好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:中央アジアとコーカサス > 中央アジア5カ国

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 サマルカンド~成田~関空~自宅

 
 いよいよ旅も終りに近づいてきました。チェックインをした後、免税店で買い物でもと思ったのですが、ショップの数も4店ほどと少なく、売っているものも大したものもなく、お土産のたばこを買っただけでした。

 ゲートにのある待合室に入るために、もう一度チェックを受けなけらばならない。面倒なことだ。

 ゲート前の待合室には、ほとんど人がいない。

 「いくらなんでも、こんなに少ないということはないですよねえ」

 時間が来て機内に乗り込んだら、驚いた!

 皆マスクをしている・・????何で・・・・?


 このときは、新型インフルエンザがこんなに大騒ぎになっていることなど、思い当らなかったのだ。

 メキシコで発生したということは、ニュースで知ったはいたのだが。実感がなかったのだ。


 配られた新聞を見ると、フェーズ4に繰り上げとある。日付けを見ると、昨日のものだ。この時にはもう実際にはフェーズ5に繰り上げられていたのだが。

 ともかく、マスクのアテンダントというのを初めてみたよ。しかも外国人だもんね。普通外国人てマスクしないから見たことなかったんですよね。

 でも、まだまだ旅ボケしてますから危機感なんて全く欠如してます。

 がらがらの機内を見て、添乗員さんが乗客の人数を聞いてくれた。

 何と50人ですって!(^^)!

 やったー!椅子を独占して眠っていけるわ。う・れ・し・いな・

 行きで懲りたので帰りは白ワインを頼んで、眠りに入りました。おかげでゆっくり眠れました。

 成田に着いて、成田組は入国だ。我々はいったん機内から出るが、トランジットなのでまた待合室に戻ってくる。

 関空まで向かうのは、2人だけだ。

 みなさん、ありがとうございました。また機会がありましたら・・・。

 1時間ほどの待機で、再び関空に向けて離陸。

 関空につき、健康チェックのブースに向かったら、長蛇の列ができている。でも我々は、メキシコ帰りじゃないから関係ないよね・・・なんて暢気に構えている。

 そばでは、スピーカーを持った女性が大声で、「全ての方に健康チェックを記入していただいておりまーす!」と言っている。

 「え?今全員て言いましたか?」「そうね、いった気がするわ」「じゃあ紙もらってこないとだめですよねえ」「私もらってくるわ。ここで待っていて」

 彼女がもらってきてくれた、用紙に旅行先・発熱の有無・連絡先などを書き込む。

 ところが海外から来た人々の中には、やはり理解していない人が多くて、係官の前に来てからあわてて書くといった人もいる。列はますます長くなっていくので、係官の人達もだんだん苛ついてきているのか、大声で「この列何んとかしてくれよ!」なんて声が行き交うようになってきた。

 やっとのことで、健康チェックがすみ、入国審査場に。

 ここは簡単に済んでしまいました。なにしろ空いている。

 バゲージを受け取りに向かったのだが、ターンはとっくに停まっていて、我々の荷物10個くらいが、空港係官の足元に固めてありました。

 荷物の方が人間より先に入国するなんて初めてだわ(;一_一)

 同行者は、大阪の人なのでリムジンだ。私は列車なので、ここでお別れです。

 家に帰りついたのは、3時半くらいでした。

 新型インフルはこの後どんどん大変な方向に向かっていきます。いい時に帰国したなと思いました。


 今日の写真は、
    

   杏の花(キルギス) 貨物列車(カザフ) ババジ・カトウン廟(タラズ) ヒワの城壁の外側
 
   中央アジア一の高さ トルクメニスタン航空   ニサ遺跡(トルクメニスタン)

アナウ遺跡(トルクメニ) 日本のおみくじのよう  マリィの夕方  チャシマ・アユブ廟の庭

   208本の柱(カラーンモスク) 

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 タシケント観光のち空港へ

  写真上から

   ナヴォイ劇場  水が出ていると綿花に見えるそうですが・・・残念ながら 劇場正面入り口

日本人捕虜のことを記したプレート スーパーマーケットで  値段表示はこんな感じです

   市内通りで  まるでパリ? チェスに興じる人々  お札になっているチムール像 

   市電  地下鉄も走っています 鉄道博物館

   
 ナボイ劇場は、1947年に完成した1500人収容の劇場だ。内装も素晴らしいとのこと。建物の前には通りを挟んでお噴水があり。水が出ていればきれいな綿花模様に広がるそうだ。

