江戸時代、近江商人と同様 全国各地を回り商売を行った日野商人の故郷、そして蒲生家の城下町でもあった日野町。
町を歩いているとそこかしこでその名残を楽しむことができる。
まずは、建物が国の登録有形文化財に指定されている、近江日野商人・旧山中平右衛門邸だった近江日野商人館に行ってみました。
400年前の江戸初期には、漆器の日野椀を全国に販売していたが、300年ほど前になると、「日野合薬」が全国の商店などの取次店に卸されていた。
出先で店を構えるようになっても、家族は日野に暮らしており本拠地はあくまでも地元にあり、従業員も日野近辺の人々を採用していた。
この建物は、お助け普請という、不景気時に失業者へ仕事を提供する目的で新築されたもので、贅沢に作ってある。
1階の奥座敷。当時流行していたアールデコ様式を欄間などに取り入れてある。

庭園。

蔵には、商売品が備蓄されていて、床下からは日本最古級の国産ワインが発見された。

資料館を出て、古い家の残っている通りを歩いてみる。


この塀にある、格子は桟敷窓というもので街道沿いには40数件残っているという。毎年5月3日の日野祭りを家の中から見物するための窓である。

こんな感じで、板塀の内側の庭の上に窓と奥座敷をつなぐ板をのせて、さじき席に早変わりさせて楽しんだ。

信楽院は、鎌倉期から安土桃山時代にかけてこの地を治めていた蒲生家の菩提寺である。

この繊細な屋根瓦に心惹かれる。

鐘楼の柱もずいぶん立派だ。

蒲生氏郷の遺髪塔。

通りのあちこちに、日野祭りで使われる曳山の倉庫がある。中でもこの西大路の倉庫が一番大きい。手前に溝が掘ってある。

日野祭りはこの馬見岡綿向神社の春の例大祭である。鳥居ではなくて、木にしめ縄が取り付けてある。

拝殿、本殿の手前にある太鼓橋。

拝殿

例大祭図絵馬。大きいです。

2重唐破風がある本殿。

こちらも近江日野商人だった山中正吉邸。彼は、天保初年から富士宮市で酒造業を営んだ。日野商人の代表的本宅建築である。

入り口向かって右側が主屋で、かまどのある土間を挟み左側に新座敷と洋間があり、客人をもてなした。
新座敷の浴室には、シャワーも完備されていました。

脱衣所。鏡台付きです。

大きな石があちこちに配置されている庭。


ちょっと変わった灯籠。干支が彫刻されている。

新座敷では、予約制で食事もできるそうです。

洋間。
