好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 岐阜県


 城の近くにバスを止める、100分ほどの自由散策です。この時間になると、かなり暑い。


 犬山には、何度も来ているので、今回は犬山祭りの山車を展示しているどんでん館を目指す。

  平日の昼間でも結構にぎわってます。
城下町

  食べ歩きがここの人気なのですが、こう暑いと食べ歩きよりも、店内で涼む方がよさそうだ。

  古い建物を利用したお店と、きれいな新しい店舗が混在している。
古い家屋を利用して

  
  本町通の旧磯部住宅。江戸期の町屋で、このような膨らんだ屋根は珍しいそうです。市内では、1軒だけで、「起り屋根」という。
磯部家住宅

  店先から奥までは、50mもあるという。
江戸期の町屋



  ここが目的のどんでん館。どんでんとは、犬山祭りの時、町の辻で豪快に方向転換する様。

どんでん館

 入場料、100円でした。中には、畳敷きの無料休憩所も有りますが、飲食は禁止です。犬山祭りに使う13輌の山車のうち、3輌が展示されていました。

  犬山祭りは、1635年頃から始まる針綱神社の祭礼で、毎年4月の第一土日に行われます。13の山車が豪華絢爛な水引刺繍の幕をゆらして市中を練り歩く。山車には、それぞれからくり人形があり、笛や太鼓に合わせて演舞を披露する。ユネスコの無形文化遺産になっている。

  夜になると、山車は一変して365個もの提灯がともされる。
犬山祭りに使う車山

 
  この豪華な衣装は、金襦袢と言われるものだ。山車の一番下で小太鼓を演奏する子供の衣装で、昔は普通の柄の襦袢を着ていたが、昭和初期には、現在のような緋縮緬に金銀の刺繍や差し込みなどが施された金襦袢が主流となってきた。
  子供がこの襦袢を着る時の費用は、嫁型の家が負担する習わしになっていたそうだが、現在は?

  どの家にとっても、家宝の1つといわれているとか・・・・。
豪華な金襦袢
下山子供連の衣装

  どんでん館の前に、昭和横丁なるものが出来ていたので、入ってみました。
昭和横丁

  一番奥の休憩所には、ものすごく大きな織物が展示されていた。絨毯や幕のような感じがするが、これほど大きいと重さも相当だろうなあ。
 ライン下りの様子でしょうか?
ライン下りの様子

 何度訪ねても、何かしらの発見がって楽しい犬山。次回は、あの「若い太陽の塔」を見に行きたい。


 先週に引き続き、愛知県の補助付きの日帰り旅行に参加してきました。
今回は、木曽川の昼鵜飼いと犬山城下町歩きです。

 夜の鵜飼いは、かなり前になるが長良川の鵜飼いを見学したことが有り、その雰囲気を多いに楽しんだのだが、鵜の動きがイマイチわかりづらかったので、今回は昼の鵜飼いに参加してみた。

 鵜飼いをやっている川は、国内に何か所も有るが昼鵜飼いを行っている川は、此処木曽川だけらしい。

 長良川や小瀬鵜飼いの鵜匠さん達は、宮内庁の職員ですが、木曽川鵜飼いの場合は、市の職員だそうです。公務員なので、時間にはシビアですよと笑いをとる。


 食事つきなので、前半は、屋形船の中で、お弁当を食べながら景色を見る。もちろん、細かく解説してくれます。
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 犬山モンキーパークに有るこの塔は、かの「岡本太郎氏」の作品で、昔行われた大阪万博の「太陽の塔」の前身として造られたもので、「若い太陽の塔」
岡本太郎、太陽の塔の前身、若い太陽の塔

 反対側には、ちゃんと顔が有ります。

 途中でUターンして下流に向かいます。見えてきたのは、犬山橋とその上を走る電車、犬山城です。
奥の方には、堰も見えている。
犬山城と犬山橋と電車

   海底が隆起したという岩山には、昔は鵜沼城があったという。
鵜沼城が有った

 一時アメリカ軍に接収されたらしいが、その後は、旅館として営業していた時期もあり、その時にダンスホールとして使われていた場所が、船からも見えました。
ダンスホール

 国宝犬山城です。シンプルで好きなお城の1つだ。
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 犬山橋は、ツインブリッジとも呼ばれている。昔は、電車の走る橋しかなくて、その橋の上を人も自動車も走っていた。現在は、車と人は隣の新しい橋の上を通行していますが、今考えるとどうやって1本の橋を使っていたのだろうと考えてしまう。
ツインブリッジと電車