 劇場の建設には、捕虜出会った日本人の強制労働によってできたものだ。「日本人が建てたこの劇場は、地震にもびくともしなかった」というほめ言葉をよく聞くそうです。キルギスタンでも、捕虜の方々の強制労働によって作られた病院が、やはり地震にも壊れなかったので、おなじように賛辞を受けているといったことを思い出した。シベリアと比べると、多少は環境に恵まれたとはいえ、どのような場合にも、全力を尽くしてことに当たった先輩の方々に尊敬の念を感じる。

 ちょうど、明日のオペラの練習をしている声が聞こえてきた。しばし足をとどめて聞き入ってしまった。

 スーパーに寄りたいという要望があったので、そちらに向かう。タシケントは人口200万以上もある大都会だ。中央アジアでは唯一地下鉄も走っており、大きなビル群もそびえている。道を行く女性は、ほかの地域と比べると、金髪・白人が目立ち、ミニスカートをはいている人もたくさんいる。化粧もばっちりメークで、イメージする中央アジア、イスラム圏といったものからはかなり離れている。

 オアシス都市としての歴史は古く、2000年前には歴史に登場している。ここもやはりモンゴル軍によって攻撃されたが、チムール帝国の時代に復興する。

 しかし、ロシア軍が侵攻してくると、街の様相は一変してしまう。旧市街は整然と区画された新市街へと変貌する。それも、1966年の大地震によって一夜にして瓦礫の山と化してしまった。

 ソ連軍の投入によってわずか数年で近代都市に生まれ変わり、シルクロードの風情を感じさせるものはなくなってしまったようだ。

 スーパーから近くの通りには、絵をたくさん路上に並べて売っているところがある。いったい1日にどのくらい売れるのかしらと思うほど・・売れているといった感じは受けない。もう何年もたっているといった絵も・・・。(>_<)

 私も気に入った物があれば1枚くらいと思い丹念に見たのだが、やはり文化の違いかピンと来るものがありませんでした。トラの絵を買ってきてもねえ・・・。

 チムール広場にはいると、たくさんの人々がチェスをやっていた。チェスをさす人、それを見ている人、踊りをしている人、ゲイの人、さまざまな人がここに集まりそれぞれに楽しんでいる。チムール像があるところには以前、スターリンがあったんですって!

 飛行機のチェックイン時間が、離陸の3時間前というので、早めの夕食をいただくことに。

 最後の晩餐は、中華だ。中華といっても、紹興酒はなくて、ウオッカで喉をうるおすことになりました。評判は悪くないお店ということで、各国の要人の写真が貼ってありました。時間があまりないということで、1時間にも満たないくらいのスピードで済ませました。

 ここから空港までは、10分ほどであっという間に着いてしまいました。


 ガイドさんは、建物の中にも入れないということで、チェックインが済むまでガラス越しに私たちを見守ってくれていました。

 最初は、なんとなく早口に違和感があり、評判はいまいちだった彼でしたが、慣れてしまえばいいやつでした。「ほんとにお世話になりました!」

  
   

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 サマルカンド~タシケントへ

  写真上から

   朝の散歩のとき迷い込んでしまったところです・・鏡のよう 

州境にある岩山・・昔ここには門があったという  日本人墓地の碑  鼻が供えられていた


   工芸博物館  もとはロシア公使の館  ともかく美しいです 建物自体が工芸品のよう

  
   居合わせた女子大生


  最後の朝の散歩だ。新市街を歩いていると、マザーテレサのような修道女をまつってある建物に迷い込んでしまった。まるで鏡のように磨きあげられた石が敷き詰められていました。

  遠くまで足を伸ばしすぎて、集合時間に遅れそうになり、あせってしまいました(>_<)


  8時ホテルを出発。岩山の間の道を走っていきます。昔はこのあたりに岩山を利用した門があったとか。サマルカンド州から、ジッザフ州そしてシルダリヤ州へとバスは進んでいく。

  途中このたび最後の青空トイレストップ。慣れてくると案外快適です。

  シルダリヤ川をわたって、タシケント州へと入った。

  ここで、昼食。

  すぐ近くの日本人墓地へ向かった。第2次大戦が終わったあと、ソ連の捕虜となりこの地で亡くなられた79名の日本人が埋葬されています。ここばかりではなく、ウズベキスタンのあちこちで亡くなられた日本人捕虜の方々が、何処に何名埋葬されたいるのかを記した石碑もありました。


