好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 広島県


 ヤマトミュージアムの前の道を歩くこと15分ほどで、入船山記念館入り口に到着した。
呉市立美術館が隣接しているので、帰りに立ち寄ってみました。 

船記念館入り口
 門を通ってすぐ左に小さな家屋があります。
東郷平八郎の離れ
 説明文によると
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 石の坂を上って行きます。ここに使われている敷石は、日本で6番目に開通した市内電車に使われていたものだそうだ。
石畳
右に見えている時計は、旧呉海軍工廠塔時計で、1921年に呉海軍工廠造機部庁舎屋上に設置されたもので、1981年に整備復元されここに置かれた。

 番兵塔
番兵塔

 旧高鳥砲台火薬庫
旧高鳥砲台火薬庫
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 さらに進んでいくと正面に旧呉鎮守府司令長官の住んでいた官舎が見えて来た。手前の郷土館でチケットを購入、ヤマトのチケットを見せると割引がありました。
旧呉鎮守府司令長官感謝
 鎮守府とは、海軍の地方軍政機関で横須賀・呉・佐世保・舞鶴に設置され、呉鎮守府は、造船と造兵部門の最重要地点としての役割を果たしていた。
 左右に飾破風の屋根を持ち中央の大屋根の下部に屋根窓がある、イギリス風ハーフティンバー様式を取り入れた外観で、設計者は櫻井小太郎。
 屋根は、雄勝産の天然スレートを魚のウロコの様に葺いてある。雄勝は、昨年の秋猫島の旅の時に金華山に登る前に訪れていたので、ちょっとびっくりしました。
雄勝のスレート石

 玄関のガラスには、桜と海軍錨のマークがデザインされている。
玄関ドア
 背後には、日本家屋があり、長官と家族の住居として使用された。洋館部とは。畳廊下でつながっています。座敷は、奥と表に別れていて、表は家の主人が仕事をおこない、奥は家族の生活空間でした。
庭から見たt頃
 まずは、洋館部から見学していきます。壁は、すべて金唐紙が貼って有り豪華で重厚な感じがします。
金唐紙
 応接間
応接室
 客間
客室
 
草花と昆虫

 食堂の金唐紙。入船の森と名前がついています。
金唐紙入船の森
 
にのりかえにのりかえにのりかえ食堂
 和室の奥に畳廊下が見えています。
和館部分
 離れ座敷
離れ座敷
 隣の資料館では、金唐紙展が行われていましたので、のぞいてみました。金唐紙は、金属箔を貼った和紙に凸凹の加工を施し、上からワニスを塗って金色に仕上げた加工紙です。起源は、ヨーロッパからもたらされた「金唐革」を、和紙で模したところから始まった。
 金唐紙の屏風
金唐紙の屏風
 この彫刻を施した道具を金属箔を貼った和紙の上に押し付けて模様をつける。
型押しの道具
 美術館では、日本近代洋画への道と言う企画展が開催されていた。昨晩は、何だか眠れなかったので途中でものすごく眠くなってしまい、半分眠りながらの鑑賞となってしまった。
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 美術館前の通りは、様々な彫刻が設置されていて、並木の下を鑑賞しながら歩くのはとても気持ちが良かった。大好きな籔内左斗司氏の作品があり、思わず顔がほころぶ。
籔内さとし
 ここから呉の駅まで、15分くらいかけて戻り、広島でのぞみに乗り換えて家に帰って来た。
 


 しまなみ、かきしま、とびしま街道の旅を終えた後、足を延ばして呉に行って来ました。以前から訪れてみたくて仕方がなかったのだが、中々機会が無かったのだが、今回はまたとないチャンスでした。 

 ホテルの車で広島駅まで送ってもらい、快速電車に乗ること38分で呉の町に到着だ。

 駅を出て、ロータリーと反対側の道をまっすぐ歩いていくと5分ほどでヤマトミュージアムの建物が見えてくる。
ヤマトミュージアム
 入館する前に、熱を測り、手指の消毒をして入館します。