  ここで一旦、乗船場に戻ってきてトイレをすませます。船にはトイレがないからだ。鵜と鵜匠さんがウオームアップをしています。
準備中

  そして乗船前には、鵜飼いの説明が有ります。

  鵜飼いに使う鵜は、ウミウで茨城県で捕獲しているという。鵜匠さん達でも、オスとメスの区別がいまだにわからない事、鵜には、名前がない事、昼の鵜飼いは、餌を獲らないので、鵜匠さんが船上から魚を投げ入れて魚を獲る様子を見てもらう事などを聞いた。

  ウミウは、かなりでかい。この2羽は、とても仲良しなんだという。
仲良し

 籠の中には、2羽づつ仲良し同士の鵜が入っているという。相性はとても大事で、仲が悪いとお互いを傷つけあうまで喧嘩をするそうだ。全部で、10羽を使って鵜飼いをします。
籠の中に2羽づつ入っている

  鵜は通常、人になれないのですが、この鵜だけは特別で、手乗り鵜ができる。ただし体重が3kgもあるので、こうして掲げ続けるのは、つらいそうだ。
手乗り鵜

  最初は、下流に向かって行きます。その間に鵜飼い船は、上流に向かいスタンバイ。そして、屋形船が戻って来たところで、並行しながら鵜飼いを見せてくれます。
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  この日は、3艘の遊覧船が出ました。
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  堰の手前でユータンをし、川をさかのぼって行きます。さあいよいよ始まりです。
昼鵜飼いの始まり

  
海鵜です

  時々上空にトンビがとんできて、投げ入れた魚をさらっていくそうだ。この日も、何度かあらわれました。
昼は魚を放ります


  1羽を船の上に上げて、餌をどのようにして飲み込むかの実演。あっという間に1匹丸ごと飲み込んでしまう。立て続けに4匹ほど飲み込むと、さすがにのどの所が倍くらいの太さになってしまった。
  吐かせるために、喉の所を抑えると瞬時に吐き出したのにはびっくり。
はかせたところ

  喉を締める具合は難しくゆるいと外れるし、きつすぎるのも良くないそうです。飲み込まなくても、消化されてしまうので、いかに早く吐かせるかが腕の見せ所と言ったところかもしれない。

  紐が見えている。
のどの閉め加減が難しい

 いやあ楽しかったよう!あっという間の時間でした。


  下船して、犬山の街に向かいます。


 昔、花の咲いていない臥龍さくらの木を見たことが有った。
龍のごとく、太い枝を伸ばした姿はカッコ良く、何時か満開の花の下で再会したいと思っていた。

 今年、開花の時期と自分の都合がうまくいって、車を借りて会いに行って来ました。 

 コロナも少し落ち着いて、桜祭りも地味に開催されていた。

 河川敷に無料の駐車場があったので、そこに車を停めて駅に向かう。臥龍公園は、駅の裏手にあるので跨線橋を渡ります。

 サクラだ!でもなんだか以前見た時と様子が違う気がする。こんなに小さかったか?
跨線橋から見た桜

 この違和感は、桜の前に立っても変わらない。前は、幹の下まで近づけたのでそのせいか?

 樹齢千年以上のエドヒガンサクラである。よく見ると幹にコンクリートの様な支えが見えている。
臥龍サクラ

 
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 この違和感の理由がわかった。桜は、1994年の台風で甚大な被害をうけ瀕死の状態に・・・。腕のいい樹木医のおかげで、再生したものの、特徴であった横に張りだしていた大きな幹は折れて無くなってしまったのだ。

 前回ここに来てから、もうそんなに時間が流れていたのだ。

 サクラに別れを告げ、国道を横切って、飛騨一宮水無神社にも寄っていく事にした。
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 階段を登ってすぐ目につくのが御神木の杉。樹齢およそ800年。
水無神社御神木

 左手に有るのが絵馬殿。棟札は、1607年だそうです。高山城主の金森長近によって造営されました。
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絵馬殿

 さらに進んでいくと、黒白の神馬2体が祀って有った。毎夜作物を荒らし収穫の頃、稲穂を食っていたので村人が両目を抜くと耕作地を荒らすことがなくなったと言い伝えられている。黒い馬は、左甚五郎作とのこと。
神馬、左甚五郎作とか

 この奇体な幹をした大木は、ネジの木。立派なヒノキの大木だったが、民家などが日影になってしまうので切って普請に使おうとしたところ、一夜でねじ曲がってしまったという。
ねじれているからねじの木、ヒノキです

 水無神社。
飛騨一ノ宮水無神社

 毎年4月3日に、生き雛祭りが行われる。
本殿

 帰りは、東海北陸道を通って来たのですが、北アルプスにはまだ雪が残っていた。桜にあえて、何だか約束を果たして様な気がした。

 
  