  日本に、かえれなかったのは本当にお気の毒なことだ。あなた方の犠牲の上に今の平和がありますと、お参りをしました。添乗員さんが持ってきてくれたお線香を手に・・・・。

  続いて中心地から少し外れている工芸博物館に立ち寄る。19世紀の終わりに建てられたロシア公使のお宅をそのまま博物館にしたものだ。

  とても美的に優れた人だったらしく、内装も収集品もどれも素晴らしいものだ。現地の様式で建てられているのだが、公使自身はイスラム教を嫌っていたということで、ミフラブはメッカとは逆の方向を向いている。織物はどれをとってもため息の出るほど素晴らしいものでした。

  旅行記の前半の方でのせた写真の此処の展示品があります。

  このあとは、タシケントの中心地に向かいます。

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 ペンジケント~国境~サマルカンド

  写真上から

   ペンジケントの小学生 モスク  ゆりかご(おしっこ用の穴が開いています)

ペンジケントバザールの野菜売りの女性です。とてもきれい。

屋根の形が変わっているバザール  ちょっと日本の街道沿いみたいな雰囲気がする

   ペンジケント市内の様子 地元の少年たち  底抜けに明るいナン売りの女性たち 

  サマルカンド国立博物館 


  昼食は、ペンジケントのレストランで・・・。

  その後は、バザールに向かいます。こじんまりとしているが、珍しいものもあったりする。はちみつを試食。

  再び、来た道を戻って、出国手続きを済ませ、またまたウズベキスタンの税関申告書(笑)2枚に有り金の金額を書いて提出。

  サマルカンドの街に戻ってきたのが、4時半だった。まだ時間的には早いので、昨日ウルグベク天文台に入れなかったお詫びにと、国立歴史博物館に案内してくれるという。やった!

  ところがここも、修理中で、展示物は少なくなっていました。おもなものは、ズザニ・木工品・サモワール・楽器・民族衣装など、

  ここからは、ホテルまでは歩いても帰れる距離なので、私は歩いて帰ることにした。「だったら、僕も付き合いますよ」ということで、О氏と一緒に・・・。

  きょう3回目のレギスタン広場だ。この広場は時間帯によって全く違う様相を見せてくれる。夕方の今は、人々はかなり少なくなっていて、学生たちの姿が見られる。心なしか、建物もかったるそうに見える。

  歩いていると、男子学生の2人連れが声をかけてきました。1人は、日本語を、もう一人の学生は英語を勉強しているんですって。

  「ちょっと話をしてもいいですか」というので、会話を始める。О氏は、英語が堪能なので彼が英語を話し学生と組めばよかったのに、なぜか反対になってしまい、私はかなり苦労しながら話す羽目になってしまいました(>_<)

   でも、こちらの学生は積極的だよね。日本人のように、もじもじしていないし、向上心がすごく強い。失敗を恐れないし、恥も恐れない。だから言葉も早く覚えるんだなあと感心してしまう。

   「時間があれば、案内させてください」と申し出てくれたのだが。こちらはあいにくそんなに時間があるわけでもないし、もう観光は終わってしまっているので、心だけいただいてお別れしました。

   「グッバーイ!」「さよなら!」「スイーユーアゲイン!」「またね」


  明日はいよいよ、旅の最終日です。長いようだったけれど、もう帰る日になってしまうんだな・・。

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 ペンジケント遺跡から眺めた集落。すぐそこまで昔は川が来ていたという。


  山のふもとに筋のように見えるのが現在の川です。


丘から見たザフラシャン山脈  

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 タジキスタンのペンジケントへ

  写真上から

   国境へ向かう道から眺めたトウルケスタン山脈 菜の花も咲いていました  

   国境へ続くまっすぐな道  ルダーキ・記念博物館  まだまだ発掘が進んでいません

   商店の跡  昔のメインストリートだった所  寺院跡  花をプレゼントしてくれた少女達

遺跡の復元図 


  8時にホテルを出発。街を抜けるとすぐに、雪をかぶった山並みが車窓に現れてくる。久しぶりの雪山の姿はやっぱりいいな。

  1時間ほどで、国境に到着。またまた税関申告書を提出。ほんとめんどくさいなあ・・・。もう何回同じことを繰り返しただろう。

  緩衝地帯を歩いて、タジク側へ。小さな小屋みたいな建てものがポツンと建っている。「え?これが事務所?」

  いやかなり、経済状態が良くないのかなあ?ひとりひとり、名前を言ってスタンプを受ける。私達しかいないのだから、簡単なものだ。

  国境を守っている兵隊さんたちは、何と畑仕事をしていました。人懐っこい笑顔を向けてくる。ちょっと見、皆20歳以下に見える。話しかけると、なんとも恥ずかしそう・・・。

  畑仕事をする、兵隊を初めてみたわ!

