の目になっているので、とても歩きやすい。どのお宅も瓦と壁が立派。
寺内町旧家
 城之門筋。とてもすてきです、日本の道百選に認定されている。
城之門筋
 ほとんどの旧家には、庇の下に虫籠窓があり、時代によってデザインが違うらしい。
虫籠窓
 泥棒除けの柵と鬼瓦。
鬼瓦
 民家とは思えない立派な門。
立派な門
 明治中期まで木綿やを営んでいた田守家。主屋は、18世紀前半の建設らしい。
18世紀後半
 寺内町のもととなった。興正寺別院。中には入れず外から・・・。
興正寺別院
 別院あたりからみた城之門筋。
日本の道100選
 木口家。屋号を木綿屋とし、木綿商を営んでいた。主屋は、18世紀中頃の建築と考えられている。
木口家
 旧杉山家は、寺内町創立以来の旧家で、代々「杉山長左衛門」を名乗り、富田林8人衆の1人として経営に携わってきた。
 現存する主屋の建築年代は、土間部分が17世紀中期で最も古く、後に座敷や2階部分を増築し、1747年頃には、ほぼ現状の形になったと考えられている。
 くどのある土間部分。
くど

 ここでも入る時には、熱をはかり消毒し、名前・住所・電話番号を記入します。
杉山家入り口
 民家の中でも最も古く規模も大きく質の良い商家の住宅として、重要文化財に指定されています。
座敷を見る。
杉山家
 奥座敷部分。1734年に増築された数寄屋造りの洗練されたもの。この奥に厠がある。
床の間
 奥座敷から見える、路地には茶室もありました。
茶屋
 2階は、現在解放されれていなくて残念。旧家に螺旋階段でした。意外!
螺旋階段
 庭に回ります。庭から見た主屋。
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 お庭は、池は無く石組と植物だけ。元々はどうだったのか?
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 椅子のような石。
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 この後は、町歩きの時からずっと気になっていた塔に少しでも近づいていきたいと思う。何だろう?
 
 

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