 大きな、10分の1の大和が迎えてくれる。が、まずは呉の歴史から見てゆく。呉は、造船の町であり海軍の町でもあったので、軍艦の建造をたくさん担ってきている。
 金剛に使われていたものと同じボイラーがまずは我々を出迎えてくれる。
軍艦金剛のボイラー
 こちらは、電気カバーですって。町を暗くして戦闘機から見えないようにしたのだ。
電球カバー
この大きなガラスの塊は、探照灯ですって。
探照灯
 
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 このように大和に使われた技術は、色々な所に応用されて日本の産業の発展に貢献しているという。

 設計図。ちんぷんかんぷんです。
設計図
 当時は、秘密は厳重に守られ、大和建造に携わった人でさえ、隣が何を作っているのかわからず、線路も運ぶ資材が見えないようにと壁で仕切りを作ったという。

 10分の1の大きさ、26.3mある。
10分の1の大きさ
 色々な角度から楽しめます。
正面下
スクリューは4つ。
スクリュー

 上から、46㎝砲をみると。
46㎝砲
 砲弾
46センチ主砲弾
 左にゼロ戦が載っています。
ゼロ戦が載っている
 
ゼロ式戦闘機

 艦橋部分。最大の照準装置が搭載されている。
上から艦橋を見たところ
 人間魚雷と言われた回天。
回天
 こちらは魚雷
魚雷
 そして海龍。
海龍
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 3階から見た大和。乗員3332名のうち生還できたのは、276名でした。昨年の薩南諸島の旅で徳之島に建立された慰霊碑を見てきました。
全長26.3m
 この潜水艦は、展示潜水艦であきしおです。これからこのてつのくじら館に向かいます。
展示潜水艦あきしお
 館外展示の41㎝砲。びっくりするほど大きい。
41㎝砲

 コロナの影響で、入館は入れ替え制になっています。ここは、入場は無料で、自衛官が迎えてくれます。2階は、掃海艇に関するもの、3階は潜水艦に関するものが展示してあり、最後にあきしおに入り潜望鏡をのぞかせてもらう。

 日本の掃海技術は世界一で、色々な方法で、海の機雷を爆発させて処理をしてきた。
掃海に使う
 時には、直接攻撃して爆発させたことも有ったというが、最近は使われなくなったそうだ。
直接狙い場合もあった
 機雷も様々な種類があり、海に沈んでいるもの浮いているもの、ひものついているもの、振動で爆発するもの、金属を感じて爆発するもの等がある。
機雷
機雷。
  
 この後は、入船山に向かい旧呉鎮守府長官の官舎を見にゆきます。 

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 天守


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 御門

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 福寿館

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うしとら神社

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 お昼は、私は小魚定食・相棒は煮魚定食をいただく。イイダコのゆでたものを酢味噌で食べる。柔らかくて、なかなかでした。


 後半は、お寺を見て回る。狭い地域なのに、たくさんの寺があるのは、なぜ?尾道を思い出す。

 山中鹿之助の首塚なんてものもあります。


 福山城も見たかったので、3時半頃のバスにて福山市に戻ってきた。城までは駅を抜ければすぐだ。

 城の下の公園では、猫が何匹もいたのだが、野良なので経過していて、さわることできず。残念!

 福山城は、できたころには海岸線が近くまで迫っていたようだが、今は面影なし。

 明治に廃城になるまで、16代にわたって、藩治の中心となってきた。

 残念ながら、戦火によって焼失してしまう。現在は、伏見櫓と筋金御門が重要文化財として、昔の様子を伝えている。

 エレベーターはないので、階段で上まで昇る。中は博物館となっている。

 上から見ると、城の南側の方が圧倒的に開けている。北側には山が迫ってきているせいかな。


 見下ろしていて、気になる建物があったので、さっそく訪ねてみた。福寿館といい、日本庭園・洋館・和館がある。洋館の方は国の登録文化財に指定されている。

 庭にはいくつもの茶室があり、一般に貸し出されているとのこと。この日は、洋館で人形展が開かれていました。ちょっとだけのぞく。


 城山から下りて、北に進んでいくと、大きな寺や神社がいくつもある一角に出る。近いうちにお祭りがあるのか、しめ縄の飾りが用意されている。


 福山駅に戻り、早めの夕食(お腹は空いていないのですが)をとり、家に戻ってきた。

 出がけにハプニングがあったので、急ぎ足の旅となってしまったが、ずーっと気になっていた地を訪問できたので、良かったな。

  