  これでタジキスタンに入国できました。あっけないほど簡単である。迎えに来たマイクロバスはどこに?

  何とバスではなくて、ワゴンでした(>_<)
 
  ガイド2人(タジク側も入れて)添乗員、客13人の総勢16人が、乗り込むのだから、あきらかにいすが足りない。

  もう折り重なるように乗り込んで出発。

  道路も、タジクにはいると格段に舗装の質が落ちます。穴ぼこだらけの道を進んでいくといったところも(+_+)

  ここでもポピーがきれいでした。


  ペンジケントの遺跡は、5世紀に起源をもつゾグド人の古代都市の遺跡である。8世紀にアラブに攻撃されたとき住民は街を放棄した。

  そしてそのまま再現されることはなかったので、古代都市の原型が残ったのですって。それゆえ、中央アジアのポンペイと称される。

  最初の見学地であるルダーキ記念博物館には、そこからの出土品も展示されている。

  他にも動物の剥製・ソ連時代に関するもの、民族用品など雑多なものがいろいろ展示されていた。

  雨漏りがしていて、展示室の真ん中に金だらいが置いてあり、「ポツーン、ポッチャン。」と音が響き渡る。修理できないほどお金がないのか?それともこういう状態でも気にもならないのかそのあたりはよくわかりませんが・・・・。

  ルダーキさんは、タジク語を造った人です。

  このあとは、遺跡に向かう。紫色の花が出迎えてくれた。残念ながら名前はわかりません。

  小高い丘の上に登ると遺跡全体が見渡せるのだが、荒涼とした感じを受ける。ほとんど発掘が進んでいないので、余計にそう思うのかも。ザフラシャン山脈が本当に美しい。

  さっきから少女3人が私達の後から付いてくる。話しかけたそうなのだが、なかなかきっかけがつかめないといった様子が伝わってくる。説明の合間に声をかけたら、てい持っていた野草で造ったブーケをプレゼントしてくれました。まっすぐなまなざしがとても素敵でした。


  遺跡の中には、商店・ゾロアスター寺院・住居・宮殿跡などがあるのですが、それとも保存状態が良くないのかいまいち原型を想像できず残念!


  でもここの丘からザフラシャ川を見下ろす風景は絶品でした。今家屋が立ち並んでいるところまで昔は川が流れていたとか・・・・。

  写真の添付が容量オーバーになってしまったので、次に添付します。

  ペンジケントというところはあまり期待していないというか、知らなかったのですが、この風景を見られただけで来てよかったと心から思いました。

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 サマルカンド観光

  写真上から

   ゾロアスター教の石棺・・・土葬の後骨を  ゾクド人の壁画2枚 元の壁画の復元図

   アフラシャブの丘  シャーヒ・ズインダ廟群  門から入ったところ  コシュ・グンバズ廟

   廟群の中の通り  フッジャ・アフマッド廟  アッバース廟内部  


  天文台から戻る途中にあるのが、アフラシャブの丘だ。その丘に行く前に、ふもとの博物館によって見学。ゾロアスター教の石棺・・オスアリに興味が。土葬の後こうしてしまうのだね。他にも丘からの出土品などが展示されている。

  此処の目玉は何といってもゾグド人の壁画である。だれでも一度はこの壁画の写真を目にしたことはあるのではないだろうか?

  7世紀の領主の館から発見されたフレスコ画で展示の部屋はもともとのレイアウトを忠実に再現してある。1300年以上もたっているとは思えないほど、保存がいい。日本の壁画の保存状態の悪さと比べてしまう。要は湿度の問題かなあ・・・。

  ゾクド人は、交易によって栄えた民族なので、ここにえがかれているものも国際的だ。顔の色の違う人、白い像、冠をのせた朝鮮人、船に乗った中国の女性と、彼らの活躍がいかに広かったかということを物語っている。

  この博物館の背後にあるのが、アフラシャブの丘だ。13世紀にモンゴル人の攻撃されるまで、サマルカンドの中心はここであり、ゾクド人達の居住地であった。

  街は城壁で囲まれ、4つの門に囲まれていた。当時記されたものを読むと、「人間が見た中でもっとも美しい眺め」といわれるほど水道があり緑が植えられ、道が舗装されていたとかいてある。