 ダムの堤体を作る時一番芯になる部分をコアといい、その粘土質の土を採取した山をコア山という。
そのおかげで、山は半分はげ山の様になってしまったのを、関係者の努力で少しづつ、植樹をして再生しようとしているそうだ。
 植える木も、元々そこに生きている種類の中から、実のなる木を選んでいるという。
地元の生徒は、課外授業で毎年植樹をするという。 
 私達も、1本だけだがこれから山に向かい、記念の植樹をするそうだ。
 こんな感じでした。
行程表2

 この船で向かいます。車の乗れるようになっている。
フェリーです

 貯水量浜名湖の約2倍あり6億6000万立方メートルだというがピンときません。
ダム湖
 そのまま切られずに沈んだ立木。
立木もそのまま

 10分ほどで到着。赤土が目立つ山に上陸です。
今までに植えた木々。イノシシやカモシカ、鹿などの被害を受けるので大きくなるまで網で囲む。この地は、冬には2m以上の雪が積もるが、夏には高温になり過酷な気象条件となるので、なかなかうまく植えた木が育たないのだという。
 
植樹をしている

 こんな看板が有りました。
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 穴を掘って、木を植えます。地元の方が準備をしてくださいました。
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 腐葉土は、イノシシが匂いを嗅ぎつけて掘ってしまうのだそうで、その上から赤土をかけて踏み固めます。2リットルの水をかけておしまい。この後この木は、天からの雨によって水を貰うだけとなる。うまく育つようにと祈る。
 記念の看板まで用意してくれていました。
植樹しました

 帰りに、かつての集落にあった400年という大杉を見せてもらう。この杉は、高いところに有ったので沈まないで済んだのだ。
大杉は残った

この湖に架かる橋は、橋脚間の長さが220mで世界最大級の「PCエクストラドーズド橋」という形式でできている。
PCエクストラドーズド橋という形式

踏破記念にと色々用意をしてくれていました。ありがとうございました。
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ダムカード

記念缶バッジ

 ダムカードを配布しているダムのマップ
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 ダムカレーのマップ。今ひそかなブームだとか・・・。
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 色々あるんですねえ。達成感も有り、貴重な体験もでき楽しい一日でした。


 昨日、ツアーで岐阜県の揖斐川上流にある徳山ダムに行って来ました。
目的は、点検放流の見学、堤体登坂、とくまるという船でのコア山上陸の3つです。
 総貯水量・ダム堤体面積が日本一というこのダムを専門家に案内してもらえるなんてまたとない機会です。
 揖斐川町・水資源機構・ツアー会社の協力により実現したという。ということでNHKも同行です。

 名古屋を、8時ちょっと過ぎに出発して、2時間少しかかって水と森の学習館というところまでやって来ました。ここでトイレを済ませ、ガイドの方やスタッフの説明などを聞いてヘルメットを渡されました。この日は暑くて、ヘルメットをかぶると普通の帽子がかぶれないので日焼けが心配だ。
  
  徳山ダムの全貌(旅行社のパンフレットです)
徳山ダム全体図

 ダムの側面を登るためと放水を見るためには、ダムの下の所まで行かなければなりません。特別に一般車道を通行止めにしてくれたのでその道を歩きます。
行程表1

 先導車は、ゆっくりと我々の前を進んでいきます。
先導車
 
 ダム本体の工事に入るには、川をせき止めなければならない。せき止めた水をトンネルで此処に流していたという
工事の時川を一時t期にここから流した

 谷の間に堤体の上の部分が見えて来た。
見えて来た

 洪水吐きが見えて来た。手前の橋の上から点検放流を見学します。放流の時間は決まっていて、先ほどから何度もサイレンが鳴り響いている。
洪水吐き

 今か今かと待っていると、上の方から静かに流れ出てきた。今まで見た放水とは全く違う。
点検排水

    静かにすべるように流れて行く。思わず「きれい!」と叫んでしまった。
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 ひたすら美しい。ゲートを4,5センチ上げているのだそうだ。
ひたすら美しい

 専門家の方々は、竜のウロコと呼んでいるのだとか・・・。
竜のウロコ

 揺らぐカーテンのようにも
レースの様にも

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 ガイドの方の「そろそろ登りましょうか」の声が響く。そうだ、それが目的だったのだが、あまりの美しさに、どなたかが「もうこれで満足」とおっしゃたのも納得である。
 ここを登ります。
ロックフィル

 ダムの高さは、161m。近くによると岩の大きさが実感できる。岩も現地で調達したそうです。
 半分ほど登ったところです。
登ります

 下を見ると
下を見ると

  ゴールでは、お迎えも有りました。
ゴール部分

 ようやくお弁当をいただきます。反対側に向かうと目の下に洪水吐きがよく見えた。
滑り台の様

 この後はバスで、レストランもある徳山会館に移動して、そこからフェリーに乗ってコア山に向かいます。

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