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 對潮楼


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 カフェ


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 路地


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 保命酒を売っています


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 白壁


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 太田家を案内してくれたガイドさん


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 太田家住宅


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常夜灯


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 鞆の浦港


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船の修理屋さん

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 10月9日、台風の翌日、久しぶりに相方と新幹線にて、ちょっと遠出した。

 無理をして休みをつくったものの、台風がやってきて一時はだめかなとも思ったのだが、駆け足台風だったので、何とか出かけることができた。

 家を出て、新幹線の時間に間に合うようにと、ホームへ駆け足で登っていったらなんだか様子が変だ。

 下りの列車が、ホームの変な位置に泊まっている。そこへ男性の大きな声が聞こえてきた。

 どうやら救急車を要請しているようだ。で、そちらを見ると女性があおむけに大の字になって倒れている。男性は、倒れている女性の容体を説明している。話の内容と、列車の停止位置から見ると、ホームに入ってきた列車に接触したようである。そのおかげで、大幅に列車は遅れそうな気配だ・・・(>_<)。

 接触ということは、ふらっとしたかめー酢などをしていて築かなかったかのどちらかだろう。新聞に載っていなかった所を見ると、たぶん大事に至らなかったのだと思う。

 そのあおりで、上りも止まってしまい、予定していた新幹線に間に合わなくてしまった。

 このまま待っていてもいつ運転再開になるかわからないと判断。急きょ、地下鉄の駅に向かった。

 後でわかった情報だと、1時間以上止まっていたようだから判断は正しかったのだが・・・。


 新幹線の指定席を、わけを話し変更してもらい、45分遅れで無事福山へと向かうことができた。

 
 山陽新幹線で、福山の駅を通過するたびに見える福山城、気になって仕方がなかった。駅に降りたうっと、ほんと駅のすぐ前に位置しているんだ!

 でも城の見学は後にして、まずはバスにて鞆の浦へ向かう。30分ほど揺られていると、左手に海が現れた。バスの中にも潮の香りが流れ込んでくる。

 バスセンターで下車。地図をゲットして、2時間コースというのを参考にして歩き始めた。

 鞆の浦の歴史は古く、天然の良好ということもあり、大いに賑わい、朝鮮通信使や大名の参勤交代に使われ、海の本陣ともいわれていた。

 また、頼山陽や坂本竜馬も立ち寄っている。あの仁丹の創設者もここの出身だし、最近では宮崎駿監督がここで「崖の上のポニョ」の構想をねったという。

 街の中は、狭い道が街が造られた当時のままで残されている。住民にとっては、決して暮らしやすいとは言えないだろうな。

 最近は、景観論争によって有名になったせいか、観光客も随分増えているのだとか。とはいっても住民を2分した論争の根は深く、今も対立は残ったままだとか。

 確かに訪れてみると、道路は必要な気がする。歩いていても次次通る車で、、せわしなくまた危険だと実感。かといって、埋め立ててしまったら2度と元には戻らないのだから、慎重にならざるを得ないだろうし、道路は早く欲しいし・・・


 埋め立ての許可をした知事さんは、一度もここを訪れることなくハンコを押したと聞いてびっくり、そんなことってあるのだろうかと・・・誠意のない話である。

 この日も、大田家を案内してくれたガイドの男性は、埋め立て反対・お昼をいただいた食堂の女性は、賛成という具合・・・。


 歩いているとどこか懐かしく残してほしい気はするのだが・・・


 のんびり歩いていたら、お昼がすっかり遅くなってしまった!




   



    

     

 


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