  いまでも、この丘の下には11層もの厚さで街が埋もれているのですって。

  いまは、のんびりした草地になっていて当時の面影は何も感じることはできない。目を遠くに向けると、市内の大きなメドレセやモスクの屋根がいくつも建っているのが印象的だ。


  この後は、シャーヒ・ズインダ廟群に向かった。名前の意味は、「生ける王」。

  いくつかの廟があり、一番古いものはアッバース廟である。モンゴル軍によって破壊されなかったので、サマルカンドで一番古い建物。内装も素晴らしい。

  ウルグベクの建てた門をはくぐると、きれいな階段が現れる。この階段の数が、行きも帰りも同じ数だと天国に行けるという。ちなみに私は残念ながら違っていたので、天国にはいけません(>_<)

  階段に続いている通りが、「死者の通り」だ。名前とは違ってとても美しいとおりである。一つ一つ廟をのぞいて歩いてゆくのはとても楽しい。造り方や、装飾に仕方が廟によって異なっているので、飽きることがない。廟の裏手には現在のお墓もあり、変わった墓石もたくさんありびっくり。

  これも見学してしまいました。

  夕食は、タシケントのサボイ劇場を設計した建築家のお宅でいただきました。大きなお宅で、個人の家とは思えない広さだった。ここでダンスやパーティなんか催されるのだろうなあ・・。


  明日はタジキスタンに行きます。

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 サマルカンド市内観光

  写真上から 

    ティラカリ・メドレセの内部  シェルドル・メドレセ中庭 魔除けです
    
    ビビハニム・モスク入口・・でかいです  見上げてみると  ドームの上には草が 


ルハバッド廟 子供達が集まってきました ウルグベク像  天文台のある公園・・整備の様子

    ウルグベク天文台…工事中でした  


 レギスタン広場には、3つのメドレセが建っている。正面に向かって左が、ウルグベク・メドレセ、真ん中にあるのが、ティラカリ・メドレセ、そして右の入り口に顔の有るのが、シェルドレ・、メドレセである。

  一番古いのは、ウルグベクで15世紀建設。後の二つは、17世紀のものだ。

  一つ一つを見てあるくより、広場に立ち、3っつのメドレセを眺めている方が格段に雰囲気を感じられて楽しい。

  豪華な内装のティラカリ・メドレセのティラカリの意味は、「金箔された」という意味。その名のとおり、まばゆいばかりの輝きを放っている。


  ビビハニム・モスクは、かってイスラム世界で最大の規模を他ったモスクであった。サッカー場がすっぽり入ってしまう大きさ。そこに大小のモスクが並んでいた。入口の大きさもかなりのもので、見あがていると首が痛くなってくる。
  傷みが激しく、内部は破壊されたままで修復は進んでいない。ドームの上にも、草が生え放題だ。

  1399年、チムールは世界に比べるもののない大きなモスクを作るよう命じる。チームル自ら毎日建設現場に立ち、1404年に異例の速さで完成。

   しかし、その後レンガの落下などが続いたため信者が恐れて礼拝に出向かなくなってしまう。さらに地震が追い打ちをかけ、廃墟と化してしまった。

   崩壊の原因は、急ぎすぎたことと、建築構造上の問題があったようだ。

  モスクの隣には、バザールもあり、立ち寄ってみる。ここで、杏の種を買いました。アーモンドに似ているかな。

   ここでホテルに戻り、昼食。休憩時間に、ルハバッド廟に行ってみた。ルハバッドとは、「霊のすみか」といった意味らしいが、全然そんな雰囲気は感じられなかったよ。シンプルな造りで、個人的には気に入りました。帰ろうとすると子供達が集まってきて、撮影会になってしまった。子供って、ほんと写真に撮られるの好きだな。
   

  楽しみにしていたウルグべク天文台は、修復中で中にはいることができず、外からだけの見学になってしまった。彼は、チムールの子孫であり、天文学者でもあった。15世紀の建造。長い間ウルグベクがどこで観測していたのか謎だったのだが、1908年発見された。丸い天文台の基礎部分と六分儀の地下部分だけが残っている。この六分儀を使って、彼は1年間を、365日6時間10分8秒と観測したんだって!望遠鏡もない時代にどうやってこのような正確な数字を出してきたのかしら?

  しかし、彼の死後保守的なイスラム教徒によって破壊されてしまう。うーんもったいない。

  

   
  

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