今日は熊谷市から、川越に向かいます。
川越は、2度ほど行ったことがあるが、今ほど混んではいなくて、外国の方も少なかったし、買い食いのお店もそれほど多くはなかった。
どれくらい変化したのか、興味津々。
昨夜は遅かったので、ゆっくり10時15分に出発。1時間ほどで、川越市の喜多院近くに到着。
ここでガイド氏と合流して、散策スタートとなりました。
重要文化財の建物も結構ある。
山門

本堂

多宝塔

鐘楼門


慈眼堂。天海大僧正の木造が祭ってある。

江戸城の御殿を移築したという書院、客殿、庫裏‥。
中でも、家光誕生の間は有名ですが、写真撮影は禁止されている。
いつもなら鮮やかなモミジが、迎えてくれるのだが、今年は、何時までも暖かかったせいか、枯れてしまったような感じの色でちょっと残念でした。
そして、五百羅漢に移動。1782年から1825年にかけて建立されたという。全部で、538体あるそうです。それらは人間の喜怒哀楽を巧みに表し、見る者の心に訴えかけて来る。
誰でもお気に入りの一体を探すことができるのではないだろうか。
モミジが太陽の光で透き通っていました。

みな自分の干支を探してうろうろ。
こんなにこやかな羅漢様も。
反対に、悲しみに暮れている羅漢様も。いや、居眠りしているかも・・・。

街中に向かう途中、成田山川越別院にちょっと立ち寄る。

まずは、大正浪漫夢通り。
ハイカラな洋風建築が残っています。

そして、川越といえば蔵造り。明治の大火後、耐火建築である「蔵造」が建てられ、現在も20棟の蔵造りが軒を連ねています。
これらは、「重要伝統的建造物群保存地区」になっている。

中にはこんなモダンな建物も残っていました。

これは、一種の看板建築ですかねえ?

とっても屋根が重そう。

楽しい看板。


大沢家住宅。川越の中で、最古の蔵造りで、1792年に豪商、近江屋半右衛門が呉服商いの店舗として建てたもの。

川越のシンボル。時の鐘。現在のものは、明治時代の川越の大火直後に建設されたもの。1日に、4回、時を告げますが、この日は、時間が合わなくて聞けませんでした。


さいごは、菓子屋横丁に立ち寄りました。なんだか、ここだけは昔の方がにぎやかだった気がする。
遅いお昼ご飯を頂き、出発地点の新宿に戻ってきたのは、午後4時少し前でした。
今年は、相馬野馬追にも行けたし、秩父の夜祭も見ることができた。気になっていた祭りは、この2つでコンプリート。
これからは、地元の小さな祭りを見に行こう。
中でも、家光誕生の間は有名ですが、写真撮影は禁止されている。
いつもなら鮮やかなモミジが、迎えてくれるのだが、今年は、何時までも暖かかったせいか、枯れてしまったような感じの色でちょっと残念でした。
そして、五百羅漢に移動。1782年から1825年にかけて建立されたという。全部で、538体あるそうです。それらは人間の喜怒哀楽を巧みに表し、見る者の心に訴えかけて来る。
誰でもお気に入りの一体を探すことができるのではないだろうか。
モミジが太陽の光で透き通っていました。


みな自分の干支を探してうろうろ。
こんなにこやかな羅漢様も。

反対に、悲しみに暮れている羅漢様も。いや、居眠りしているかも・・・。

街中に向かう途中、成田山川越別院にちょっと立ち寄る。

まずは、大正浪漫夢通り。

ハイカラな洋風建築が残っています。

そして、川越といえば蔵造り。明治の大火後、耐火建築である「蔵造」が建てられ、現在も20棟の蔵造りが軒を連ねています。
これらは、「重要伝統的建造物群保存地区」になっている。

中にはこんなモダンな建物も残っていました。

これは、一種の看板建築ですかねえ?

とっても屋根が重そう。


楽しい看板。


大沢家住宅。川越の中で、最古の蔵造りで、1792年に豪商、近江屋半右衛門が呉服商いの店舗として建てたもの。

川越のシンボル。時の鐘。現在のものは、明治時代の川越の大火直後に建設されたもの。1日に、4回、時を告げますが、この日は、時間が合わなくて聞けませんでした。


さいごは、菓子屋横丁に立ち寄りました。なんだか、ここだけは昔の方がにぎやかだった気がする。
遅いお昼ご飯を頂き、出発地点の新宿に戻ってきたのは、午後4時少し前でした。
今年は、相馬野馬追にも行けたし、秩父の夜祭も見ることができた。気になっていた祭りは、この2つでコンプリート。
これからは、地元の小さな祭りを見に行こう。